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P・S-Dolls,Human
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SF空想科学
2024年11月20日
公開日
5,723文字
連載中
霧、雨、血潮、割れた硝子……。
セクター3は今日も冷たい雨が降り、目の前を覆い隠す霧が漂っていた。
棺を担ぐ人型は眠り姫をあやし、来たるべき時の為に彼女を守る者を尋ねる。

 蒸気を思わせる霧が路地を白に染め、湿気った空気に血の臭いが混じり込む。


 化け物や吸血鬼、亡魂を漂わせる亡霊、濃霧に紛れて刃を振るう殺人鬼……。予算不足のB級映画か出来損ないのC級映画、素人集団が必死にフィルムを回して撮った熱意の駄作。霧に包まれた路地は正しくそれらを彷彿とさせる異様な光景だった。


 だが、勿論幽霊や化け物なんて云う非科学的存在は妄想の中だけの存在であり、現実には存在しない。もし血を吸った対象を眷属とする吸血鬼が居たとしても、それは身体改造を施した改造人間の一種であり、首の動脈に噛みつく理由は脳に一番近い血管から催眠薬液を注入する為だ。幽霊だって光学迷彩を纏った兵士の一人が装備の不調で反射機能を作動できなかったが故に一般人の視界に映り込む事故の一例なのだ。


 どれだけ路地が異様な光景に包まれていようと、眼の前を覆い隠す霧が漂っていようとも、恐れることは無い。全ての事象には理由があり、理由無き行動などセクターを管理する企業が許さない。無法が跋扈し、腐敗に満ちる路地……セントラルから遠く離れた廃棄場であろうが、企業の定めたルールに従わなければ命は無い。


 自由を企業に簒奪され、彼等が定めた絶対的なルールに従わなければセクターの住人は企業の足元と呼ばれるセントラル在住者であろうと冷酷なクローン憲兵に処断される。しかし、裏を返せばルールさえ守っていればセントラル在住者の命は保証されている。スラムや廃棄場は別として、強大な資本力と力を維持する唯一無二の特許技術によって企業はセクター全体を管理し、人間とモノを代えの効く代替品として機能させている。


 一方的な管理と搾取、保護と処断。一度堕ちたら這い上がることが困難な支配社会。ルールを守っていれば許されるセントラル外での麻薬売買や人身売買、拉致監禁から強盗強姦殺害迄。十二個あるセクターの内、年中霧と雨で濡れる第五セクターの廃棄場には今日も濃い霧が路地を白に染め、罅割れた鉄筋コンクリートの隙間から銃声と悲鳴を響かせていた。


 霧の中で行われるのは麻薬と古びた札束の物々交換だった。小汚い身なりの男二人が銃を構える憲兵の前で薬と金を交換し、赤黒い注射針をモルヒネのアンプルに突き刺し静脈に打つ。恍惚とした表情を浮かべる男を憲兵は取り締まるワケでもなければ、ルールに違反していないと判断してその場に立つ木偶の坊。


 麻薬の使用と売買はセクターのルールに違反しない合法的活動で、それに伴う健康被害や心神喪失、破産、犯罪行為は自己責任。だが、薬物の使用による暴力或いは犯罪行為は違法である為、男が誰かにナイフを向けた瞬間憲兵は彼を撃ち殺す。一切の躊躇も無しに、粛々と。


 「憲兵さん、アンタもどうだい? 気分がスッとするぜ?」


 男がモルヒネの小瓶を振りながら憲兵の前に歩み出る。


 「必要ありません。業務の妨げになると判断した場合、貴男を処分します」


 「おぉ……怖い怖い」


 卑屈な笑みを浮かべた男は緩みきった口元から唾液を垂れ流し、霧の奥を見る。


 今日も霧が濃い。いや、年がら年中冷たい霧と小雨に濡れているセクター5でも、三日間路地の奥も見えない程の霧に包まれた事があっただろうか?


