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TR-11 - Sittin' on a Fence [take 2]

 ない。ない、ない、ない。何処だ。いったい何処へいった、俺は確かここに置いていたはずなのに。まさか。まさかあいつが――否、そんなことは。あれほど念を押したというのに――まさか、そんな。

 ただでさえ普段から散らかっている部屋をさらに片っ端から滅茶苦茶に荒らし、ニールは必死になってディスクを捜していた。試写のために先日プラハへと持っていった、あの二枚のDVDディスクである。

 PCデスクの上、モニタの後ろ、抽斗、テーブルの周りや新聞、雑誌の山のなか、ソファの下――思いつく限りの場所を隈無く捜したが、どこにもディスクは見当たらなかった。

 ちくしょう、なんでだと八つ当たり気味に足許に転がっていたなにかを蹴飛ばし――ぱりん、と割れた音にふと見やる。それが、エマがよく花を飾っていた花瓶だったことに気づくと、不意にキッチンのほうから声が聞こえた気がした――もうニール。またこんなに散らかして……ほら、片付けるわよ、あなたもちゃんと手伝って。

「……ちっ、しょうがねえな」

 破片をこのままにしておくわけにもいかない。ニールは溜息をつきながら、滅茶苦茶に荒らした部屋を片付け始めた。


 塵芥ゴミという塵芥をすべてまとめて袋に詰め、酒瓶を放りこんだ箱と一緒に家の裏手に出すと、ニールは何ヶ月かぶりかもしれない掃除機かけをした。新聞や雑誌の束は紐で縛り、あれこれ出しっ放しだったものもきちんと仕舞い、徹底的に片付けた。

 だが、やはり捜しているものはみつからなかった。最後にテーブルを拭き、昔のように輝いているガラスの一輪挿しを元の位置に置くと、ニールはすっかり綺麗になった部屋を眺め――どこか遠くを見ているような表情で、ソファにどかっと腰掛けた。

 ポケットから手巻煙草の入っている銀のケースを取りだし、一本咥えて火をつける。ふーっと煙を吐きながら、手を伸ばしてテーブルの上にある灰皿を取ると、ニールはぐったりと凭れ、深々とソファに躰を沈めた。

 ディスクはコピーで、元データはPCのなかに保存されているから、制作に関してはまったく困ることはない。しかし中身が中身なだけに、紛失したまま放置するわけにはいかなかった。

 もしも、ジェイクが持ちだしたのだとしたら。浮かんでしまう厭な想像を、まさかそんなと振り払いつつ何度もリダイヤルし、メールも送ってみるが、やはりジェイクは応答しない。

 ニールはくそっと毒づいて煙草を揉み消し、また家を飛びだした。


 そして、数時間後。行きつけのパブやレストラン、家の近くのスーパーマーケット、酒屋、駅近くにある新聞スタンドなど、ニールは片っ端から心当たりを捜してみたが、ジェイクはみつからなかった。電話は一度も繋がらず、訪ねてみたフラットも留守だった。

 隣のドアを叩き、出てきた住人になにか知らないか訊いてみると、このところ滞納している家賃のことで大家が毎日のように来ていたという。窓の端、カーテンの掛かりきっていない隙間からなかを覗いてみたが、やはり人気ひとけはまったくなかった。

 隣人に礼を云い、大家の電話番号を尋ねると、メモに書いて渡してくれた。再度礼を云ってフラットを後にし、早速その番号をコールする。電話にでた、想像していたよりも若そうな声の主は、訊いたことにすぐ簡潔に答えてくれた。

 出ていってもらった、どこへ移ったかは知らないということだった。





 来る日も来る日も、ニールはジェイクを捜し続けていた。そのあいだ、何度もロニーからの着信があった。しかし、ジェイクを――失くなったディスクをみつけない限り、電話になどとてもでることはできなかった。

 ジェイクの妻、ミアの実家までつきとめて訪ねてみたが、そこにいたのはミアと子供だけだった。ジェイクの行方を訊いても、もう夢をみるのはやめて真面目に仕事をするという約束を破ったろくでなしのことなど知らないと、けんもほろろだった。どうやら自分と作業をするために仕事を休んでいたことと、その所為で家賃の支払いが滞ったままになり追いだされたのが決定打となり、見切りをつけられたらしい。

 ロニーから預かった金をジェイクにすべて渡してしまい、ニールにはこれ以上、無駄な金を遣う余裕はなかった。

 姿を晦ましたまま自分になんの連絡もないということは、やはりジェイクがディスクを持っていったということで間違いはないだろう。やっと冷静にそう思えるようになり、ニールはジェイクがディスクをどうするつもりなのかという不安を拭い去れないまま、あてもなく捜しまわるのはやめた。そして肝心の映画は、あらためて最初からひとりで編集しなおすことにした。クレジットにジェイクの名前を残さないためである。

