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第35話 魔樹 

 ◆ 


 山本の背中が、不気味に蠢き始めた。


 まるで沸騰した液体のように肉が波打ち、そのたびに膨らんでは萎み、さらに全体の輪郭も変容していく。


 ──こ、れは


 不味いとおもい、三崎が山本を止めようと前に出ようとした時、地を這う様な影。


 イエロー・パイソンだ。


 山本に向かって跳躍する。


 しかし三崎はその動きを制止しない。


 麻痺毒で山本を止められるかもしれないと判断したのだ。少なくとも、あの怪しい果実をこれ以上口にさせるわけにはいかない。


 それに何より、イエロー・パイソンからは殺意めいたものは感じられなかった。


 だが──


「山本さん!?」


 麗奈の悲鳴染みた声があがった。


 三崎は言葉もない。


 山本は跳びかかってきたイエロー・パイソンを片手で掴み取ると、あろうことか獣のように歯を立て、その胴体を食いちぎったのだ。


 イエロー・パイソンは黄色い光の粒子となって消えていく。


 最期の瞬間、三崎は痛ましいほどの哀しみをその瞳に見た気がした。


 ここへきて三崎の中の山本への友情は、自身と麗奈の命を守るという更に優先度の高い想いによってマスキングされた。


「山本、悪いけど」


 殺す、とまでは流石に口に出す事はできなかった。


 ──でも、殺る


 決意を固めた瞬間、背を向けていた山本がこちらを振り返った。


 ・

 ・

 ・


 それはもはや山本であって山本ではなかった。


 体は歪に膨れ上がり、皮膚は半透明になって内部の血管や筋肉が透けて見える。


 目は白濁し、口は裂けたように大きく開き、黒ずんだ歯茎が剥き出しになっていた。


 もうだめだ、と三崎は思った。


 何がもう駄目なのかは三崎自身にも分からない。


 山本の変容の危険性を看過出来ないという事なのか、それとも変わっていく友人の姿を見たくないという意味なのか。


 三崎がタイガー・ゴブリンへの思念を送ろうとした時、山本の体は更に膨張を始めた。


 まるで風船のように、皮膚が限界まで引き伸ばされていく。


 ──あれ、これってもしかして


 膨らむとくれば、次は。


 三崎は直感的な危機感を覚えた。


「下がれ麗奈! 逃げろ!」


 三崎は叫び、麗奈を連れてその場を離れようとする。しかしその時──


 喉に水を詰まらせたような、かすれた声が聞こえた。


 何を言っているかは聞き取れない。


 三崎の足が一瞬止まる。


「お兄ちゃん!」


 だが麗奈の叫びで我に返った。


「くまっち!」


 麗奈の声に反応して、アーマード・ベアが二人を庇うように立ちはだかり、その懐に招き入れる。


 山本の体は今にも爆発しそうなほどに膨れ上がり──


『お゙、がぁざ、ん』


 今度はきちんとそう聞こえた。


 次瞬、水風船に針を突き刺したかの様に、山本は弾けて死んだ。


 ・

 ・

 ・


 ──くまっちって


 三崎の口の端が、それとは分からぬほどにうっすらと弧を描く。


「くまっち」という名前の可愛らしさが妙に滑稽に感じられたのだ。


 僕って情が薄いんだろうか、と三崎は思う。


 だがすぐに、ああなるほどと納得した。


 これは "バランス" を取っているのだと気付いたのだ。


 親友と呼べるほどの仲ではなかったはずなのに、この状況に深い悲しみを感じている。


 その感情を和らげようと、無意識に些細な面白さに目を向けようとしているのだと。


 そんな自分の心の動きがまるで他人事の様に、しかしはっきりと理解できた。


 ──じゃあ、つまり


「悲しいな」


 三崎は疲れた様に言った。


「うん」


 応える麗奈の声も、酷く疲れている様だった。


 ◆


 ──誰がこんな事を? 


