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第23話 惨劇


 嫌な予感というモノは往々にして的中してしまうものだ。


 相田がじり、と後退った瞬間。


 マ・ヌは大きくのけ反り──


「ぎゃああああ!!」


 鋭い嘴が室井の肩に食い込み、次の瞬間には血しぶきが飛び散る。


 室井が絶叫を上げながら倒れ込むと、そのまま他のマ・ヌたちが室井に群がり、その鋭い嘴で彼を啄んでいった。


 相田の召喚モンスターであるワーカー・ビーはマ・ヌによって羽を引きちぎられ、まるで芋虫のように地面をのたうちまわっている。


「うわああああっ! 誰か、助け──!」


 次々に襲われる生徒たち。


 屋上はたちまち地獄絵図と化し、生徒たちは恐怖に駆られて四方へと散ろうとするがしかし、逃げ場などどこにもない。


 いや、一つだけあった。


「い、嫌……」


 一人の女子生徒、今井 雫が首を振りながらフェンスの方へと後退っていく。


 雫は先月付き合ったばかりの恋人、尾田 昇平が少しずつ "形を崩す" 所を目の当たりにして、精神の均衡を大きく崩していた。


 形、すなわち人間の形──それがマ・ヌによって崩されていく。


 マ・ヌの嘴が昇平の左肩に突き刺さる。


 硬い骨が砕ける音が肉の弾ける音と混ざり、耳障りな音響となる。


 嘴がぎちぎちと引き裂くように肩の肉を抉り、黒ずんだ血が噴き出す。


「ぐ……あぁっ……!」


 尾田は喉を振り絞るような声を漏らした。


 だが、それは叫び声というには弱々しく、喉に詰まった空気が漏れるような音だった。


 愛する恋人の血の臭いと苦悶の表情を、雫は生来の丸くて大きな目を更に大きく広げて凝視していた。


 次の瞬間、マ・ヌがその嘴を引き抜くと、赤黒い肉片をくわえたまま甲高い声で「キキキキ」と嗤った。


 まるで肉の味を楽しむかのように、喉を鳴らしながらそれを飲み込む。


 その様子を見て、雫は硬直した。


「昇平くん……?」


 彼女の声は震えている。


 しかし、その声が彼に届くことはない。


 また別のマ・ヌが再び降り立ち、両の手の鋭い爪の先端を尾田の胸部に触れさせた。


 そして、そう、まるで "扉を開ける"かの様に──マ・ヌは尾田の胸を開いていく。


「いや……いやだ……!」


 血、肉、骨。


 どれほど愛し合い、心と体を重ね合っている恋人同士でさえも中々見る事がない体の内側。


 それが雫の眼に幻想の痛みを伴いながら焼き付いていく。


 マ・ヌの爪が胸の奥から臓器を引きずり出していった。


 肋骨の隙間から心臓が垣間見えるが、次の瞬間、鋭い嘴の先端がそれに突き刺さった。


 そして咀嚼音。


 マ・ヌは尾田の心臓を喰っているのだ。


 喉を鳴らし、とても美味そうに貪っているのだ。


「……あ、ぁぁぁ……」


 雫の股の間から生暖かいものが溢れだし、内腿をつたい、地面へと染み込んでいく。


 涙を流し、それでも何もできずに尾田が壊れていく様から目を離す事が出来ないでいる。


 マ・ヌたちは尾田の肉を啄み続けた。


 尾田の頭部へと嘴が叩きつけられ、骨が砕け、粘ついた音を立てて脳が抉られる。


 尾田は生前、雫の前では良くはにかむ様な笑みを見せていたものだが、白目を剥いたその顔はもはや欠片の面影も残さない。


「いやああああっ!!」


 雫は絶叫しながら後ろへ下がり、屋上の端の腰くらいまである壁に背をぶつける。


 そうして何を思ったのか、壁をよじ登って──


 最期に尾田の死体に一瞥くれて、屋上から飛び降りた。


 ◆


 三崎たちは屋上から黒い影が落ちていく所を慄然として見ていた。


 屋上の上空では猛禽類が獲物を探すように、くるくると何かが旋回している。


「あれは……」


 三崎が押し殺した様に呟くと──


「やめとけ。間に合わねえし、見えるだろ? 奴ら、あの豚共並みにヤバい」


 陣内が三崎の肩に手を置いて不機嫌そうにそういった。


 そう、三崎たちにはあの影がモンスターであることが分かるし、そのレア度、レベルも視えるのだ。


 確か、と三崎はオークたちの事を思い浮かべた。


 ──『レア度3 / 暴食のオーク・ウォリアー / レベル3』、だったかな。つまり数字上ではオークより強いってことになる


 あと少しで学校を脱出できるというのに、ここで命の危険をおかしてまで助けに行く必要があるのかどうか。


 三崎の頭の中の冷たい部分は否、と告げている。


 自分の命ですら護る事が出来る保証がないというのに、他人の命をどうこうなどいっそ傲慢だとすら思う。


 だが──


 三崎は見捨てるべきだと理屈では理解していたものの、いつのまにか頭の中で計算をし始めていた。


 それは命の計算だ。


 どこまで命を張れば可能なかぎり助ける事が出来て、更に自身も逃げのびる事ができるだろうかという計算だ。


「三崎君、まさか屋上に向かうなんて言わないよね……?」


 絵里香がそういうと、三崎は困った様に苦笑を浮かべた。


「その、まさかかも。でも皆にはついてきて欲しいとは言わないから。先生は助けに行くみたいだけど、一人じゃ無理かなと思ってね。僕は色々小細工が利くから、もしかしたら何かの助けになれるかもしれない」


 三崎が言うと、絵里香はイヤイヤをするように首を振った。


「駄目! 絶対駄目! いまから校舎に戻るなんて絶対間に合わないし、折角命がけでここまでこれたのに……それにあの怪物だって凄く強いやつじゃん! レア度4って、あの豚の怪物よりも強いってことでしょ!?」


 しかも空まで飛ぶ、と三崎は心の中で付け足す。


「危なくなったら流石に逃げるよ。僕だって家族が心配だし」


 ──それに、こういう場面であっさり他の人を見捨てる判断をしたら、いざという時皆に助けてくれなくなるかもしれないし


 内心の声はおくびにも出さず、三崎は絵里香の肩に手を置いた。


 冷たく現実的な打算を小賢しく巡らせ、それでもなお可能なかぎり良心に従った判断をする。そしてそうと決めたら、あとはやるだけなのだから "普通に" やる。 例え命がけになろうがなんだろうが、そうすると決めた事に対してあとから右顧左眄(うこさべん)したりしない──それが三崎という青年の気質だった。


「というわけで先生、僕もいきます」


 三崎は緊張も見せずに誠子へ言った。


 心の中では既にデッドゾーンを定めている。


 これだけ危なくなったら、誠子を見捨てて逃げ出そうというラインだ。


 だから気負いもなにもないのだ。


「三崎くん、あなたは──……」


 誠子が三崎に何かを言おうとしたとき、「いや、その必要はねえみたいだぜ」と陣内が言った。


 なぜならば──


 ・

 ・

 ・


 くん、とマ・ヌたちが鼻をひくつかせる。


 どこからか強い意思──マナに満ちたかぐわしい香りがしてくるではないか。


 絶望と諦念に満ちたマナの味も悪くはないが、何より美味なのは強靭な意志を持つ者のそれだ。


 そうして、マ・ヌたちの一体が空へ飛びあがり、周辺を見渡して──


 三崎達の姿を認めるなり、カチリ、カチリと嘴を鳴らした。







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