謎の少女マイカと別れた蓮斗は宿に戻り、未だ帰る様子のない女二人組の様子を頭の隅で気にしつつも、愛犬たるクロマルとモフモフのスキンシップを部屋で楽しんでいた。
「てめぇ、モフモフ、フサフサしやがってコノヤロウ……うりゃ、おりゃっ、うおりゃ」
「わっふ! ワンワン!」
クロマルの前足を優しく持ち、二足歩行で肉球パンチを繰り出させる——遊び。
『レント! レント!? 聞こえていますか!?』
びくっと衝撃に肩を跳ねさせ、恐る恐る扉の方へと視線を向けた蓮斗。
しかし、扉は閉じたまま聴き慣れた声の主は見当たらない。
「なんだ? ベルの声が今……」
『レント!? 聞こえているのですね!』
再び聞こえたベルの声に今度はサッとクロマルから手を離し身構える。
『ギルドカードですよレント! このカードはパーティメンバーとある程度の距離なら会話が——って、そんな場合ではないのです‼︎ ユズキが、ユズキが何者かに攫われました‼︎ わたくしは今西門の近くにいます! すぐに合流を』
返事を返す前に蓮斗はクロマルと共に部屋を飛び出していた。
***
————貿易都市セリオン西門。
ベルと合流した蓮斗は事態のあらましを聞き、柚月を攫った男たちの捜索を始めていた。
「西門の衛兵によりますと、ここ数刻の間に門を通過して町を出た者はいないそうです。念のため全ての門に情報を伝達してもらい警戒体制を敷いてもらいます」
ベルは冒険者としても知名度が高いためその言葉はすぐに受け入れられ、衛兵の協力を仰ぐことが出来た。
「いざとなれば〝マリィベル〟として領主の協力も……」
焦った様子で思案にふけるベルの肩に手を置き「落ち着け」と蓮斗は声をかける。
「わたくしが、目を離さなければ……すいませんっ」
「気にすんな。あいつも、もう戦い方を知ってる。身を守る術は心得てんだろ」
「ですが……」
「それより、早いとこオレらに喧嘩売ったクソ野郎どものとこにカチコミかけんぞ」
「え? ええ、ですから今捜索を」
困惑するベルを余所に蓮斗は抱いていたクロマルをその場に放った。
「ゥウ〜ワン! ワンワン‼︎」
クロマルがスンスンと鼻を鳴らし、瞬間何かを感じたように走り出す。
「いくぞ!」
「え!? あ、ああ‼︎ なるほど! クロちゃんならユズキの匂いを追えるのですね!」
駆けるクロマルを追いかけ蓮斗とベルは夜の町を走り出した。
***
暗いし寒いし……臭い。
柚月はそんな感情を抱きながら自分の現状を再確認していた。
後ろに回された手には鎖が巻かれ、口には布を詰められている。
客観的に言って柚月は、まあ間違いなく誘拐されたのだろう。
しかし、不思議と焦りはなかった。
この世界に来る前の柚月であればガタガタと震え涙を流していたのかもしれないが、ベルとの訓練、旅立ってからの実践経験が柚月の心を確実に強くしていた。
不安や恐怖に支配されることなく、冷静な頭で状況を分析していく。
(ここは、地下? 窓ないし、灯りはランプだけ)
柚月は周囲を見回す。ちなみに柚月を攫った男たちは、柚月をこの場所に投げ入れて拘束するなり直ぐに去っていった。
(わたしと同じくらいの女の子が数人……みんな様子が変)
石の壁に石造りの階段。その先にある扉以外に出入口はなく、同じように鎖を巻かれた少女が数人無機質な表情で虚空を見つめている。
その姿を視界に入れるなり柚月は目を覆いたくなった。
(誰も、服を着ていない……)
監禁されているのは一糸纏わぬ少女たち。
彼女たちが現在どのような境遇に置かれているのか、想像するまでもない。
(お願い、プグナレギィナ)
柚月の魔力に呼応し、指輪から金の縁取りが美しい黒いハルバードが柚月の手に召喚され、巻かれていた鎖を弾き飛ばした。
解放された柚月は口に詰められた布を吐き出し、急いで彼女たちの元に駆け寄る。
「みんな、もう大丈夫! 一緒にここから逃げようっ!」
「「「「……」」」」
柚月の言葉に少女達は微かに反応するも、誰一人声を上げることはない。