 こんな世界に誰がした? というのも陳腐な言い草だが、三崎の胸中にはこの一連の騒動というか、世界の変容に対する怒りが沸き起こってきていた。


 ある日突然、空想上の存在が現れて人々を襲って、あまつさえ友人も殺して。


 誰か、あるいは何かの思惑でこんな事になっているのだとしたら、その存在に対して責任の所在を求めたいという想いがあった。


 自然災害か何かのせいだとは思いたくはなかった。


 要するに、三崎は拳の振り下ろし先を求めていたのだ。


 三崎はふと件(くだん)の奇妙な木へ目をやった。


 アレをぶち壊せ、という酷く刺々しい思念をタイガー・ゴブリンに送る。


 タイガー・ゴブリンは三崎の荒々しい感情を直接受け取ったかのように、その全身を震わせた。


 普段の落ち着いた三崎からは想像もできないような激しい怒りと憎しみが、タイガー・ゴブリンの体を駆け巡る。


 赤黒く変色したマナが三崎の体から漏れ出て、それがタイガー・ゴブリンに絡みついている。


 タイガー・ゴブリンは両眼を血走らせ、獣のような唸り声を上げながら、一気に木に飛びかかった。


 鋭い爪が幹を抉り、樹皮が剥ぎ取られていく。


 枝を折り、幹を引き裂き、根こそぎ引き抜こうとするような激しさだった。


 ここまでさせた三崎だが、何か考えがあっての事ではない──言ってしまえば八つ当たりの様なものだ。


 やがて木は倒れ、まるでモンスターが消えた時の様に光の粒子となって空へと還っていった。


 麗奈は三崎に何と声をかければいいのか分からなかった。


 代わりに、後ろから静かに三崎を抱きしめる。


 荒い息遣いを繰り返していた三崎だったが、次第に落ち着きを取り戻していった。


 先ほどまで体から漏れ出ていた赤黒いマナも、今は見えない。


「ごめん、麗奈」


 三崎の謝罪に麗奈が「気にしないで」と告げようとした時、周囲の景色が変容し始めた。


 まるで古い写真のように、色が抜け落ちていく。


「お、お兄ちゃん!?」


 麗奈の慌てた声に、三崎はぎゅっと妹の手を握り締めた。


 そして──


 ◆


 気が付くと、二人は見知らぬ場所に立っていた。


 黒い鉄柵に囲まれた広場のような空間。


 公園というよりは休憩所だろうか。


 周囲の看板などを見る限り日本である事は間違いないようだ。


 広場の周りには古典的な建築様式のビルと現代的な高層ビルが混在して建ち並んでいる。


「銀座、かな?」


 麗奈が自信なさげに呟く。


「そうなの?」


 三崎は周囲を見渡すが、さっぱりよくわからない。


 それよりも気になるのは、広場の中央に鎮座している真っ黒な石碑だった。


 ──お墓、じゃないな。モノリスとかそういう系かな


 そして何より不気味なのは、銀座のはずなのに人影が一つも見当たらないことだ。


「もしここが銀座なら、僕らは一瞬で移動したことになるけど……」


 だからといって余り驚きがないのが三崎には少しおかしかった。


 ──色々な事が一気に起こりすぎて、なんだかちょっと麻痺してるのかな


 三崎はそんな事を想いながら石碑へと近づいてみようとする。


 だが。


「危ないよ、お兄ちゃん」


 麗奈の言葉を受けて、足を止める。


「まああの木みたいなモノかもしれないしね……でも、いきなりこんなところへ連れてこられて、目の前にあんなのがたっていたら……やっぱりこう、調べてみるのが正規ルートというか……」


 これが三崎の言い分だ。


 麗奈もその辺の理屈が分からないでもないが、それでも山本の事もある。


 どうしようか、と二人で途方に暮れていると──


 ──『 "最初の魔樹" を破壊したものが現れた。ゆえに次の試練を与える』


 そんな声が頭の中に響いた。


 どんな声、とはっきりとは言えない。


 夢の中で聞くような、ぼんやりした色の無い声だ。


 ──『覚醒者よ、魔樹を壊せ。これより3600粒もの砂が零れ落ちた時、ナカノの地は切り離されるだろう──他の地もそれに続く。覚醒者よ、魔樹を破壊せよ』



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