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その頃、秋葉原では新田 真由が三崎の元へ向かうためにあらゆるルートを模索していた。
裏道、脇道、モンスターの姿が少ない場所を選んで進んでいく。
バスでも電車でも何でもいいから、交通機関が使えれば何てことの無い距離。
しかしその何てことない距離を進むために、真由は全神経を集中している。
いつ何時、何が起こるかわからないのだ。
戦闘は避け、出来る限り余力を残したい。
それは真由にも良くわかっている。
──なのにッ……
真由は足をとめてしまう。
視線の先には崩壊した幼稚園。
小さな滑り台は無残にねじ曲がり、砂場は瓦礫の下に埋もれていた。
建物はほぼ崩れ落ち、屋根材や壁の破片が園庭一面に散乱している。
地面には至るところに赤黒い何かが染みついていた。
それが意味するところは明らかだ。
しかし、万が一生き残りがいたとしたら?
その可能性を真由は捨てきれない。
自身にも余裕はないという事を分かってはいるのにだ。
ふらふらと吸いよせられるように、真由は幼稚園へ向かい──そして、聞いた。
瓦礫の中から微かな声が聞こえてきたのだ。
──「……た、助けて……」
小さく、か細い声。
それでも真由はすぐにそれが生きている誰かの声だと理解した。
「大丈夫、すぐ助けるから!」
瓦礫の山へと駆け寄り、真由は声の主を探す。
だが積み重なった屋根材や梁の破片は厚く重く、簡単には動かない。
汗をぬぐい、ふと隣に目をやる。
そこには、淡い青い光を放つ『蠱惑に歌うブルー・セイレーン』が静かに浮かんでいた。
蒼い鱗に覆われたその姿は神秘的で美しい。
しかしその瞳には冷ややかな光が宿っており、真由を静かに見つめ返している。
「……あなたも手伝って!」
真由がそう言うと、セイレーンは一瞬だけ目を伏せる。
まるでため息をつくかのような所作だ。
だが真由が瓦礫に手をかけると、それを見たセイレーンも動き始めた。
優雅な腕からは想像も出来ないほどの膂力があるのか、瓦礫の一部を軽々と持ち上げる。
だが、怪力無双というわけでもないらしい。
「凄い……この一番大きいやつをどける事はできる?」
真由が尋ねると、セイレーンは静かに首を振った。
モンスターの多くは身体能力に於いて人間を凌駕するが、それでも青天井というわけではない。
どうしたら、と周囲を見回した真由は、園庭の隅に放置されていた鉄棒を見つける。
──あれを使えば……
鉄棒を瓦礫の下に差し込み、梃子の原理で重い破片を動かそうとした。
だが、力を込めてもなかなか動かない。
しかしセイレーンはそんな真由を見て、「なんで私が」とでも言いたそうにゆっくりとその手を鉄棒に添え──
大きな梁がずり落ち、その下から微かに揺れる影が見えた。
瓦礫の下にいたのは、血だらけの保育士らしき女と泣きじゃくる子供たちだった。
女は全身傷だらけで、それでも腕の中の子供を必死に守っていた。
「よかった……間に合った……!」
真由は女性の肩に手を置き、「大丈夫、もう安全だから」と優しく声をかける。
だが彼らを見つめる真由の表情には、焦りが浮かんでいた。
──……このままじゃ……助けられないかもしれない……
女の傷は深い。
だが、治療の手段がない。
真由は再びセイレーンに目を向けた。
「ねえ……治せたりとか、しない?」
淡い期待を込めて問いかける。
だが、セイレーンは静かに首を振り、冷ややかな瞳で彼女を見つめるだけだった。
──やっぱり、そんな力はないんだ
セイレーンの瞳に宿るのは、どこか試すような光。
冷たいは冷たいが、単に見捨てるというようなものではない。
真由には、セイレーンの瞳の光はどこか面白がっているようなそれに見えた。
なぜそんな事に気付かないのか、とでもいうような、愚か者を嗤う様な──
そこまで考えた所で、真由は "自分には一体何が出来るのか" と思い至る。
まるでゲームの様に "召喚" が出来ているではないか。
完全ではないものの、人外の存在であるセイレーンとの意思疎通も出来ているではないか。
もしかしたら、自分には "それ以上" の事も出来るのかもしれない。
そう思ったのだ。
それがトリガーとなった。
自身の心の奥底から滾々(こんこん)と湧き上がってくるモノがある。
新田真由の根源とも言えるような護念の想い。
子供たちが泣きながら助けを求めている。
守らなければならない──その思いが真由の殻を一枚破った。
「水の、癒し……?」
真由が呟く。
そんな言葉が頭の中に浮かび上がってくると、傍らでぴちゃんと音がする。
目を遣れば、セイレーンが真由を見つめていた。
視線は相変わらず冷ややかだ。
しかしセイレーンの瞳には、どこか満足げな光が浮かんでいるように見えた。