 ロニーたちがイビサから戻ってくるまでになんとかしようと、ニールが自宅の作業場に籠もり始めたのはクリスマス――マンチェスターの気温がマイナス十二度まで下がった頃のことだった。


 できるなら昼夜ぶっとおしで作業を進めたいところだったが、そういうわけにもいかない。ニールは日中、記者として自分が担当しているぶんの仕事を熟しつつ、夜は編集作業に没頭した。

 ジェイクとふたりで編集していたときと比べると、やはりかなりの時間がかかっていた。しかも作業できる時間そのものも短く、ディスクのことが気掛かりなこともあって、ニールは焦り、疲弊しきっていた。それでもなんとか地道に作業を進めることができたのは、財布のなかが寂しく、図らずも禁酒状態だったおかげだろう。煙草が吸えないことはしょっちゅうだったが、ビールまで飲めないのは滅多に無いことだった。

 そして一ヶ月半ほどが経ち、なんとか公開できるほうのバージョンが完成した、ある日のこと。

「――なんだ」

『ご挨拶ね。なんだとはなによ』

 何ヶ月ぶりかの、エマからの電話だった。

『ロニーが、あなたが電話にでないって困ってたわよ。なにかあったの?』

「あー……、うん、ちょっとな」

『私がかけたときもでなかったし、忙しいのかもって云っておいたけど。映画のことじゃないの? ちゃんと連絡してあげて』

「わかってるよ。用はそんだけか?」

『用がないと電話しちゃいけないの? どう? ちゃんと食べてる?』

「ガキじゃあるめえし、メシくらい食ってるさ。おまえのほうこそ、周りのモデルなんかと自分を比べてダイエットなんてしてんじゃねえぞ。もう若くねえんだからよ」

『してないわよ、失礼ね。やってるのは健康管理よ。……お酒、飲みすぎてない? いいかげん煙草もやめる気になった?』

「あーうるせえな。そんな話しかねえならもう切るぞ」

『だって。心配なのよ、あなたが。一緒だった頃だってあんなにだらしなかったのに、ひとりだとどんなふうだろうって思っちゃうんだもの……どうせ部屋だって、酷い状態なんでしょう?』

 ニールはデスクチェアから腰をあげ、部屋のなかを見やりながらゆっくりと歩き始めた。少し紙屑などが散らかってはいるものの、部屋はまだ掃除をしたときと然程変わらず、綺麗な状態だったが――

「……ああ、ひでえもんだ。足の踏み場もない。どうしたもんかな」

 そう答え、ふっと笑った。

『もう……やだやだ。想像しただけでぞっとするわ。春になるまでになんとかしなさいよ、虫が涌いちゃうわよ! 私が行ってあげられればいいんだけど――』

「なんでおまえがわざわざ来ることがあんだよ。俺らはもう夫婦でもなんでもねえだろうが」

『……それは、したことでしょ?』

 どんな言葉を返そうか、暫しの間考えこんでいると電話の向こうで声がした。編集長、と呼ぶ声に、エマが返事をしているのが聞こえる。ニールは云った。

「ほれ、仕事中なんだろう。切るぞ」

『待ってよニール。……今度、一緒に食事でもしましょ。近々またかけるわ』

 電話を切り、やれやれとスマートフォンを見つめる顔に、苦い笑みが浮かぶ。

 ニールは踵を返し、奥の作業部屋に戻ってデスクチェアに腰掛けた。

 そして、そのまま手にしていたスマートフォンで、何の気無しにポータルサイトを開いた。まめにニュースをチェックするのが習慣になっているのだ。すると――

「……まさか、だよな?」

 『ジー・デヴィール』という文字がふと目に止まり、ニールは眉根を寄せた。頭に過ぎった厭な予感をごまかそうとするように引きつった笑みを浮かべ、そのリンクをタップする。

 開かれたページを見た瞬間、「なんてこった」という言葉が勝手に口を衝いた。

 目に飛びこんできたのは『ジー・デヴィール、ドラッグとセックスに耽溺する日々』という大きな見出しと、記事本文の上部にある、見憶えのある場面のスクリーンショットだった。瞠目し、スマートフォンを握りしめている手をわなわなと震わせ、ニールはもう一方の手で頭を掻きむしった。

「――なんてこった、ちくしょう……あのクソ野郎、やりやがった……!!」

 小さくてもはっきりとわかる。その画像に映っているのは〈アンカットバージョン〉に収録していた、ルカとテディがソファでじゃれ合っている場面だった。その画面が着信通知に取って代わる。エマだ。きっと自分と同じように、話したあとニュースを見たのだろう。ニールは通話を始めるアイコンはタップせず、そのままスマートフォンの電源をオフにした。

 せっかく、やっと再編集が終わったというのに、このタイミングでまさか。否、どんなタイミングでだって絶対にあっちゃいけないことなのだ。なのにそれが、ジェイクとディスクの行方がわからなくなってからずっと恐れていたことが、現実になってしまった。

