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第19話 母さんに悪気がないことはわかっていても気が滅入る

 母さんは俺に国立大を目指してほしいと思ってることが露呈したわけだが、今の俺が安易に国立大を目指すなんて、いって良いものなのか。

 エビフライにソースをかけ、ちらっと淳之輔先生を見た。

 もしも予備校に通うことを選んだら、先生との授業はなくなるんだろうか。それはちょっと残念っていうか……


「予備校のことはまた後で考えるとして……先生、今後もよろしくお願いしますね。瑠星も、先生のこと気に入ってるみたいですし」

「なっ!? 気に入ってるってなんだよ」

「何照れてるのよ。本当のことでしょ? 先生のこと、嫌いなの?」

「そうじゃなくて……」

「だって、先生に来てもらうって話した時は、家庭教師なんていらないって、すごい怒ってたのに。文句一つ言わなくなったじゃない。気に入ったからでしょ?」

「あっ、あれは、母さんが突然決めて、明日来るとかいい出したからで」


 母さんの爆弾発言に、耳まで熱くなっていく。

 男が男に気に入ってるなんて言われたら、気持ち悪いだけだろうが。あー、どうして母さんは、こう発言が斜め上をいっているんだろうか。淳之輔先生だって困るに決まってる。


 申し訳なく思って先生を見ると、バチッと視線があった。だけど、先生は嫌な顔一つしていない。ちょっと驚いた顔をして「そんな急だったの?」と聞いてきた。

 え、先生が気になったのって、そこなの?


「……そうなんです。何も予定なかったからいいけど。もっと早く教えてほしかったよね」

「だって、そうでもしないと逃げると思ったのよ。すっかり勉強しなくなってたじゃない」


 少し不満そうな母さんと俺を交互に見た淳之輔先生は、見開いていた目を細めて優しく笑った。


「まあ、勉強が好きっていうのは少数派ですし」

「それはそうなんですけど……」

「瑠星くんは負けず嫌いだから、やる気スイッチさえ入れば頑張れると思います」


 見事に、淳之輔先生が話題を変えてくれた。それに、母さんはパッと顔を輝かせて「そうなんですよ!」と声を上げる。


「この子は本来、負けず嫌いなんです。幼稚園の頃から、美羽ちゃんといつも競ってましてね」

「美羽ちゃん?」

「従兄妹の子なんですけどね。小学校の頃はテストの点数やかけっこ、靴のサイズや身長まで争ってたんですよ。でも、勝てたのは身長と靴のサイズだったわね」


 懐かしそうに話し始める母さんだけど、それって俺にとっては結構な黒歴史だ。こっちは益々、気持ちが低空飛行していく。


 小学校の内は美羽の方が身長も高くて、中学の成長期になってやっと追い抜けた。だけど、思春期に女子と競い合っていると周囲がとやかく煩く、付き合ってるんじゃないかとか噂を立てられて厄介なことになったんだ。それが原因で、美羽は片思いしていた相手に振られたといって大泣きするし、からかわれるし。

 思い出しただけで憂鬱になる。


 どうしてどいつもこいつも、すぐ付き合ってるとか好きなんだろうとか言い出すんだか。今でも理解が出来ない。


 美羽は生まれた時から一緒で、本当に兄妹みたいなもんだから、一ミリたりとも恋愛対象にならないっていうのにさ。それに、そういう目で見たらキモイっていわれるに決まってる。親戚内でギスギスしたら、この先気まずいだろうって分からないんかな。


 色々思い出すと、怒りとも呆れともとれるマイナスの感情が込み上げてきた。だけど、母さんは俺の気持ちなんてお構いなしで話を続けている。


「最近は、全く競わなくなっちゃったんですよ。美羽ちゃんに負けすぎてやる気をなくしてたのかと思ってたんだけど」

「競わなかったのは休憩期間だったのかもしれませんね。負けん気の強さは変わってないんじゃないかな」

「そうかしら? 高校受験だって上手くいかなかったから……」


 母さんは次々に俺の傷を抉るようなことをいう。この人に悪気はない。わかってはいるけど、気分が良いものでもなく、苛々する気持ちを唐揚げと一緒に飲み込んだ。


 淳之輔先生だって、俺の黒歴史なんて知っても楽しくもなんともないだろうに。つーか、この食事って先生への労いじゃなかったのかよ。

 楽しくないだろうと心配になったけど、先生は笑顔を絶やさず「すぎたことですよ」といった。


「世の中、思い通りにならないことが多いですよ。自分も、中学受験は失敗してますし」

「そうなんですか?」

「ええ。月並みですが、失敗から学べることもあります。それに今は、瑠星くんの負けん気をいい方向に持っていく方が大切かと思います」

「そうですね……先生が、瑠星に負けん気を思い出させてくれたから、点数が伸びたんですよね」

「心配な気持ちはわかりますが、しばらくは見守って上げてください。自分の授業の時は凄い真剣ですから」

「ありがとうございます。先生に来てもらえて、本当によかったわ。ね、瑠星」


 俺の過去を散々ディスった母さんは、ご機嫌な笑顔のまま俺に話を振った。この人に悪気はない。ないんだけど……黒歴史を思い出すこっちの身にもなって欲しい。

 ああうんと曖昧に頷き、ビーフシチューを黙々と口に運んでいると、淳之輔先生が「本当に頑張り屋ですよ」と優しい声音で呟いた。


 その声に釣られて横を見ると、切れ長の瞳がこっちを見ていた。


「学校のこともよく話してくれますし、弟がいたらこんな感じなのかなって、いつも嬉しく思ってます」

「そうなんですか? 私にはちっとも学校の話してくれないんですよ」

「ははっ、男子はそんなもんだと思いますよ。自分もそうでしたから」


 母さんが嬉しそうに「これからもよろしくお願いします」っていう横で、兄貴がいたらこんな感じなのかと想像してみるけど、なんか違う気がした。


 貧困な俺の想像力で、兄弟の会話を考えてみる。

 例えば兄貴の部屋でマンガを読んだり一緒にゲームするのはありそうだ。兄貴がいない間に、エロ本見つけたりとかもするかもしれない。


 待てよ、淳之輔先生ってエロ本読むのか。男なら読むのかもしれないけど、なんか想像がつかないんだよな。なんていうか、綺麗すぎてそういうのとかけ離れているような気がする。エロ本を見ながらあの綺麗な付け爪がついた手で──考えながらエビフライを咀嚼していた俺は、変なところにフライの衣が入って、むせかえった。


「大丈夫か、瑠星?」

「お水持ってくるわね!」

「口に頬張りすぎだぞ。そんなにエビフライ好きなのか?」


 背中を摩る手を意識してしまい、俺は耳まで真っ赤になっていた。

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