全てのテストが戻ってきたのは、水曜日だった。その日の夜、リビングでテスト結果を見た母さんが大喜びしたのは、いうまでもないだろう。
「全教科が平均点超えなんて、いつぶりかしらね」
「一年の一学期ぶりかも」
「はぁ……池上先生のおかげね。美浜大の学生って本当に優秀なのね」
「まあ、うん、先生の教え方わかりやすいし」
「将来は学校の先生になるのかしらね?」
「さあ。でも、先生って経済学部だろ?」
「そうだったわね。そんなことより、瑠星! 先生に食事をご馳走しましょう。母さん、腕によりをかけて作るわ!」
自分で聞いておいて、あっさり話をそらせた母さんは、金曜日の授業の前、先生に少し早く来てもらえるよう連絡しておいてといいだした。
あの約束、冗談じゃなかったのか。
キッチンに戻っていく母さんの足取りは、今にも小躍りしそうなほどだった。
淳之輔先生にまだ数学のテスト結果を送ってなかったし、それを送るついでに、伝えればいいかな。
テーブルにテスト用紙を並べてスマホのカメラを向ける。シャッターを切り、すぐにそれを先生へとに送れば、一分もしないで、おめでとうスタンプが送られてきた。
思わず「はやっ!」と声に出しながら「母が、金曜日にお礼の食事をふるまいたいといってます」と文章を打っていると「瑠星、頑張ったね」と、短い文が送られてきた。
頑張ったね。何気ない文章を見つめていると、口元が緩みだす。
母さんにもいわれてなかったから、なおさら嬉しかったんだろうな。
頼まれていた食事の件を後回しにして、不細工な犬のドヤ顔スタンプを送ってから「ありがとうございます」と返せば「次も一緒に頑張ろう」とすぐに返事があった。
それから迎えた、金曜日の夜。
テーブルの上にはエビフライに鶏の唐揚げ、オムライスとビーフシチューにローストビーフのサラダ、さらにはホールケーキまでも並んでいる。誕生日とクリスマスがいっぺんに来たような豪華さだ。
「冷蔵庫でスイカも冷やしているのよ」
「母さん、張り切りすぎ。こんなに食ったら、勉強にならないって」
「でもせっかくのお祝いだし……もしかして、お寿司の方が良かったかしら?」
「そうかもね」
テーブルを整えていると、インターフォンが鳴った。淳之輔先生だ。
いつもと変わらずお洒落な柄シャツ姿の先生をダイニングに招いて、三人での夕食が始まった。
「先生、本当にありがとうございます。おかげさまで、瑠星の成績が伸びてほっとしています」
「瑠星くんが頑張った結果ですよ。本当に真面目に取り組んでいましたから」
「そのやる気を引き出してくれたのは、他でもない、池上先生です。ありがとうございます」
上機嫌な母さんは「冷めないうちに食べてください」といいながら、温めなおしたビーフシチューを配り終えると、俺たちの向かいの椅子に座った。
「先生のように美浜大へ入れたら一番なんですけどね」
「国立大だと、親御さんは安心ですよね」
「でも、今の瑠星では厳しいですよね」
飯を食いながらも勉強の話とか、食欲減退するんだけど。でも、淳之輔先生との共通点ってそれだから仕方ないのか。
サラダを口に運びながら横の先生を見ると、少し困った顔で笑っていることに気付いた。やっぱり、返答に困るよな。そもそも、俺と淳之輔先生じゃレベルが違いすぎるし、今の俺じゃ地方の国立大だって難しいんだ。急に美浜大の話を出されたって困るに決まってる。
「母さん、あんまり先生を困らせるようなこと聞くなよ」
「でも、こんな急成長したんだし、もう少し頑張れば……」
「平均点取れただけだろ」
「それを重ねていけば、瑠星だって」
「期待しすぎ」
俺がつんけんと答えると、横で淳之輔先生が小さく笑った。
「まあ、国立を目指すのも良いですが、全科目が必要になりますからね。自分だけで全科目を教えるのは、正直なところ荷が重いです」
「そうですか……」
「自分の時代にはなかった情報も受験科目になると聞きましたし、それに、自分は理系なんで文系科目は弱いですよ」
「そうだよ、母さん。俺は文系だろ」
「数学と英語くらいでしたら、サポート出来ますが、国立大を目指すなら予備校を検討した方が良いかもしれませんね」
「予備校ですか。そうね、それも考えないといけないのよね」
「母さん、そんなことより、ソースとって」
いつまでも食事中に勉強の話なんてするなという意味を込め、母さんの側にあるソースを指差した。それを手にしながら「そんなことって」といった母さんはため息をつくと、仕方ないというように笑った。