気がつけばそんな柚月を少女達は虚な視線で一斉にジッと見据えていた。
「ちょ、っと怖い……じゃない! みんな、お願い! わたしと一緒にっ——」
その時、地上へと続くであろう扉が勢いよく開け放たれ、柚月は瞬時にハルバードを構えて少女たちを背に庇った。
「やや、やややや? 売り手様の姿がありませんね? まあよろしい! ふむ! 上玉です。
癖のある顔つきが実に可愛らしい! 〝コレクター〟の商品にするのは些か惜しい素材」
鋭い双眸に冷たい眼光を宿した一見上品な装いをした白髪の男が入ってくるなり柚月を観察し、よく通る声でそんなことを言い放った。
柚月は警戒心を引き上げ、ギュッとハルバードの握りを強める。
「ややや? 売り手様も仕事が荒いですな! 拘束もせず武器も取り上げないで……仕方ありません、あなたたち! 彼女を拘束なさい! 素材は惜しいですがコレクター殿は大切な上客。彼女はコレクター殿の商品とします。よって、どうせ〝廃人〟になるのですから多少〝壊しても〟構いません」
白髪の男の命令に背後から屈強な男たちが剣を片手にゾロゾロと入ってきた。
いくら強くなったとはいえ柚月は女。屈強な男に囲まれれば体も竦む。
そんな柚月の姿にニンマリと卑猥な笑みを讃える男たちは剣を構えた。
「私は屋敷に戻るので、一通り調教がすんだら報告にくるように! では!」
パタン——扉が閉まると同時に正面から男が斬りかかってきた。
「————っいや!!」
反射的に体に染み付いた動きでハルバードを振るい、男の剣を弾いた柚月はその勢いでたたらを踏んだ男の反応に意外な手応えを感じる。
(え? もしかして、わたしって結構強キャラ?)
一瞬の静寂、呆気に取られていた男たちだったが瞬時に目の色を変えて、今度は同時に襲いかかってきた。
多方面からの同時攻撃——しかし、柚月の〝目〟はその全てを見切り、手の中でクルクルとハルバードを回し操りながら、相手の剣を弾き、重量を増した斧刃でなぎ払うと同時に剣の刃先を叩き折り、演舞の如き身のこなしで男たちを無力化していく。
トラウマによって抑えられていた
元々運動神経も抜群だった柚月の身体的基盤は過去に培った並々ならぬ努力の日々によりしっかりと固められていたのだ。
男たちを次々と薙ぎ払っていく自分の武芸にひとしおの感動を覚え、調子づいていた柚月は背後から迫る凶刃に一瞬反応が遅れる。
慌ててハルバードの柄で剣先を打ち払い、回転の遠心力を載せた斧刃で相手の首を刈り取ろうと——。
瞬間、柚月の動きが止まった。この動きは、森で百を超えるゴブリンと戦う中で自然に身につけた物。
乱戦のなか背後の敵に向けて容赦無く首を刈り取るカウンター。
だが、今それを放とうとしている相手はゴブリンか、いや違う。人間だ。
人殺し、殺人——日本人として生きてきた柚月にとっては当然と言える心理と理性がその体を硬直させ致命的なまでに動きを止めた。
刹那、力任せに振るわれた男の剣撃により漆黒のハルバードが柚月の手元から滑り落ちる。
そこへ腰を落とした屈強な体躯の男が渾身のタックルを柚月へと見舞い、地面へと組み伏せられた柚月は両脇から駆けつけた男たちによって取り押さえられた。
「や、やめて! 離してっ‼︎」
柚月の四肢を一人ずつ男たちがガッチリと体重を乗せ拘束する。
いくら柚月がレベルを上げ以前よりも数段力強くなっているとはいえ、片腕で大の男一人を振り払える程の力はない。
柚月の全身を男たちの手が這い回る。
絶望と恐怖が身体を竦ませ、虐げられた日々が再び柚月の思考を蝕み、この無理解な現実を拒絶する力を奪い、抗えない恐怖に身を委ねかけたその時。
「————ゆづき‼︎」
声が聞こえた。
それは、柚月が今最も渇望していた人物の声、ではなかった。
脳裏に蘇るのは聞き慣れた声色。
数年前まではその声で名前を呼ばれる度に、心躍り、歓喜が胸の内を満たした。
今となっては、柚月が一番聞きたくない声の持ち主だった。