それはどこからをどう見ても、アレだった。
(一本○ソだ……!)
俺達以外の誰もいない教室の真ん中で、恋のライバルである木村と俺は、その物体を前に固まった。
信じられない。
クラス一の美少女の凛が、これほど料理下手だったなんて。
ぽかんとする俺達に向かって、凛は
「えへへ、二人のために頑張って作ったんだよ~!
でもちょっと焦げちゃった」
なんて、テヘペロしてみせる。
そんなしぐさも可愛い。
でも可愛い凛が作ったコレは、全然可愛くない。
黒く太く、便器からはみ出しそうな長さで、よく見るとツブツブまで入っている。
「これは……凛が昼に食べてたコーンパンのコーン、じゃないよな? 」
念のため尋ねると、凛は柔らかそうなほっぺを、ぷうっとふくらませてみせた。
「タルトタタンにコーンなんて入れるわけないでしょ?
変な桂くん!」
なるほど、コレは「タルトタタン」というらしい。
そもそも俺はそんな洋菓子を知らないから比べられないのだが、コレは絶対に違うと言い切れる。
だってどう見ても、タルトには見えないんだから。
いや、もしかしたらこれは、タルトの部分じゃなく、タタンの部分なのか?
タタンって何だ?
なんだかハイテンションぽいイメージだ。
(コレ、どうすればいいんだ……?)
今日は凛が入っている料理研究部の実習の日だった。
好きな子の手料理にあこがれていた俺と木村は、作ったお菓子を分けてくれと、凛に土下座した。
そしてなんとかOKをもらって、部活動が終わるのをワクワク気分で待っていた。
あんなに楽しみにしていたはずなのに、出されたお菓子の予想外すぎる姿が、俺達を怖がらせている。
「どうしたの? 食べて?」
机の上の皿が、グイッとこっちに寄せられた。
追いつめられた俺はついに決心して、皿を手に取る。
まがまがしいオーラを放つ、凛のお菓子。
姿は異常でも、食べてみたら意外とイケるかもしれない。
ちょっと期待して、俺は鼻をそっと近付けてみた。
( ……くっさ‼︎)
うちには短いしっぽの猫がいる。
腰の辺りを軽く叩いてやると喜んでしっぽを上げるんだが、その短さのせいか反り返りすぎて、尻の穴がめくれる。
その時と同じニオイがした──!
思わずむせてしまった俺は、あわててごまかす。
「なんか、お酒みたいなニオイがするね」
「かくし味にラム酒が入ってるの!
すご~い桂くん! よく分かったね!」
かくすどころか、何かの邪悪なニオイのせいで、ラム酒なんてちっとも香らない。
でも俺はドヤ顔でうなずいてみせた。
俺に負けたくなかったんだろう。
木村が皿をかっさらい、10円玉が入りそうなほど鼻の穴を広げて、ニオイをかいでしまった。
一瞬オエッ! となってしまったが、それを「おぉおぅぉぉ!」と感動するふりをではぐらかしたのは、敵ながらあっぱれだ。
見合わせた木村の目に、うっすら涙がにじんでいる。
その瞳が、俺に必死で語りかけてくる。
『おいコレ、まじでヤバイぞ!』
……と。
机に戻された皿を見つめていると、一つの考えが浮かんだ。
もしかして凛は、俺と木村の好意がウザかったんじゃないか?
だから俺達に嫌われるために、わざとこんなものを作ったのかもしれない。
「おい、ヅラ。
食わねえのかよ、せっかくの凛の手作り」
俺にそう尋ねてくる木村には、もうコレを食べる気がないらしい。
「ほらどうぞ、桂くん」
気のせいか、勧めてくる凛の目の奥が、笑っていないように見える。
ピン、ともう一つの考えが浮かんだ。
凛と木村がグルである説だ。
じつは二人はとっくにデキていて、俺が邪魔だった。
「邪魔者は消してしまえ」と、木村が毒菓子を凛に作らせ、俺に食べさせようとしている──。
凛はともかくアホの木村なら、そんな不完全犯罪を考えそうだ。
「ほらヅラ、さっさと食えよ。
食べる瞬間、動画とっといてやるから」
「さぁ、桂くん、バクッとどうぞ」
二人の笑顔の裏に、別の意味が隠されているように感じてくる。
だがしかし、ここまで追い詰められたら、覚悟を決めるしかない。
「いただきます!」
俺は勇気を出して、タルトタタンにかみついた。
その直後、口いっぱいに広がる、気持ち悪さ。
苦い、しょっぱい、甘い、酸っぱい、辛い。
このダークマターには、人が感じられる味の全てがつまっている!