 デスクに向かい、ラップトップを開いて『ジー・デヴィール』で検索をかけてみる。それでわかったのは、ありとあらゆるウェブサイトに同じような記事が掲載されていることと、SNSなどでも既に大騒ぎになっていること、動画サイトにあの〈アンカットバージョン〉の映像が六分割され、すべて公開されてしまっているということだった。既に視聴回数もとんでもない数字になっている。

 ニールは想像していた以上の絶望的な事態に頭を抱えた。何故、どうして。いったいなんでこんなことをしたのか。世界中で人気を博しているバンドの、伝説になる映画に携わらせてやったじゃないか。エンドロールに名前を刻むんじゃなかったのか。金に困っていたのはわかったが、あと少し辛抱していれば半端じゃない大金が手に入ったはずなのに、何故。

「もうお終いだ、台無しだ……」

 がくりと躰から力が抜け、チェアに凭れて項垂れる。

 ラップトップの画面のなかで、バスルームから泡を溢れさせたテディが、肚を抱えて笑っていた。





 仕事など、とてもできる気分ではなかった。

 否、もしもペトロールステーションガソリンスタンドとか、肉屋だとかの仕事であったなら、なんとかやれていたかもしれない。しかし、ニールの仕事は記者だった。ローカルな情報誌などを発行している小さな出版社とはいえ、行けば今いちばんセンセーショナルな話題であるジー・デヴィールのことが、其処彼処で取り沙汰されているのは目に見えている。

 彼らと自分との接点は誰にも云っていなかったが、彼らがブレイクするきっかけとなったファッション誌の編集長が自分の元妻だということは、ほとんど皆が知っている。知っているどころか、長くいる同僚たちは結婚披露パーティにだって来ていたのだ。

 もっとも、あの頃は彼女が世界的に有名なファッション誌でその能力を発揮するようになるとも、自分たちが離婚するとも誰も想像もしていなかっただろう。当然だよな、とニールは思った――自分とエマだって、まさか抱きあって喜び、祝杯を挙げたほどのことが原因で離れることになるなんて、思いもしなかったのだから。


 チケットが安いと人気の長距離バスコーチを利用し、ニールはロンドンへと向かっていた。ヴァージン・トレインズなら二時間ほどで着くが、チケットは四十ポンド以上かかってしまう。だがメガバスを利用すれば十ポンドほどで済む。そのかわり移動には約五時間もかかるが、急ぐ必要はニールにはなかった。

 誰かが待合に棄てていったタブロイドペーパーを持ちこみ、時間潰しに広げてみたが――それを後悔するのに十秒とかからなかった。一面トップを飾っていたのはジー・デヴィール、ルカとテディとユーリ、三人の写真だった。品性の欠片もない煽り文句に思わず舌打ちし、乱暴に一枚捲ったが、そこも同じくジー・デヴィール一色だった。

 『Zee Deveelジー・デヴィール The Raw Filmザ ロウ フィルム』とタイトルをつけられ、動画サイトで公開されてしまった〈アンカットバージョン〉についてだけでは飽き足らず、有ること無いこと片っ端から書き殴ったような記事に、ニールは心底肚立たしさを感じた。

 忌々しい気分で唾を吐き棄て、力任せにぐしゃっと丸める。どこかへぶん投げてしまいたかったがそうもいかず、ニールは足許に転がすと、目に入らないよう前のシートの下へ爪先で押し出した。


 ヴィクトリアコーチステーションに到着すると、ニールはエリザベスストリートをぶらぶらと歩きながら、恐る恐るスマートフォンの電源を入れた。途端にEメール受信の通知が忙しなく表示されたが、すぐに着信音が鳴り響くようなことはなかった。きっとロニーもそれどころではないのだろう――彼女とバンドに対しては申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、とりあえず今は電話がかかってこないことにほっとする。

 メールのチェックはせず、ニールはエマの番号をコールした。彼女はすぐに電話にでたが「ちょっと待って。いい? 絶対に切らないでよ!」と云い、暫しのあいだ待たされた。人のいないところに移動しているのだと察し、自分も車と人の往き交う広い通りから路地に折れた。

 少し進み、小さな図書館らしい建物を囲んでいる鉄柵に背をつけ、しゃがみこむ。

『――ニール! あなたいったいなにをしたの!? あの動画はなんなの、いったいどういうことなのよ!』

 電話に戻るなりそう云われ、ニールは思わず顔を顰めた。

「がなるなよ……俺じゃねえ。いや、俺が悪いのには違いないんだろうが……俺もこんなことになるとは思わなかったんだ。俺だってどういうことか教えてほしいさ、こんなはずじゃなかったんだ……」

『ええ? なに、さっぱりわけがわからないわよ。あなた、ほんとに――』

「待て待て。話はあとにして……会えないか。今ロンドンに来てるんだが」

『ロンドンに? ……またお金?』

 待ち合わせる場所を決め、電話を切ると――ニールは苦虫を噛み潰したような顔で、くそ、と毒づきながら歩きだした。

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