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第8話 ――ずばり、あなたは恋をしています。

 こうして顧客情報についての話が終わる頃、いつの間にか彼女たちの言い争いは収まっていた。しかし、一難去ってまた一難。先ほどの疑問が解消されないのか、弥生は納得がいかない様子で思い悩む。――が、暫くして何かを察した彼女は、夏樹を見上げながらゆっくりと口を開いた……。



「もしかしたら…………青葉さんって、やっぱり――」

「いや、だからね、弥生ちゃん。さっきのは、そういう事じゃなくて」


「――和菓子が大好物だったんですね」

「和菓子? ああ、そっちのことね。まあ、食べれないことはないけど、あまり甘い物は好きじゃないかな?」


 弥生の的外れな発言に対して、夏樹は安堵した面持ちで胸を撫で下ろす。どうやら彼女は、先ほどの話から和菓子に結びつけたようだ。確かに、2年も四季庵に通い詰めたというなら、その結論に至るのも無理はないだろう。


「好きじゃ……ない?」

「うん、どちらかと言えばだけどね」


「そう、なんですね……」

「とにかく、そういうことなんで、僕はこれで――」


 弥生に軽く挨拶をすると、夏樹は足早にオフィスから立ち去ろうとする。ところが、これに違和感を覚えたスミレは、突然にも腕を掴み質問を投げかけた。


「――夏樹っち、どうしてそんなに急いでいるの?」

「どうしてって……それは、クライアントと約束があるからだよ」


「約束? ほんとにそうかしら?」

「ど、どういう意味?」


 夏樹は咄嗟に腕を振り払うと、警戒しながら聞き返す。すると、スミレは意味深な言葉を呟き、弥生に目で合図を送った……。


「さっきの言葉が気になってたんだけど、他に理由があるんじゃないの?」

「理由? そんなのあるわけないよ」


「ねえ、弥生っちも、おかしいと思わない?」

「確かに、そうですね。先輩が言うように、2年も和菓子屋へ通うのは不自然過ぎると思います。その証拠に、先ほど青葉さんは、甘い物が苦手と仰っていましたから」


 弥生はスミレに同意すると、訝しげな視線で淡々と話を続けた。これまで夏樹が手掛けていた仕事というのは、顧客宅に訪問して資産運用の提案を行うというもの。であるならば、わざわざそんな場所に飛び込み、契約の話を持ち掛けるだろうか。そもそも、営業というのは持ちつ持たれつ。相手の要望に応え、こちらの提案にも理解を示してもらう。


 要するに、甘味品という形を継続的に買うことで、資産という未来の安心をスムーズに伝えることが出来る。だが、話を聞く限りでは、その内容は短期ではなく長期。となれば、甘い物が苦手な夏樹の行動を疑いたくもなるだろう。


「だ、だよね」

「つまり、話を戻すとね。夏樹っちの好きな人って、身近にいると思うのよ。ていっても、職場内やSNSは、さっき聞いたから違うでしょ。だったら、他に考えられることといえば…………?」


「先輩、まだ分からないんですか? でしたら、私が代わりに答えますね。――ずばり、青葉さんは和菓子屋のに恋をしています」

(恋? ああーなるほどね、そういうことか。いい感じに勘違いしてくれて助かるよ)


 弥生の推理に、夏樹は内心安堵していた。しかし、その安心も束の間……。スミレは更に追い打ちをかけるように、彼の腕を掴みながら耳元で囁く。それはまるで、悪魔が甘い囁きをするような雰囲気である……。


「実際のところ、どうなの夏樹っち?」

「やっぱり、そうなんですか青葉さん?」


「いや、だから……それは、その……」

「「それは?」」


「はぁ……分かりました。話しますよ、話しますから離れてください」


 夏樹は二人の勢いに押されるように後退りし、壁に背中が触れる。そして逃げ場を失った彼は、観念した様子で白状するのであった。


「といっても、お二人が思ってるような、やましい下心は一切ありませんからね」

「だったら、なんで話そうとしないのよ?」


「えっと……それはまた別の理由からで、――じゃなくて。じつは、僕の父さんが四季庵の和菓子が大好物だったんです」

「「だった……?」」


 夏樹が口にした過去形の言葉に、弥生とスミレは不思議そうに互いの顔を見合わせる。そして、彼の話の続きに、耳を傾ける素振りをみせた。


「はい。もう随分と前の話なんですけどね、僕は父親を交通事故で亡くしました。だから、そのお供え用にと思って、わざわざ四季庵の和菓子を買っていたんです」

「なるほど、それで話しづらそうにしてたってことね」


「まあ、それもあります」

「それも?」


 先ほどから意味深な発言を繰り返す夏樹の言葉。この反応にスミレは首を傾げながら聞き返し、弥生も彼が何を言いたいのか理解できていない様子だった。


「あっ、いや、ですからね。僕は別に、四季庵の娘が好きとかで通っていたわけじゃないんですよ。これで分かっていただけましたか?」


「そっかぁ、そういうことだったのね。でも、それならそうと言ってくれればいいのに」

「そうですよ、青葉さん。変に勘ぐってしまったじゃないですか」


(よしっ! これでなんとか、あの話は誤魔化せたかな? ついでに、僕が好きって言った人のことも忘れてくれたらいいんだけど……)


 どうにか窮地を逃れることが出来た夏樹は、誤解を解けたことにホッとした表情を浮かべていた。そして、小さくほくそ笑むと、心の中でガッツポーズをしてみせる。だが、そんな光景も束の間の喜びでしかなかった…………。


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