反射的に一口分のゲロがコポッとこみ上げてきた。
それと残りのタルトタタンを気合いで飲み込み、俺は空になった皿を高くかかげてみせた。
「食ったぞ~~~~‼︎」
木村が大きく拍手している。
凛も目をキラキラさせている。
ここで凛にお礼を言い、「うまかったよ」なんて白い歯をきらめかせれば、完璧だ。
しかしこんなまずい物をほめるなんて、俺にはできない。
学校の林間学校で調理大臣と呼ばれたこの俺のプライドが、絶対に許さない。
腹の中をかき回されるような苦しみにたえながら、ついに俺は正直な感想を叫んだ。
「凛! コレはぶっちゃけ、ただの一本グ○だ!
○ソだけにくそまずいっ‼︎」
──終わった。
これでおしまいだ。
思いきりけなされた凛は、俺を嫌いになるはずだ。
そしてアホの木村は面白がって、決定的瞬間の動画をSNSに上げて、俺がう○こを食べたと拡散するだろう。
青春をあきらめた俺は、静かに皿を置いた。
それとほぼ同時に、いきなり凛が抱きついてきた。
「え⁉︎ ど、どうした凛⁉︎」
「決めた!
私、桂くんと付き合う!」
「はぁっ⁉︎」
わけが分からず、俺はあわてて凛を引きはがす。
「どういう事だよ、凛っ!
今まで木村と俺のアピールを完全スルーだったのに!
それがお菓子食べただけで、変わるのか⁉︎」
「私ね、二人をためしたの。
わざとカッコ悪くてまずいお菓子を作って、どっちが食べてくれるかって。
私を本気で好きじゃなきゃ、あんなの食べないでしょ?」
真実を知った俺達は、あんぐりと口を開け顔を見合わせた。
こっちをガン無視で、凛はさら続ける。
「それで食べた後、怒ってもらいたかったの。
恋人になるなら、本音でぶつかり合えなきゃダメでしょ?
だから桂くんがまずいって言ってくれた時、決めたの。
桂くん……私と付き合ってください」
あのクラス一の美少女が告白してくれるなんて、俺は毒で幻覚を見ているんだろうか。
頭がパニック状態で、首を縦に振るのが精一杯だ。
俺がYESの返事をした事によって、遠回しに失恋した木村は、オロロ〜ンと泣きながら教室を飛び出していった。
教室には、付き合いたてホヤホヤのカップルと、甘い空気だけが残された。
(この雰囲気……キスくらいイケるか⁉︎)
ドキドキしながら、すぐ横に立つ凛をチラ見する。
付き合ったその日にキスというのは、女子的にはどうなんだろう。
いやそれより、今の俺のお口は、トラブルでいっぱいだ。
ちょっと息を吐くだけで、きっと猫の肛門がひっくり返ったようなニオイがするはずだ。
ファーストキスが激クサだったなんて、お互い一生のトラウマものだ。
甘い言葉の一つも吐けず口呼吸もできず、俺はじっとがまんした。
「あ、そうだ!
じつはね、ちゃんとしたタルトタタンも作ったんだよ。
桂くんに食べてほしいな」
幸い口臭に気付く事なく、凛が離れてくれた。
だまって待っていると、きれいにラッピングされたお菓子を持って凛が戻ってきた。
包みを開けてみて、俺は初めてタルトタタンの正体を知った。
タルト生地で作られたカップに、切ったりんごが入った黄土色の固いゼリーが乗っている。
おしゃれなカップケーキといった感じで、さっきのアレとはかなり違う。
やっぱり凛は、美人で料理上手だった。
木村には悪いが、これから俺はこの子と思いっきり青春してやる。
勝利の味を口いっぱいにかみしめようと、俺はタルトタタンを一気につめ込んだ。
──ところがまさかの、苦い、しょっぱい、甘い、酸っぱい、辛い。
一口ゲロと一緒にダークマターを飲み込んだ俺は、大急ぎで教室の窓を開け、外に向かって叫んだ。
「クソまず~~~~い‼︎
でも好きだぁぁぁぁぁぁ‼︎」
こうして俺と凛の、苦くてしょっぱくて酸っぱくて辛くて、そして甘い甘い、青春の幕が開けた。