刻一刻と変わる夕暮れが、俺は好きだ。
赤やオレンジから濃紺に変わる空のグラデーションは季節や天候、湿度で様変わりする。一つとして同じ顔がない。
スマホを取り出し、くっきりとした山並みへと向け、スマホの画面をのぞき込む。
気分がどんなに落ち込んでも綺麗なものは綺麗だし、この瞬間を残したいって思う。こうして、スマホの画面にその鮮やかな色を残すたびに、一眼レフならもっと綺麗に残せるんだろうとか考えながら、満足の一枚を考える。
この瞬間だ。そう思ってシャッターを切った。
たなびく雲も、見慣れた町並みも全てが赤に染まる。いつもの風景が、どうしてこんなに別世界に見えるんだろうか。
満足して夕焼けを切り取ったスマホ画面を閉ざし、再び歩き出す。だけど、しばらく歩いた先で再び空を見ると、さっきまでとは違う景色が広がっていた。
一瞬で表情を変える夕焼けは、やっぱり面白い。
もう一度スマホを取り出してカメラを向けた時、画面に着信を知らせる文字が浮かんだ。母さんだ。
「もしもし──坂の上まで来たから、もうすぐ家に着くけど。えっ、先生もう来てるの!?」
ごめんねという母さんの声が、スマホの向こうで響いた。
どうやら、うっかり時間を伝え間違えたらしい。母さんらしいといえば、母さんらしいけどさ。どうして、あの人はいつもこうなんだろう。
「勝手に、部屋に入れんなよ。走って帰るから!」
通話を切ったスマホをポケットに突っ込み、アスファルトを蹴った。
沈みゆく夕焼けの中、家路を急いで坂を駆け降り、近道になる住宅地の公園を突っ切る。そうして、少しだけ息を切らして辿り着いた自宅の玄関を開けると、賑やかな笑い声が聞こえてきた。
リビングに入ると、ソファーに座っていた人と目が合った。
癖のある少し長めの髪を揺らしたその人は、想像していた真面目一辺倒な感じの男ではなかった。なんかこう、アイドルっぽい綺麗な人だ。かけている眼鏡だって、真面目な委員長がかけるような黒ブチのはずなのに、やけにかっこよく見える。
「瑠星、お帰りなさい。池上先生、息子の瑠星です」
身長は一八〇センチ近いかもしれない。俺より全然高身長なその人は、典型的な真面目キャラではなかった。柄物のシャツを着こなしているし、ピアスも付けている。だからって、チャラチャラした大学生って感じでもなく──高校生の俺がいうのもなんだが、めちゃくちゃお洒落だ。
しかも、見間違いじゃなければ化粧をしている。それが印象的で、俺はまじまじと先生を見ていた。
艶やかな赤い唇が綺麗な弧を描いた。
化粧品とかシャンプーのCMに出てくるような男性アイドルみたいな顔をしている。もう夜になるっていうのに無精髭だって見えないし、唇なんて艶々だ。もしかして、男装の麗人ってヤツなんじゃないか。そう疑うくらいには綺麗だった。
「初めまして。池上淳之輔です。もしかして、走って帰ってきた? 急がなくても良かったのにな」
声はしっかり男だ。残念なようなホッとしたような、複雑な思いが胸によぎる。
「今日は挨拶だけと思っているんだ。高校の話聞かせてもらって、今後のことを相談とか出来るかな?」
人当たりの良い笑顔を浮かべた先生の赤い唇から視線が外せず、頷くことも忘れていた。
「ちょっと、瑠星、なにぼーっとしてるの?」
「え? あ、別に」
「お母さんの前じゃ、学校の話は恥ずかしいかな?」
口調も凄く人当たりがいい。これが気遣いのできる男ってヤツなのか。
だけど、その聞き方は俺をガキ扱いしているようにも聞こえ、少しだけイラっとした。そのイラつきが顔に出ていたのかもしれない。先生は少しだけ困ったような顔をする。
誤魔化すように視線をそらし、別にと小さく呟いた俺を見た母さんは、少し焦った様子で手を合わせて、そうだわとテンション高めに声を上げた。
俺と先生の視線が母に向いた。
「お茶とお菓子を持っていくから、先生を部屋に案内してあげて。ほら、ここだと台所の片付けも煩いでしょ?」
名案でしょといわんばかりの笑顔に、ああうんと頷いて、俺は先生をちらりと見る。
爽やかな笑顔が向けられた。
渋々と、こっちですといって俺はリビングから二階につながる階段を上がった。その先、突き当りのドアを押し開けて明かりをつけると、後ろから「お邪魔します」と丁寧な声がかけられた。