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第2話 舞踏会へ

 ジャックお兄さまはとても聡明で、この家を継ぐものに相応しい人。お姉さまは容姿端麗、すれ違った者誰もが振り向く華やかさのある、美しい人。最後に生まれた私は、賢くもなければ、社交性もない平凡な人間。そんな私は、せめて家の手伝いをして、迷惑をかけないように生き、お父さまとお母さまが願う兄姉の繁栄と幸せを邪魔しない。それが、私がアビントン家で生きる上での約束。不満はない。恵まれたものが何もない私には、勿体ないくらいの生活だと思う。



 いつもは見送るだけの馬車に揺られる。決して目立つことはするな、とお父さまに言われた言葉を頭の中で何度も繰り返した。

 御者の声が聞こえる。ゆっくり止まった馬車の扉が開いて、先に降りたお姉さまの間から見えた王宮の美しさに息を飲んだ。


「目の前にすると、とても、大きいのね。迷子になってしまわないかしら」

「何をボサッとしているの。早くいらっしゃい」

「は、はい」


お姉さまに急かされ、御者の手を借りて馬車から降りる。履きなれない靴と、夜空色をした長いドレスの裾に躓きそうになりながら、シエナお姉さまの背中を追う。舞踏会が始まる前どころか、王宮に入る前に疲れ切ってしまいそうだ。お姉さまはそんな私を振り返り、おかしそうに笑った。



 見たこともないくらい大きなシャンデリアが、これでもかというくらい煌びやかに装飾された天井からぶら下がっている。豪華なダンスホールに開いたきり閉じなくなりそうな口を、何とか奥歯を噛みしめて平静を保つように努めた。

 そわそわと落ち着かない私を気に留めてくれる時間なんてない。国王の登場に、会場をワッと大きな歓声が包んだ。


「本日は、存分に楽しんでくれたまえ」


落ち着き気品のある、老いた声がそう紡ぐ。指揮者がそっとタクトを振れば、華やかな音楽がホール中に響いた。


「皇子さまはどこかしら」


あちこちで、若い女性の可愛らしい声がそう紡いでいる。みんな気持ちはお姉さまと一緒なのだろう。


「ヴィオ、ちょっと」


いつの間にか離れた場所にいたお姉さまが私を手招いている。すぐに、と駈け寄れば、お姉さまはニコやかに私の背中を前へと押し出した。


「ごめんなさい。私の代わりに、妹がダンスのお相手をいたしますわ」

「えっ、あの、」


目の前の紳士は私とお姉さまの顔を交互に見る。状況が飲み込めず、そっとお姉さまを振り返った。


「お姉さま、私、ダンスなんて、」

「大丈夫。こういうのは、男性がリードしてくれるものよ。私は早く、皇子さまを見つけなくてはならないの」

「でも、」

「口ごたえしないでちょうだい。まさか、ただで舞踏会を楽しめると思ってきたの? ヴィオレッタ。あなたは、私のために連れてきたのよ」


ここに来られただけありがたいと思いなさい、とお姉さまは目元を吊りあげて言う。言葉を失くした私を見て、お姉さまは鼻を鳴らすと、紳士へと愛嬌よく小首を傾げた。


「それでは、私は急ぎますので」


ひらひらと手を振り、お姉さまは人混みを掻き分けて進んでいく。あっという間に見えなくなった姿に、紳士はため息を吐くと、せっかくだからと私の手を取った。

 そんなことが三回ほど続いた。ダンスが終わればお姉さまに呼ばれ、その度に紳士のダンス相手にさせられる。慣れない動きに慣れない靴。それは私の足を傷つけ、これ以上はとても踊れそうになかった。


「ごめんなさい、シエナお姉さま。少し人酔いしてしまったみたい。外の空気を吸ってきても良いかしら」

「仕方ないわね。すぐに戻ってきてちょうだい」

「はい」


お姉さまにスカートを軽く摘み上げて、軽くお辞儀をして応える。痛む足を引きながら、ダンスホールを抜けるために人混みを分け入った。一体どこへ行ったら、外へ出られるのかしら。


 お姉さまは、いつもこんな大変な思いをしているのだろうか。そうであるなら、当たりだった外れだったと言いたくもなるだろうし、退屈なパーティーのあとは不機嫌にもなる。

 その苦労を思うと溜息が零れる。それと同時に集中力も途切れた。足の爪先がドレスに引っ掛かり、体が前につんのめる。あっ、と私の口から小さく上がった悲鳴を受け止めてくれたのは、偶然私の前を通りかかった男性だった。前に倒れた体を抱き留められ、真っ白な可愛らしいフリルタイが目の前に飛び込んでくる。


「大丈夫ですか?」

「ごめんなさい、あまり慣れていないもので」


体勢が整うまで添えてくれる手が優しい。他の男性たちと同じような黒の燕尾服に身を包んだその人は、私の体が真っ直ぐになったのを確認すると、ようやく支えていた手を離し、そっとその口元を綻ばせた。


「大変失礼いたしました」

「いいえ。お気を付けて」


 それでは、と互いにお辞儀しあってすれ違う。同じくらいの年齢だっただろうか。スマートな振る舞いに、やはりこういう場所に来る人は、ジャックお兄さまのように心に余裕がある人ばかりなのだろうと思う。最初は戸惑いながらも、私とダンスを踊ってくれた紳士たちもそうだ。最後までお目当てではない私とダンスを踊った彼らを尊敬する。


 ようやく見つけたテラスへの扉。外へ出る直前に上がった歓声に振り返れば、シエナお姉さまが皇子さまに手を取られ、幸せそうに笑っていた。

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