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三崎が光明を見出した頃、別の場所では別の戦いが繰り広げられていた。
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銀座の街を覆う灰色の霧。
その中で、ホームレスの男が静かに立ってる。
男の名前は黒田 仁。
折り目が完全に無くなり、所々ほつれがみえる薄汚いスーツを着ている。
顎、頬と髭は伸ばしっぱなしで、どこからどうみてもこれぞホームレスといった風体だった。
しかしそんな黒田も、かつては大企業の社長専属ドライバーとして高給を受け取っていたのだ。
黒田は思い出す。
社長に反感を買い、理不尽に解雇されたあの日。
それからは何をしても再就職が叶わなかった。
社長が裏で再就職を妨害しているんじゃないかと勘ぐったこともあったが、真相は定かではない。
黒田は銀座の本社へ出向き社長に許しを乞うが──黒田の元雇い主は決して彼を赦さず、元同僚たちも彼が追い返される様子を鼻で笑い、背を丸めて去っていく黒田を「哀れだ」と嘲った。
生活保護に頼るという手もなくはなかったが、古い価値観のせいでふんぎりがつかない。
まだ自分はそこまで落ちていないという思いがあったのだ。
そんな彼が "覚醒 "したのは、突然現れた緑色の肌の怪物に襲われそうになった瞬間だった。
「……あの時、俺は確かに死ぬはずだった」
鋭いかぎ爪が自身に迫ってきたあの時、自身は何を思ったのか。
今でもまざまざと思い出せる──それは復讐の念だ。
──死ぬのはいい。でも、あいつらより先に死ぬのはごめんだ。あいつらを地獄に叩き落としてから死にたい
恨みつらみが死の間際で爆発し、そして体の奥底で眠っていた力が目覚めた。
黒田は生まれ変わったのだ。
「今はお前らが死にそうになってるな」
黒田は鼻で嗤う。
彼の周りには、怯えた表情の人々が震えながら跪いている。
「頼む……助けてくれ……!」
「俺たちは……間違ってた……許してくれ……」
かつて彼を嘲笑していた者たちが、今は命乞いをしている。
だが黒田は冷たい目で彼らを見下ろしていた。
「お前らが俺にしてきたことを、忘れたわけじゃないよな?」
その言葉に震える彼らの前で、男は静かに手を挙げた。
背後に現れたのは、巨大な黒い翼を持つレア度9の魔物だった。
──『レア度9/魔天より睥睨するブラック・グレーターデーモン/レベル1』
男は召喚した魔物に命じた。
「こいつらを殺せ。でもすぐには殺すな。めちゃくちゃにしてやれ。自分から殺してくれと言い出すまで痛めつけてやれ」
グレーター・デーモンが舌なめずりをし、山羊にも似た縦割れの瞳で人々を見遣る。
──『束縛の魔眼』
「な、う、動けない!?」
デーモン種は総じて残虐性が強い。
こうして獲物を動けなくしてから、腸を貪るのがこの個体の嗜好の様だ。
そうして、悲鳴が銀座の空に響き渡った。
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黒田の復讐は果たされた。
かつて自分を侮辱した者たちは全てグレーター・デーモンに貪り食われ、悲鳴を上げながら命を絶たれていった。
だが、心の底にあった煮え滾る憤怒は未だに消えない。
復讐は果たしたはずだ。
なのに、胸の奥底から沸き上がってくるのは飽き足りない思いだった。
黒田はこの世のすべてに怒っていた。
社会、金、権力、そして自分を蔑んだ全ての者たち──何もかもを破壊してやりたいと黒田は憎しみの炎を燃やす。
だが、その破壊衝動を実行に移そうとしたその瞬間、霧の奥から何かがやってくることを感得した。
グレーターデーモンにも匹敵する威圧感だ。
「なんだ……?」
霧の向こうで、巨大な何かがゆっくりとこちらに向かってきている。
──こいつも、敵か?
黒田の目がぎらつき、手を掲げる。
霧中から放射される敵意に、黒田に歪んだ笑みを浮かべた。
「来いよ……俺が全部ぶっ壊してやる!」
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一方秋葉原では、メイド喫茶で働く少女・新田真由が店の中で同じように霧の異変に気づいていた。
外に出ると、霧の中から次々と魔物が現れて人々を襲っている。
「なんでこんな……」
この時、真由は自身の身の安全よりも「助けなきゃ」という思いが勝り、後先も考えずに駆けだしてしまう。
普通ならただの自殺行為だがしかし……
真由の献身の想いが彼女を "覚醒" させた。
彼女の手から青い光が溢れ出し、その光がらせん状に渦巻いて地面へと吸い込まれる。
そして現れたのは──
──『レア度4/蠱惑に歌うブルー・セイレーン/レベル1』
「レア度4の……セイレーン?」
上半身は美しい女、しかし下半身が魚という典型的なファンタジー世界の住人だ。
流石に真由も驚くがしかし、すぐに意を決して命じた。
「お願い、みんなを助けて!」
セイレーンが鈴が鳴る様な声で笑い、歌い出す。
「歌……?」
セイレーンと言えば歌というのは真由も知っている。
だがこの場で歌が何になると言うのだろうか?
答えはすぐに出た。
人々を襲っていた怪物たちが一瞬忘我の様を見せ、ややあって同士討ちを始めた。
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一通り救助活動が終わった後、真由は近くの学校に幼馴染の三崎がいる事を思い出した。
真由と三崎は小学校の頃からの幼馴染だ。
互いの家族の交流も盛んで、家の行き来なども良くしたりする。
巷には男女の友情などはないと言う向きもあるが、真由と三崎はそんな言説を嘲笑う様に良好な友人関係を築いていた。
そんな三崎が危険な目に遭っているかもしれない──そう思うともういてもたってもいられない。
「三崎くん……!」
真由の中で、三崎を助けたいという強い思いが湧き上がった。
真由はその場から駆け出し、学校へと向かった。
その頃、東京警視庁は事態の収拾に追われていたが、異世界からの魔物に対しては全く手がつけられない状況だった。
警官たちは次々と魔物の手にかかり、歯が立たなかった。
銃撃で傷つけられないわけではないが、効果があるのはせいぜいゴブリンやコボルドと言った低位の魔物相手にだけだ。
もちろん、警察だけで対応しているわけもなく、都内の複数の駐屯地から陸上自衛隊が緊急出動して対応しているが、多勢に無勢だ。
都内には緊急事態宣言が発令され、騒然としている。
政府は外部との連絡を試みたが、それもままならない。
まるで東京そのものが世界から隔離されてしまったの様だった。