夏樹は何事もなかったように、彼女たちの様子を窺いながら視線を送る。こうして、四季庵の件における問題は解消された。しかし、それは同時に新たな疑問が生まれる結果となった……。
「――じゃあ、結局のところ。青葉さんの好きな人って、誰なんですか?」
「そうだわ、それよそれ! 偶には弥生っちも、いいこと言うじゃない」
「それって、褒めてるんですか? それとも、貶してるんですか?」
「勿論、褒めてるに決まってるじゃない」
弥生の質問に対して、スミレは満面の笑みを浮かべ答えた。だが、その返答に納得がいかなかったのか、彼女は唇を尖らせた状態で不満を漏らす。
「じゃあ、偶にっていう一言は余計です」
「別に、いいじゃない。褒めてあげてるんだから、細かいことは言いっこなしよ」
「またそうやって、すぐに話をはぐらかそうとする」
「まあまあ、それよりも好きな相手を詮索する方が先でしょ?」
(やっぱり、そうなるよな……)
弥生の一言で、夏樹は再びピンチに立たされる。何故なら、彼女が口にしたことは、当初からスミレが話していた内容だからだ。ゆえに、この流れは非常にマズいと思った彼は、その場から慌てて立ち去ろうとした――。
「えっと、じゃあ、僕はこれで――」
「――夏樹っち‼」
「は、はい……」
「もしかして、逃げようとしてるんじゃないわよね?」
スミレの威圧した声に呼び止められ、夏樹は硬直した状態で足を止める。そして、恐る恐る振り返ると、彼女はジト目を向けながら問いかけてきた。
「ぼ、僕が逃げる? 何のために?」
「だったら、なんでそんなにも慌てているのよ」
「いや、だから、さっきも言ったように、クライアントと打ち合わせが……」
「あら? それだとおかしいわよね。午後からの打ち合わせは、たしか14時じゃなかった? 今からだと、まだ2時間もあるわよ」
壁掛けの時計に視線を移すスミレは、わざとらしく時間を読みあげる。その仕草は、まるで夏樹を追い詰める刑事のようでもあった。とはいえ、ここで怯むわけにはいかないと、彼は必死に抵抗をみせた。
「じつは……急ぎの案件があるのを忘れてて、先にその用事を済ませてから四季庵に行こうと思ってたんですよ」
「急ぎの案件? 弥生っち、チームの予定にそんなのあったかしら?」
「えっと、ちょっと待って下さいよ。今日の予定は…………私が電話でのテレアポ営業。先輩は、投資相談となっています。それ以外の案件は…………ゼロですね」
「ほら見なさい。これについて、どう弁解するつもりよ」
弥生から予定表を聞き出したスミレは、勝ち誇った様子で夏樹に詰め寄った。けれど、それでも彼は、とぼけた素振りで目を逸らす……。
「どうって言われても……」
「じゃあ、質問を変えるわね。さっき私は、夏樹っちに好きな人は職場内にいるの? こう聞いたのを覚えてる?」
「ええ、覚えています」
「そのあと夏樹っちは、ここには居ないって言ったわよね。つまり裏を返せば、今はいない。要するに、好きな人を聞かれるとマズイってことでしょ?」
(別に、聞かれてマズイっていう訳でもないんだけどな? ただ、昔の
スミレに追及された夏樹は、心の中でツッコミを入れながら考える。確かに、彼はこの恋話を誰にも言ってはいないし、話すつもりもなかった。だがそれは、決してやましい理由ではないため、隠す必要がないのかもしれない。
とはいえ、話の流れから察するに、言い出しにくいのは事実。ゆえに、どうしたものかと、頭を悩ませながら愚痴をこぼしていた。そんな最中のこと――、二人のやり取りを聞いていた弥生が、何か閃いた様子で口を開く……。
「てことは……もしかして、青葉さんって……」
「あら? 弥生っちも気づいたの?」
「はい。先輩の予想から導き出した結果なんですけど。でも、それだと年齢差があるので、まさかとは思いますが……」
「年齢? そんなの関係ないと思うわよ。今時、20代の男性が40代の女性を好きになるなんて、当たり前のことでしょ」
スミレは弥生の言葉を後押しするかのように、自信満々な顔で持論を展開させる。そして、夏樹を追い詰める発言は、更に確信へと迫っていった……。
「……ですけど、先輩。20歳も離れていたら、さすがの青葉さんでも……」
「いいえ。年下の男性からしてみれば、包容力のある年上の方が魅力的に見えるものよ。それに、今は熟女が求められてる時代。だから、ちょっと熟れてる方が食べ頃なんじゃないかしら?」
(20歳も? 食べごろ? 一体、二人は何の話をしてるんだ?)
弥生とスミレの会話に、夏樹は疑問を抱かずにはいられなかった。何故なら、彼女たちが話している内容が全く理解できないからだ。それでも彼は、このピンチを切り抜けるために思考を巡らせる。
「先輩、発言には気を付けた方がいいじゃないですか? もし今の言葉を聞かれていたら、怒られちゃいますよ」
「それもそうね」
「ちょっと待って、怒られるってどういうこと? さっきから、弥生ちゃんの言ってる意味が分からないんだけど」
「意味も何も、私より先輩の方が詳しいと思いますので、直接聞いて見てはどうですか?」
意味深な発言に、夏樹は弥生が指している人物へ視線を送る。そこには、不貞腐れた表情で腕を組むスミレの姿があった……。
「あらあら? 最後まで、私に言わせるつもりなの?」
「そんなこと言われても、僕にはスミレ先輩が何を言ってるのか――」
「――なるほど。この状況でも、まだ隠し事をしようって魂胆ね!」
「いや、ですから……」
彼女たちの誤解を解くため、夏樹は慌てて説明をしようと試みる。ところが、スミレは突然にも言葉を遮り、強い口調で言い放つ。そんな素振りから窺えたのは、真実を告げることを躊躇っているかのようでもあった…………。