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第50話 恋人同士が少しだけ羨ましいと思う瞬間

 食い下がる美羽と、水族館の話を始めてから見る間に時間がすぎた。

 気付けば、カフェの中も賑やかさが増していた。


「イルカショーは少し離れたところが良いんだね」

「濡れて良いなら、最前列も楽しいぞ」

「良い訳ないじゃない。化粧直しに時間とられちゃう」

「まあ、そう……あれ?」

「どうしたの?」

「あ、いや……先生、化粧直しなんてしてなかったなって」


 あんなに水被ってたのに、タオルで拭いて終わりだったよな。

 思い出しながら首を傾げていると、美羽は特に驚いた風でもなく「だって」と口を開いた。


「先生ってナチュラルメイクじゃない。あたしみたいにアイメイク盛ってないし」

「そうなのか?」

「それに、水をかけられた時、上手いこと顔にかからないように防いだんじゃないの?」


 美羽にいわれ、あの時を思い出す。

 そういえば、先生は俺の腕引っ張って抱え込むようにして顔を伏せてたような気がする。だから、髪は少し濡れたけど、顔は飛沫を浴びなかったんだな。


「化粧が無事でも、せっかくの服が海水まみれになるのは回避したいよね」

「それはそうだな」

「髪が濡れた滝くんを見てみたいって願望はあるんだけど。水も滴るいい男っていうじゃない?」

「……勝手にしろよ」


 帰ってきたら惚気話を延々と聞かされる気がしてきたぞ。

 ウキウキな美羽は、ミルクティーのグラスをストローでかき回しながら窓の向こうへと視線を向けた。すると、その顔がさらにパッと明るくなる。釣られて俺も外を見ると、そこに滝がいた。今まで見たこともない、嬉しそうな顔をしている。


 まさか、従兄妹とクラスメイトが付き合い始めて、そのデートを見せつけられることになるなんて、誰が想像つくというのか。

 店に入ってきて、向かいに座った滝と美羽を交互に見て、いいようもない感情が沸き上がった。


「滝くん、部活だったんでしょ? 服、着替えてこれたんだね」

「それが、ミーティングだけで終わったんだ。監督が体調崩して。流行り風邪だからしばらく部活も休みだ」


 だから、家に帰って着替えてきたという滝は、ちらっと俺を見た。


「若槻と一緒だったんだな」

「うん。星ちゃん、ついこの前、水族館いってきたっていってたから話聞いてたの。イルカショー、水かけられるんだって」

「そうなんだ。……若槻は?」

「耐久勉強中だ。邪魔されて困ってたんだよ。さっさと、こいつ連れて出てってくれよ」

「星ちゃん、意地悪!」

「うるせぇな……なあ、滝」


 まるでポメラニアンみたいにきゃんきゃん騒ぐ美羽をよそに、俺は滝に視線を向けた。


「こいつ、滝が初めての彼氏みたいで、無茶苦茶浮かれてるみたいだけどさ、引かないでやってくれ」

「う、浮かれてなんていないし」

「浮かれてるだろ。さっきだって、滝と手を繋ぐにはどうしたら良いかとか──」

「せ、星ちゃん!」

「てことで、ワガママで大変だろうけど、頼むな」


 俺の言葉に、滝は驚いた顔をして美羽をちらり見る。ポメラニアンみたいにプルプル震えている美羽は真っ赤な顔をしている。

 こういうのを、初々しいっていうんだろうな。

 頷きながら「任せろ」っていう滝に安心しながら、俺は問題集を開いた。


「ほら、さっさとデートしてこいよ。俺は勉強で忙しいんだ」


 追い払うように手でしっしとやると、顔を見合わせた二人の顔が照れくさそうに緩む。

 滝と美羽は、どちらともなく行こうかといって立ち上がった。それを見送った俺は、ほっと安堵した。つと窓の外を見ると、ぎこちなく手を繋いで歩いていく二人の後ろ姿が眼に入った。


 恋人同士、か。羨ましい気持ちがほんの少し芽生えた。


 一緒にいるのが楽しいとか、居心地がいいとか。そういった、友達とは違う何かがあるんだよな。俺にとって、それって──二人の姿が見えなくなった窓を眺めたまま、ぼんやり考えていた時だった。


「瑠星」


 名前を呼ばれて振り返った。見上げると、少し困った顔の淳之輔先生がそこにいた。

 あれ、約束の時間まで一時間はあるんじゃないかな。というか、なんでそんな困った顔をしているんだろう。


「先生、早くないですか?」

「あー、うん。急いで用事済ませてきたんだけどさ……」


 淳之輔先生が視線を向けた先には、美羽が飲み残していったミルクティーのグラスがあった。


「さっきまで美羽がいたんですよ。もう、出ていったから、座っても大丈夫ですよ」

「うん、知ってる。声かけるタイミング見計らってたから」


 そういいながら、淳之輔先生は俺の横に座ってきた。いつもは向かいに座るのに。

 驚きながら瞬きを繰り返している俺を見た先生は、綺麗な目を少し細めて笑った。やっぱり、なんだか困った顔をしている。


「先生、どこか具合でも悪いんですか?」

「いや……俺は平気だけど、その、なんだ。瑠星……元気出せよ」

「……はい?」


 淳之輔先生の言葉の意味が、さっぱりわからない。わずきょとんとしてしたら、先生は俺の顔を見てどう思ったのか。眉を下げ、気遣うように笑った。


「美羽ちゃんって、従兄妹だったよね?」

「そうですけど」

「ずっと側にいて、仲良かったんだろう」

「まあ、うちは親戚同士がやたら仲良くて、美羽とも兄妹みたいな感じですが」

「……そんな彼女に、恋人ができてショック、だろ?」


 突然の問いかけに、俺の思考は停止した。淳之輔先生は、何をいっているんだろう。

 俺がショックを受けているって、何に。美羽に恋人ができたことに?


 唖然として言葉を失っていると、先生はさらに言葉を続けた。


「辛いのを堪えて、笑って祝福して、偉かったな。本当に、瑠星はいい子すぎるぞ」


 大きな手が、俺の頭に載せられた。そうして、気遣うように優しくそっと撫でる。

 もしかして、これって、絶賛勘違いされている!?

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