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「水の癒し……?」
視線を横に向けると、セイレーンが面倒くさそうな表情を浮かべていた。
まるで「さっさと命令しなさい」とでも言っているかのようだ。
「お願いッ……この人を治して!」
真由が叫ぶと、セイレーンは先ほどとは違って首を振ったりせず、傷ついた保育士の女へとそっと触れる。
指先から輝く水が溢れ、女の体を包み込んでいく。
癒しの効果は覿面であった。
女の体に刻まれた深い裂傷がゆっくりと塞がり、血の流れが止まっていく。
「……すごい……」
子供たちも目を輝かせてその様子を見ていたが、不意に真由の背後を見た。
「え?」
と真由が振り返るとそこには──
空に幾つもの影が見えた。
──『レア度2/悪辣に嗤うリトル・インプ/レベル2』
小柄な体に翼を持つ小悪魔たち──リトル・インプだ。
三叉槍を持ち、瞳には飢えた獣のような光が宿っている。
「ここを襲う気ね……!」
真由は「セイレーン、あの歌でお願い出来る?」と言うが、セイレーンの唇は開かれない。
女の治療は終わっているようだがしかし、様子がおかしい。
セイレーンは無表情でリトル・インプたちを見上げているが、真由にはセイレーンの焦りの様なものが感じられる。
その理由は何だろうかと考える間もなく、真由は 強い"乾き" を感じた。
喉の乾きではない。
もっとそう、根源的なものだ。
それをはっきり意識した時、セイレーンの頭上に "文字"が浮かんだ。
──『セイレーンのスキル、 "誘惑の調べ" を使用する為のマナが足りません。魔石を使用して回復してください 』
「え!? 石? 魔石って何!?」
真由が狼狽える。
魔石が何かを真由は知らないのだ。
だが──
「こ、これ……?」
子供の一人が淡く輝く石を掌にのせ、真由に差し出す。
子供が隠れていた瓦礫の中から見つけたものらしい。
真由は "足りないのはこれだ" と感じた。
そして「ありがとう……!」と礼を述べて魔石を握りしめる。
すると石は砕けて光の粒となり、セイレーンに吸い込まれ──唇が静かに開かれる。
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言葉は分からない。
だがそれは確かに歌だった。
物悲しい調べが周囲に響き渡る。
これはセイレーンのスキル "誘惑の調べ"だ。
敵対者の精神に干渉し、狂わせる。
狂い方は歌を聴いた者次第。
ある時には憤激で狂い、またある時には悲憤で狂う事もあるだろう。
狂った後は千差万別で、自死を選ぶ個体もいれば仲間に襲い掛かる個体もいる。
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リトル・インプたちが突如として苦悶の表情を浮かべた。
「キイィィ……!」
翼を震わせながら、耳を押さえるようにして身を捩る。
ついには仲間割れを起こし、空中でぶつかり合い、翼を傷つけられながら次々に墜落していく。
そして最後の一匹──ふらふらとした軌道でこちらに向かってくる個体を、真由は肩で息をしながら睨みつけた。
呼吸が乱れている原因は、疲労ではなく緊張ゆえだ。
真由は "何もかもセイレーン任せには出来ない "と思い、咄嗟にさきほどテコに使った鉄棒を拾う。
勿論真由には武道の心得等はないが、気持ちだけでも共に戦うつもりだった。
セイレーンが強力なモンスターだと言う事は真由にも理解できているが、それでも限界がある事もわかっている。
出来る事は出来るし、出来ない事は出来ないのだ。
この時真由は、セイレーンを単なる駒ではなくて共に戦う仲間として見ていた。
仲間なんだから一緒に戦うというのは、彼女の中では至極当然の事だった。
ただ、まあ仮にそんな事になれば確実に足手まといにしかならなかっただろうが──
「あ……」
最後の個体が地面へと落下していった。
大分傷ついていた様で、こちらへ向かってくる途中で力尽きた様だ。
「よかったぁ……」
その場にへたりこむ真由。
「お姉ちゃん!」
「大丈夫!?」
そんな彼女に、子供たちが群がってくる。
保育士の女はまだ気絶しているが、じきに目が覚めるだろう。
そうして、情けなくへたりこむ真由を、セイレーンは興味深そうに見ていた──
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一方、三崎と誠子は体育館へ向かい、絵里香らと合流をはたしていた。
無事に生きて合流出来た事を喜び合うのも束の間、学校から脱出するという目的の再確認、そしてそのために必要な行動を話し合っている。
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「やっぱり魔石がキーって事かぁ」
体育館の床に座り込む山本が、チロチロと舌を出すイエローパイソンの頭を撫でながら呟く。
三崎は自身が得た情報を開示していた。
すなわち、魔石によるパワーアップや、クールダウンの減少諸々の事を。
「ゴブリンしか召喚出来ないって知った時はひやっとしたけどね」
そんな三崎の言葉に、「小細工が似合ってるって事なんだろ」と陣内が悪びれずに答えるが、表情には柔らかいものが混じっていた。
「陣内君も三崎君が助かって嬉しそうじゃん」
戸田 杏子が陣内の表情を見てそんな事を言った。
陣内は答えない。
本心としては是だが、それを素直に言うのもどこか気恥ずかしい思いがあった。
三崎が戻らなかったら見捨てて逃げようと提案していた──そんな後ろめたさもある。
そんな想いをごまかす様に──
「で、どうするんだ?」
陣内が静かな声で切り出した。
「これからの話だ。変更はないよな? 全員がクールダウンが終わるのを待って、ここを出る。他に案がある奴はいるか?」
誰も声をあげない。
陣内が頷く。
「決まりだ」
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クールダウンを待つ間、三崎は妹である麗奈の事を考えていた。
勿論親も心配は心配だが、両親はそろって出張中だ。
出張先がどうなっているのかは気になるものの、当面は自身と同じ様に "これ" に巻き込まれたであろう妹の事が心配だった。
「三崎君、大丈夫……?」
気付けば絵里香が隣に座り、三崎の顔を覗き込んでいた。
「うん……いや、大丈夫じゃないかな。妹が心配で……」
三崎が言うと、絵里香の表情が曇る。
彼女もまた自分の家族が心配だった。
「お母さん、お父さん……大丈夫かな」
絵里香はそう言って、制服の袖で目元を拭う。
大丈夫だよ、などという無責任な事は三崎には言えない。
この先どうなるかなんてこれっぽっちも分からないのだ。
しかし、この先どうなるかはわからなくても、何をすべきかは分かる。
「まずはここを出て行こう。皆で力を合わせて。後の事はここを出たら考えようよ」
三崎の言葉に絵里香は頷く。