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第7話 迷惑

 聡明なお兄さまと美しいお姉さまが憧れだった。

 私もそんな風になりたかったけれど、最後に生まれた私には、何の取り柄もないと知ったのは何歳のときだっただろう。


――ジャックとシエナの邪魔だけはしないでちょうだい。

――そうだ。あなたには、家のことをしてもらいましょう。


 お母さまのお部屋で。お母さまは一人掛けのソファーに座って、私の手を握ってそう言ったのを覚えている。


 あの日は確か、お庭で、お父さまの会社の設立を祝うパーティーが開かれていて、賑やかで楽しそうな声が響いていたんだった。





 目覚めてすぐ視界に飛び込んでくるこの景色には、未だ慣れない。天井からベッドを覆い隠すように吊るされた、真っ白で柔らかそうなレースの天蓋を眺めながら、寝汗で濡れた額を拭った。侯爵邸で迎える四度目の朝は、あまり気持ちが良いものではなかった。笑っているのに目つきが鋭いお母さまの顔を思い出して、お腹と胸の間がギュッと痛む。


 クランブルへ来て、もう四日も経つのだ。もう私がマディラに帰って来くることはないだろうと、お母さまが胸を撫で下ろしているころかもしれない。でもそれは、私がテイラー侯爵さまに、肝心なことを切り出せていないから過ごせている時間だ。

 お母さまを含む、アビントン家にはこれ以上の迷惑をかけたくない。けれど、もし、侯爵さまが本当は、アビントン家のシエナお姉さまとの婚姻を望んでいたのであれば、このまま騙すように生活をするなんて、とてもできない。日が経てば経つほど、この状況に焦りが出てくる。

 そんなことを考えているから、幼いころを思い出すような、あんな夢を見たのだろうか。

 こんな簡単なことも言い出しきれず、もたつく日々を送るような人間だから、お母さまやお姉さまたちは私に呆れてしまうのだろう。


「……しっかり確認しなくちゃ」


 ひどい寝汗で肌に張り付く寝間着を下着ごと取り替える。洗濯物が増えてしまうことが申し訳ない。自分で洗濯ができるなら、それも気にならないのだけれど……。


「おはようございます、お嬢さま」


 扉を開ければ、私が出てくるのを待ち構えていたのか、オリビアが部屋の前に立っていて体が跳ねる。音も気配もなく居るものだから、心臓に悪い。


「お、おはよう。オリビア……」

「お召し物、お預かりいたします」

「あ……でも、」


 オリビアの両腕が差し出され、続けようとしていた言葉を飲み込んだ。「それはうちでは難しいかもしれない」と、昨日、侯爵さまに言われたことが脳裏を巡る。洗濯や料理といった家の事は、使用人がやるというのがこの屋敷での決まりなのだろう。私の我儘で、彼女たちがテイラー侯爵さまから咎められることだって望んでいない。だからこそ、私のことで余計な手間を増やさせてしまうことが本当に申し訳ない。


「ごめんなさい。寝ている間に汗をたくさんかいてしまって着替えをしたから、少し洗濯物が増えてしまうのだけれど……」


 自分でも分かるくらい躊躇いながら服を差し出せば、オリビアは一瞬、不思議そうにその瞳を瞬かせた。その顔は彼女を年相応に幼くさせたが、すぐに彼女は、


「お気になさらず。全く問題ありません」


 と、いつものように淡々とした表情と口調で私に言った。


「それよりも……」


 私の顔を覗き込むようにしたオリビアの瞳と目が合う。洗濯や自分の身の回りのことで押し問答をする以外、彼女とはあまり会話をしたことがないため、言葉の続きに妙に緊張してしまう。


「どこか、具合が悪いのではありませんか」

「え?」

「顔色が少々優れていないように見えます。汗もたくさんかいたと仰っていましたし……」

「あ……ああ、違うのよ。少し、悪い夢を見てしまっただけ」


 まさかオリビアから体調を気遣う質問が来ると思わず、慌てて否定する。オリビアの、猫のように少し吊り上がった丸い瞳が、こちらの言葉の裏側を探るように、ゆっくりと瞬かれた。笑顔を作るよう心掛けてみたけれど、引き攣ってしまっていないか不安になる。


「寝心地が悪いなど、何か問題はありますか? もしあるなら、坊ちゃまに新しい寝具を用意していただくようお伝えいたしますが」

「寝心地が悪いなんてとんでもない! ふかふかで、とても気持ち良いわ」


 背中が痛むこともなければ、寒さで目が覚めることもない。程よい温もりに包まれる寝具に感動さえする。問題なんてどこにもないと伝えれば、オリビアは「そうですか」と頷いた。納得してくれたようで、洗濯物を抱え直すと、「それでは」とお辞儀をして去っていった。


 階段を下りリビングへと顔を出せば、出かける支度をしている侯爵さまと鉢合った。


「おはよう」

「おはようございます」

「ちょうど今、呼びに行こうかと思っていたところだったんだ」

「私を、ですか?」

「ああ。昨日から定期市が街のほうに来ていて、せっかくだから一緒に行かないかと思って」


 朝食もついでにそこで食べよう、と侯爵さまは私の手を引いた。


「えっ、あの、私は……」


 優しいけれど強引な侯爵さまの手には、私が拒むかもしれないという選択肢は最初から含まれていないように思って困惑してしまう。

 朝の爽やかな青い風香る世界へと誘われる。軽く私を振り向いた侯爵さまのお顔はとても楽しそうで、続けて言おうとした言葉はそのまま、風に攫われていってしまった。


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