 「憲兵さん、アンタこういう噂を知ってるかい?」


 「……」


 「こういう日には……濃い霧が続く日は亡霊が現れるんだよ。死んだ人間が現れて」


 短い発砲音と眉間を撃ち抜かれて膝から崩れ落ちる男、硝煙を漂わせる無機質な憲兵の顔。


 「ルールの違反を確認しました。セクター5では根拠の無い噂の流布は禁止されています。また、霊という非科学的存在は企業が認めていません。射殺を実行の後、存在抹消機にて遺体を消去します」


 小指の先程のカプセルが男の死体に放り投げられると同時に、肉体を構成するタンパク質が分解され、塵屑と化す。


 「……」


 人間性の一片も感じられない憲兵の虚ろな瞳が路地の奥を見据え、霧に紛れる人型を捉える。ガクガクと動くワケでもなく、モザイク調に揺れるワケでもなし。亡霊とは言い難い人型を目にした憲兵は銃を構え、トリガーに指を掛ける。


 「止まって下さい」


 人型は止まらない。


 「警告はしました。発泡しま」


 唐突に人型が憲兵に投げ飛ばしたものは、札束を握り締める男の死体だった。ブーメランのような弧を描き、血飛沫を飛び散らせながら憲兵に衝突した死体は機械的な電子音を二度発し、爆発四散する。

 「―――」言葉を失ったのではない「―――」喉に突き刺さった骨が憲兵の血に濡れ、気道を切り裂き「―――」滅茶苦茶に乱射された銃弾と、跳弾する弾丸に憲兵は自身の眉間を撃ち抜いていた。


 「失礼します。少々急いでおりますので貴男と言葉を交わす必要は無いと判断しました。ご理解下さい、セクター3の生産物」


 次第に鮮明になる人型は巨大な棺を担いだ機械化人間。頭部を20インチのモニターに挿げ替え、人工音声で加工した声は抑揚の無い女の声。


 セクター5のルールには、機械化の際あらゆる部位であろうとも企業に報告する義務が住人に課せられている。違反した場合は義肢の剥奪或いは銃殺刑。武装した憲兵を圧倒した人型は彼のポケットからカプセルを取り出し「さようなら」と冷たく言い放つ。


 亡霊には足音が無い。実体も無ければ、幽体を傷つける弾丸もまた存在しない。しかし、人型は実体が存在する機械の人間だ。治安維持の為に生産、販売されるクローン憲兵は対人鎮圧力において強力な駒であり、セクターを管理する各企業の重要戦力の一つでもある。


 その戦力をいとも容易く殺害した人型は、デジタル音声で彩られた鼻唄を歌い、罅割れたビルを見上げる。


 十二階建ての鉄筋コンクリートビル。一列に並んだ窓ガラスの殆どに黒黴が生えており、人型にはとてもじゃないが人が住める環境とは思えない程荒廃しているように見えた。


 「さぁ着きましたよ私の眠り姫。此処に貴女の王子様が居て、剣となり盾となる人が住んでいます。良き人ではありませんが、悪人でもないと信じています」


 キラキラとした埃が舞うエントランスを抜け、ゴミやら催促状が押し込まれた郵便受けを一瞥した人型は、割れたコンクリート片が飛び散る階段を一歩ずつ慎重に上る。


 「眠り姫、私だけの眠り姫……。私は貴女を映す鏡を持ちません、貴女は私を映す鏡ではありません。貴女は貴女、私は私」


 苦痛は私のモノではありませんでした。


 孤独は貴女だけの痛みです。


 孤独と苦痛を誰が嫌いになれましょう。


 影のように潜み、恋人のように寄り添う苦しみは、きっと貴女と私の繋がりなのですから。


 歌声のような呟きに涙を流す者は誰一人として存在せず、喝采する者も勿論居ない。誰に聞かせる歌とも云えず、聞いて貰おうともしない人型は沈黙する棺を背負い直す。


 さぁ……と、油汚れが目立つ硝子扉の前に立った人型は、カバーの外れたインターホンを押し込み相手の出方を待つ。


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