これが恋する乙女というやつなのか。
少女漫画なんてものを読んだことはないけど、明らかに、いつもの美羽とは違う。幸せそうというか、ザ・女子って感じというか。今まで見たことのない表情だ。今のこいつなら、桜吹雪のようにハートを撒き散らせるかもしれない。
「……お前、背が高くて筋肉質な男が良いとか、昔いってたもんな。ああ、なるほど、滝か」
東、谷川、残念だったな。強く生きろ。──ここにいない二人を心の内で励ましながら、俺は頷いていた。
そうか。この前、滝の好きなファッションがどうこうって訊いてきたのは、学祭の話じゃなくて、個人的な話だったのか。全く紛らわしい。それならそうと、最初からはっきりと相談すればいいのに。
「えへへっ、今日は水族館デートなの。滝くん、午前中は部活だから、お昼過ぎに待ち合わせなんだ」
「そういうことかよ」
「だから参考に星ちゃんと先生の水族館デート、どうだったか聞かせて」
食い気味に、身を乗り出して俺に尋ねる美羽の顔は真剣そのものだ。
ちょっと待て。何度も訂正するが、俺と淳之輔先生が水族館にいったのはデートではない。参考も何もあったもんじゃないだろう。
「……だから、俺と先生のはデートじゃないって」
「デートだよ。今日だって、二人でカフェデートみたいなもんでしょ?」
「今日は耐久勉強だっていってるだろ……お前が邪魔しなきゃ、もう始めてる」
「ふーん。あたしも今度、滝くん誘って勉強してみようかな。付き合いたての学生カップルの定番って感じでいいよね」
「……あのなぁ」
カバンから参考書とノートを引っ張り出し、これ見よがしにテーブルに置く。だけど美羽は全く動じず、むしろ生き生きと目を輝かせた。大方、脳内で滝と勉強する様子を妄想でもしているんだろう。
生憎だが、俺と淳之輔先生のはそういうんじゃなくて、ガチの勉強だぞ。
それにしても、美羽はどうして、俺と淳之輔先生が付き合っているみたいな勘違いをしているんだ。先生に失礼じゃないか。
カチカチとシャーペンを鳴らすと、美羽はさらに顔を近づけてきた。
「勉強は後で先生と一緒にできるんだし、今はあたしの相談に乗ってよ!」
相談も何も、アドバイスできることなんて俺にあるわけがない。年齢イコール恋人いない歴なんだから。
「もっと滝くんと仲良くなるのに、どうしたらいい?」
「……滝はいいやつだし、あまりワガママいって困らせんなよ」
「善処します。あとは?」
「……スキンシップはほどほどにしろ。お前、距離感おかしいからな」
「星ちゃんと滝くんは違うもん。手を繋ぐのだって恥ずかしいんだから!」
おいおい。俺には顔引っ付けて双子コーデ写真を撮ろうとかいうような、バグった距離感のやつが、なにをいいだすんだ。
「今はそうだとして、慣れたら距離感おかしくなるんじゃないか? あんまり引っ付くと困るもんだからな」
「星ちゃん、あたしに困ってたの?」
「お前のは小さい頃からのだから慣れてたけど」
「てことは、先生との距離感に困ってるんだ」
改まってそういわれると返答に困る。
思わず口籠って「俺のことはどうでもいいだろ」と返すと、興味津々な目がこっちを見た。
「参考までに、どんなのが困るの?」
「それは……」
「あたし、滝くんに嫌われたくないんだから、教えなさい!」
「何で、上から目線なんだよ。そういうとこだぞ、気を付けるべきは」
「善処するから。ねえ、教えて!」
美羽は、まるで拝むようにぱんっと両手を合わせた。
こいつと滝はクラスメイトだし、来年も同じクラス確定だから仲が悪くなられるのは困るからな。少しくらい、協力してやらないこともないか。
ため息をつき、スマホに手を伸ばした。そうして引っ張り出した写真は、淳之輔先生と身体をぴったりくっつけるようにして撮った写真だ。
「こういうのは、心臓が持たない」
「……もう、これってカップルじゃん」
「だから、違うって」
「でも、星ちゃんがいいたいことって、距離が近すぎるとドキドキするってことでしょ?」
「そうじゃなくて……俺なんかが横にいるのって変じゃないかとか、考えるっていうか」
「ふーん。あたしとしては羨ましい写真だけど……滝くんと顔くっつけて写真撮るのは、まだハードル高いな。ドキドキして変な顔しちゃいそう」
いいながら、美羽は勝手にフォルダの中身を漁り始めた。
「おい、勝手に見るなよ」
「ちょっとくらい良いじゃない……って、先生とくっついてばっかりじゃない! えー、ズルい。あたしも星ちゃんと写真撮りたいのに」
え、そっち?
意外な反応に顔が引きつった。こいつ、まだ俺と双子コーデ写真を諦めていないのか。
「お前な……滝が聞いたら泣くぞ。他の男と写真撮りたいとか」
「星ちゃんは男じゃなくて、星ちゃんだから大丈夫でしょ」
「なんだよ、それ」
「安心して。先生と撮りたいとは口が裂けてもいわないから!」
鼻息荒く言い切った美羽からスマホを奪い返し、今日何度目か知れないため息をついた。
「あたしが星ちゃんと撮りたいのは、双子コーデ!」
「またそれかよ」
「幼稚園の頃は撮ったじゃない!」
「ああ、母さんの悪乗りな……って、何でそんな古い写真持ってるんだよ」
突きつけられた写真を見て、顔が引きつった。少し色あせた写真には、スカートを履かせられて少し不機嫌な顔をする幼い俺と、ご機嫌な美羽が映っていた。
双子、あるいは兄弟姉妹だといわれたら誰も疑わないだろう。それくらい似ている。
「滝くんに話したら、見たいっていわれたから持ってきたの」
「お前は、何の話をしているんだ……これは没収だ」
「えー、横暴!」
「こんなもん、クラスメイトに見せられるか」
「じゃあ、じゃあ、その代わりに水族館デートの話聞かせてよ!」
タダでは起き上がらないとはこのことか。
にこにこの美羽に、このあとしばらく食い下がられて、水族館の話をせがまれた。