「家庭教師!? 聞いてないんだけど」
学校帰りに寄ったゲーセンで手に入れた戦利品のチョコバーを齧って、スマホ片手にリビングでだらだらしていた俺は抗議の声を上げた。
家庭教師なんて冗談じゃない!
俺を見降ろす母さんの顔は見たこともないくらい真剣だ。
少し怒っているようにも見える表情だが、未だかつて見たことのない真剣みで、さすがの俺にも緊張が走る。とはいえ、腰に手を当ててふんっと息巻く姿も、どこか迫力に欠けている。元来の背の小ささゆえだろうか。
いいや、それだけじゃないな。
俺の母さんは、洗濯物を干したつもりで洗濯機に入れっぱなしだったり、洗顔フォームと歯磨き粉を間違えたり──マンガでも古いぞと突っ込み入れたくなることを、天然でやる人だ。この前なんて、親戚から届いたサクランボで弁当箱を埋めたことがあった。さすがにサクランボのみ弁当は初体験だったし、やめてくれといったら「時期の果物は体に良いんだから」と変な力説を展開したんだよな。
おっちょこちょいでズレたことばかりする人なのは、今に始まったことじゃないからな。おかげで、怒っていたとしても迫力に欠けるわけだ。まあ、何をしでかすか分からない怖さはあるんだけど。
「母さんね、
ぺしんっと弱々しい音を立て、リビングのテーブルに置かれたのは一学期の定期テストの結果。点数の一覧とグラフが印刷された紙切れ一枚だった。
現国53点、古典58点、世界史62点、英語68点──平均点を超えている文系科目を目で追い、その間にあった最悪な理数科目からは高速で視線を逸らした。
赤点は回避している。だけど褒められた点数ではない数学Ⅱの27点。確か、ギリ赤点回避だった。数学Bと化学も似たり寄ったりだ。
世界史は山が当たったのも幸いだったよな。国語は舐めすぎてたと反省しているけど、英語はそこそこ頑張った。といっても、理数科目の補填になれるほどいいわけでもなく、さすがの俺でもマズいって分かっている。
分かっているけど、どうしようもないことってあるんだよな。
この点数では、さすがに説教だろうと思っていた。だから、期末試験で挽回して成績通知表だけどもそれなりに取り繕っておこうと思い、解答用紙を隠していたはずなんだけどな。
この表、どっから出てきたんだ?
「担任の先生との面談で、これを渡されてショックだったわ。確かに、赤点じゃないわよ。進級は出来るけど……数学と理科は赤点ギリギリだっていうじゃない。せめて、平均くらいでいた方がいいと思わない?」
「あー……まあ、うん」
矢継ぎ早に出てくる母さんの意見は、ごもっとすぎて、俺は曖昧に頷くしか出来なかった。
二者面談は盲点だった。つーか、そんなもんほいほい渡すなよ、担任!
食べかけのチョコバーを口に押し込め、テーブルの上に置いといたカップの中身、冷えたカフェオレを喉に流し込んだ。
「だけどさ。別に進級できればいいって、いってたじゃん」
「その先を考えていってるの? 来年は受験なのよ」
「……わかってるよ」
「なら、余計にこの点数は看過できないわ。このままじゃ、高校入試の二の舞になるんじゃないかって、母さんは心配なの」
「あー……別に、難関大に行きたいとか思ってないし」
「だとしても! もう少し勉強する習慣をつけた方が良いわ。担任の先生も、今から習慣を見直しても遅くないっていってたもの。瑠星、あんた学校とゲーセン、家の往復ばかりじゃない」
「わかった、わかったよ! 次は頑張るから、家庭教師なんていらないって。最近は無料の勉強動画だってあるし、それでやるって」
「映像授業はダメ! 担任の先生が、節制が苦手で勉強の習慣がついてない子には無理だっていってたわ。母さんもそう思う」
どうせ勉強の動画はいつの間にかゲーム実況に変わるんだから。そう痛いところを突かれた俺は、ぐうっと唸った。
確かに、俺にもその未来が見える。反論の余地なしってやつだ。
「母さんの友達に、美浜国立大経済学部に通ってる息子さんがいるのよ。相談したら、家庭教師に来てくれるって」
「はぁ!? 家庭教師って、オンラインじゃないのかよ」
今どきは家庭教師だってオンライン授業が当たり前だろ。対面で家庭教師って、もしかして俺の部屋に入るってことかよ。
あまりの話に顔が引きつった。
母さんは、こういうところがあるんだよな。
良かれと思ってなんだろうが、勝手に色々決めてしまう。高校受験の時だって、俺に相談なしで塾を決めてきたんだ。その時も、友達の紹介だとかいっていたな。
毎度のことながら、ちょっとは俺の意見も聞いてほしいもんだ。
「明日、ご挨拶に来てくれることになってるから。ちゃんと部屋片づけておくのよ」
「ちょ、まっ、明日って!? 母さん! 俺は家庭教師なんて」
「別に部活とかバイトしてる訳でもないし、時間はあるでしょ?」
「バイト始めたいって、この前話したの忘れたのかよ!」
「あら、そうだった? 成績が上がったらいいわよ。今の状態でバイト始めたら、成績が下がる未来しか見えないでしょ」
「なんだよそれ!」
「先生との相性が悪かったら、お断りするから。せめて次の成績が出るまで、やってみなさい」
全く俺の言葉に耳を傾ける気はないようだ。マジかよ。
愕然としていると、母さんは「おやつとお茶用意しないとね」と、今にもスキップを始めそうな様子で台所へと入っていった。
冗談じゃない。
美浜国立大の経済学部に通ってる大学生って、秀才とかエリートとか、真面目でお堅い大学生に決まってる。話しが通じるとも思えないし、勉強の仕方だって真面目一辺倒で融通利かなそうじゃないかよ。そんなのと同じ部屋で向き合えって?
そんなん絶対、地獄だろう。