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帰路。
道路の至る所に死体が転がっているというわけではないが、探そうと意識すれば一体、二体は見つける事が出来る。
そういった遺体は決まって酷く損壊していた。
家々も震災のように軒並み倒壊しているというわけではないが、玄関のドアが壊されていたり、窓が割れていたり。
真っ白なシーツの各所に、点々と血が染みているような──三崎はそんなイメージを抱いた。
幸いにも敵対的な人間、あるいはモンスターとの遭遇はなかった。
この点三崎は内心で胸を撫でおろしている。
ゴブリン・ジェネラルは三崎の手札の中で一番強力だが、まずゴブリンを召喚し、それらを合成し、更に魔石を使用して進化させるという手順を踏まねばならない。
有無を言わさず攻撃されれば、抗う間もなく殺されると言う事も十分にあるのだ。
そうして警戒しながら家路を急いでいる内に、三崎はある事に気付いた。
──そういえば、あの "霧" がないな
霧。
学校を覆う様にして立ち込めていた灰色の霧だ。
脱出の際は霧が晴れていたが、モンスターはその中から現れていた……と三崎は考えている。
──もしその考えが正しかったとしたら、霧を見かけたら避けないと……
三崎はそう思い、チラと足元を見る。
念のためにゴブリンを二体召喚しているのだが、一体は周囲を警戒しているのに対し、もう一体はどこかぼんやりとしているというか、のんべんだらりと歩いていた。
「ゴブリンにも個性があるのかな」
言いながら、三崎はいくつかの名前を考える。どうせだったら名づけをしてもいいかもしれない、と思ったのだ。
「ゴブ太郎、ゴブキチ……うーん」
どれもこれもぱっとしない。
「考えてみたら、卑しき尖兵っていうのもちょっと酷いよね」
三崎がゴブリンに尋ねる様にして声をかけると、慎重な方のゴブリンが三崎を一瞬見上げた。
まあ目線を合わせただけだが、三崎にはそのゴブリンが「そう思うなら良い名前を考えてくれよ」と言っている様に思えた。
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歩いているとやがて自宅の屋根が見えてくる。
青い屋根の家──どこにでもありそうな平凡な家だが、どれほどここへ帰りたかったか。
急ぎ足で向かおうとしたその時、呑気に歩いていた方のゴブリンが低い濁った声で「ギッ」と鳴いた。
「……どうした?」
三崎が声をかけると、もう一体の慎重なゴブリンもピタリと動きを止め、前方を鋭く警戒し始める。
何かがいるのだ──危険な何かが。
三崎は息を呑み、慎重に歩を進めていく。
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家の前に、"それ" は立っていた。
「……熊?」
だが、ただの熊ではなかった。
全身を銀色に輝く金属質の毛に覆われ、まるで鎧を纏っているように見える。
その身の丈は目測で3メートルほど──バスケットボールのリングほどの高さだ。
獰猛な双眸が鋭くこちらを睨み、口からは牙が覗いている。
その威圧感は並大抵ではなく、三崎は本能的に身の毛がよだつのを感じた。
──『レア度5/唸る銀鎧のアーマード・ベア/レベル1』
熊は低く唸り声を上げた。雷鳴のように重く腹に響き渡る声だった。
金属質の毛が光を反射して鈍い輝きを放っている。
アーマード・ベアはこちらを完全に捕捉しているようだ。
しかし近づいてくる様子はない。
三崎は額にじっとりと汗を滲ませながら、懐の魔石に手を触れた。
ゴブリン・ジェネラルを呼ぶべきか?
だが、合成の時間を稼げるかどうかすら怪しい。
モンスターではなくても、熊は速いのだ。
50m走を3秒程度で走り抜ける程度には。
モンスターの熊なら一体どれほど速いだろうか。
倍か? あるいはその倍?
三崎は少なくとも普通の熊より遅いとは思えなかった。
ならばタイガー・ゴブリンに合成するべきか?
──時間くらいは稼げるかもしれない。でも
ここで逃げてどうするというのか。
三崎が肚を決めた、その時。
「お兄ちゃん!」
そんな声が響いた。
爽やかな溌剌さの中に、幼い甘さがある。
なんというか、夏場に飲むラムネを思わせるような──三崎の妹である『三崎 麗奈』の声だった。
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「無事で、ほんとによかった……」
麗奈はそういって三崎に抱き着いて、胸元に顔をこすりつけた。
三崎は横目でアーマード・ベアを見て、視線を麗奈に戻す。
そう、この恐るべき怪物は麗奈の召喚モンスターなのだった。
──昔から何でも小器用にできると思ってたけど、まさか "こっち" の才能もあったなんてなぁ
三崎 麗奈は何かと地味な兄と違って、何でもかんでも人並以上にこなしてしまう、いわば才女であった。ついでに言えば外見も優れている。
分かりやすく言えばクール系美少女だ。
真っ直ぐで涼しげな切れ長の目も薄めの唇も、肩までの艶やかなストレートの黒髪も。
派手さはないが品がある。
そんな彼女は、兄である三崎とそれ以外の者で態度があからさまに違った。
三崎に対してはこの様に甘え倒しているが、他の者たちには端的に言えば塩対応なのだ。
まあ、その冷たさが良いと言う者もそれなりにいるのだが……。
ともあれ。
「ただいま」
そんな三崎の言葉に麗奈は
「おかえりなさい」
と返した。