スミレから発せられた一言に、二人は呆気に捉われてしまう。というのも、発せられた言葉の全てが虚言であると理解していたからだ。だからといって、普段からこのような状態というわけではない。なぜなら、夏樹に対してだけ思い入れが激しく、脳内変換で勝手に物語を作りあげてしまう悪い癖がある。
そしてそれは、日を追うごとにエスカレートし、妄想と日常の区別がつかなくなってしまうほどだ。そんな姿を憐れむ夏樹は、どう対処していいか分からず、ただ苦笑いを浮かべるばかり。しかし、このまま放置しておくのは、さすがにマズイだろう。そこで、いつものツッコミ担当である弥生が、耽っている彼女に現実を突きつけることにした……。
「あの……先輩。一度、病院に行かれた方がいいんじゃないですか? 青葉さんも、そう思いますよね?」
「そ、そうだね。何かあってからでは遅いので、念のために検診を受けてみたら……とは、思うかな? あはは……」
「病院って? もしかして、私の頭がおかしいって言ってるの? まあ、弥生っちの毒舌は、いつもだからいいとしてもよ。夏樹っちまで、そんなこと言うのは酷くない?」
「いや、僕はただ、心配してるだけで……決して、頭がおかしいって言ってる訳では……」
スミレの暴走が酷いとはいえ、夏樹は彼女のことを心配していた。けれど、弥生から投げかけられた言葉によって、思わず本音がこぼれてしまう。すると、その発言に反応した彼女は、すかさず反論するのであった。
「ほら、やっぱり! 夏樹っちも、私がおかしいって思ってるんじゃないのよ!」
「いや、僕は何も――」
「いいえ、青葉さんの言う通り。最近の先輩って、まともじゃないですよ」
「僕の言う通り? って、弥生ちゃん? その言い方だと、誤解を招くんじゃぁ……」
弥生の言葉に、夏樹は動揺を隠せないでいた。というのも、彼がスミレのことをクレイジーだと言っているようなものだからだ。
「私がまともじゃない?」
「ええ。だから、私が何度も言ってるじゃないですか」
「酷いわ、酷いわ。二人して、私をイジメるのね。ああ……それもこれも全ては、世の男を魅了する私の美貌のせいなんだわ」
「それですよ、それ! そうやって、すぐに妄想の世界に入り込むところ。さっきの表現だって、一部しか合ってませんからね。あと、まさかとは思いますけど、語尾の最後に出てきた言葉。あれって、ご自分のことじゃないですよね?」
まるで悲劇のヒロインのように、スミレは手で顔を覆い泣き真似をしてみせる。そんな姿に呆れた弥生は、腰に手を当てながら溜息交じりに呟いた。
「語尾の最後……? ああ、ヴィーナスのことね。勿論、私のことよ」
「うわっ、やっぱり……」
「ちょっと弥生っち、その反応は酷くない? ヴィーナスと言えば、私しかいないでしょ」
「いやいや、そんな自信満々に言われても困ります。そもそもヴィーナスって言ったら愛と美の女神なんですよ。それを理解して言ってますか?」
弥生からの疑問に対して、スミレは胸を張って答える。それはまさに、自分の容姿が美しいことを自負しているかのようだ。しかし、彼女の自信とは裏腹に、夏樹の反応は薄いものであった……。
「それぐらいのこと、知ってるわよ。だったら何?」
「いやだから、先輩ってヴィーナスって柄ですか? どちらかと言うと、小悪魔的なイメージの方が強いと思いますけど」
「小悪魔的ねえ……まあ、それも悪くないわね。ってことは……私には、サキュバスがお似合いかしら? それで夜な夜な夏樹っちの夢に現れて、あんなことやこんなことをね、しちゃたりして。むふふっ……ふふっ……」
(なんか……段々と話が逸れてない? まあ、それはそれで僕的にはいいことなんだけどさ。でも、さすがにこの状態は……ね、マズイかな?)
弥生の一言により、ついにスミレのスイッチは完全なオン状態となってしまう。ゆえに、妄想に耽る彼女は淡々と語り始め、暴走機関車のように加速していった……。
「はあ……これは完全に、妄想の世界に逝った顔じゃないですか?」
「だね。こうなったスミレ先輩って、中々戻ってこないからね。暫くは、待つしかないと思うよ」
「そうなんですよねぇ……まあでも、これはこれで楽しいから、全然イヤじゃないんですけどね」
「ふふっ。弥生ちゃんって、相変わらず面白いね」
こうして、スミレは妄想の世界へと旅立ってしまった。だが、暴走する彼女を目の前にしても、弥生は動じることなく気にする様子もない。むしろ、この光景を楽しんでいるかのようだ。そんな二人のやり取りに、夏樹は思わず笑みをこぼしてしまう。
「面白い? ……というのは、私が変ってことですか?」
「あっ、ごめんね。別に悪口を言ったわけじゃないんだよ」
「はい、それは分かっています。でしたら、どういう……?」
「いやね、スミレ先輩と話してる時って、なんかキャラが違うからさ」
夏樹は、弥生の口調がいつもと違うことを遠回しに指摘する。というのも、彼女は誰に対しても礼儀正しく、普段から敬語で話すからだ。けれど、スミレといる時だけは違うらしい。それは先輩後輩という上下関係ではなく、友達のように気兼ねないフランクな話し方。ゆえに、その接する態度が気になり、疑問を投げかけていた。
「キャラ……ですか?」
「そう。弥生ちゃんって、いつもは物静かで大人しいよね。でも、スミレ先輩と話してる時は、砕けた口調で喋るからさ」
「なるほど……確かに、言われてみればそうかもしれませんね」
「でしょ? だから、ちょっと気になったんだよ」
弥生はスミレとは真逆で、物腰が柔らかで温厚な性格の持ち主である。また、その見た目から清楚なお嬢様のようにも思えるが……それはあくまでも第一印象。実際のところは、本人でなければ本性は分からないだろう。だが、時折見せる言葉遣いからは、誰もが想像つかない雰囲気を醸し出す。まさにそれこそ、妄想女の暴走を止められる唯一の手段でもあった…………。