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第32話:松浦柚月2

 ————夏休み明け、始業式。


 無気力に陥っていた柚月も、なんとか学校には行けるように調子を整え、憂鬱な思いを抱きながら、なんとなくいつもとは違うルートを通って学校へと向かった。


 教室の前、重い空気を振り払うように扉を開く。


「おはようー……」

「「「「————……」」」」


 ガヤガヤと騒がしかった教室内が一瞬で静寂に包まれた。


 柚月は直ぐに状況を悟った。嗚呼、終わったと。


 冷めたく重い視線、教室全体から感じる疎外感とコソコソ聞こえる嘲笑。


「おはよう、松浦さん? あっ! そうだ、松浦さんの席だけどぉ、マイカがひじりの隣に座るから、松浦さんはマイカの席にすわってね? 先生には許可もらってるから〜」


 この学校は生徒の自主性を重んじる傾向が強く、良くも悪くも実力主義であり、決まった席替えなどはなく、座る席などは生徒で話し合い自由に決められる。


 裏を返せば、発言権のより強い者が権利を主張できる。


 完全優劣主義の学校であり、恐らく藤原舞香の流したであろう〝なにかしらの噂〟により柚月の立場はこの瞬間クラスの中でも地に落ちたと理解できた。


 柚月は目立っていた。誰よりも可愛らしく、誰よりも彼の隣に相応しい人物であるために。

 だからこそ同時に——多くの妬みも買っていた。


 そんな柚月に追い討ちをかけるべく行われた夏休み明けの実力テスト。


「——っ、ランク、外」


 テストの結果は大きく各教室へと張り出されるのが通例で、上位十名は別用紙にて表彰されるように廊下にずらりと各組みごとに並ぶ。


 高ノ宮聖と出会ってから今まで、柚月が上位十名に名を連ねなかった事はない、今日この時までは。


 この日を境に柚月の学校生活は地獄と化していく。


 一人、また一人、柚月の周りからは友人と呼べる存在がいなくなった。


 高ノ宮聖の周囲には藤原舞香を筆頭に常に人集りが出来ている為、近寄ることもできず、冷遇される日々……次第に周囲からの反応は苛烈なものへと変わっていき、それは明確な〝いじめ〟へと発展していく。


 靴を隠されるのは日常茶飯事、体育の授業があれば制服がなくなり、水泳があった日には下着が無くなったこともあった。


 エスカレートしていく行為はついに歯止めを失う。


「や……やめて、おねがい、やめてよ」


「はぁ? 今まで散々偉そうにひじり様の隣キープしといて何言ってんの?」


「それなぁ〜、で、結局〝女〟として見られてすらなかったオチ、ウケすぎ」


 体育の授業が終わり、例の如く制服を隠され、憔悴しきっていた柚月は突然更衣室に乱入して来た女子数名に囲まれた。彼女たちの手には柚月の制服が握られており、


「つかさ、ワンチャン女やめれば? 惨めすぎっしょ〜」

「いいじゃぁ〜んっ! ならもう女子の制服いらないよね? はい、ビリビリ〜」


「っ!?」


 柚月を囲んだ女子たちは、面白おかしく雑談を交わすように気軽な調子で手にした柚月の制服にハサミを入れ切り刻んだ。


「いいこと思いついた! あいつ、キモオタ佐藤の制服あったじゃん? あれ着せようよ」


 柚月はその会話にゾッと肌を粟立たせた。佐藤とは昨年まで在籍していたが一身上の都合——つまりは、いじめに耐えきれず学校を辞めた〝男子生徒〟の名だ。


「い、いやっ」


「いやじゃねぇ〜しぃ、女に見られてないまま学校来るより〝男〟になったほうが救われんじゃね? ウチらってば、やっさしぃ〜」


 両腕を抑えられ、無理やり脱がされた体操服も制服同様切り刻まれ、その全身に男子の制服を着せられる。


 嫌な、臭いがした——汗と独特の異臭が染み付いた制服は、高ノ宮聖に相応しい女子であり続けようとしていた柚月の矜恃と心を粉々に砕いた。


「あはははっ、ダッサ! なんかクセェし、ダメだよ、学校でシコシコしちゃ? 

 あぁ〜!? ウチらで欲情とかしちゃってる? キッモ〜」


「マジ、かわいそ〜、おしゃれ女子の鏡みたいだったのに見る影ないしぃ? もうさ、可哀想だからとことん男の子になろう? ね?」


 言いながら女子の一人が柚月の長い髪に触れる。

 瞬間びくっと肩が跳ね、続く行為を想像した柚月は震える声で懇願した。


「本当に、やめてください……それだけは、やめて、ください」


「……っぷ、あはは! 震えながら泣いてんの、童貞くん虐めてるみたいでウケる」

「んじゃ、リアリティ追求しちゃおう! そうしよう!」


 ザク——柚月の耳元で嫌な音が聞こえた。


「っ!? いや、いやだ、いやだっ! いやぁああっ」


 足元に舞った大量の髪を見て、柚月は半狂乱になりながら必死に落ちた髪を拾い集めた。


「うわぁ〜、悲惨だわ」


「ちょっとイケメンに見えるのが腹立つけどなぁ〜」


「次の授業はじまるし、もう行こう〜? じゃね? 松浦くん? あはは」


 腰を落としてへたり込んだ柚月は茫然と拾った髪を見つめ、ふと視線を向けた先に映る鏡の自分と目があった。


 そこには、ボロボロの制服を身に纏い、うなじより高い位置で乱雑に髪を切られ、悲痛な表情を浮かべた〝男子生徒〟のような姿の柚月が映っていた。


「いや、だ……いやだよ、いや、いや、なんで、こんな——ぁあ、ああ、あぁあああっ」


 白昼夢でも見ているかの様な判然としない意識のまま柚月はフラフラと更衣室を後にし、教室に向かうこともできないので彷徨うように校舎を移動していると。


「ん? ゆづき? もしかして、ゆづきなのか!?」


 目の前から藤原舞香を伴って歩いてくる聞き慣れた声の生徒——今の姿をもっとも見られたくない相手、高ノ宮聖の声に目を見開い硬直する。


 隣に立っていた藤原舞香も流石に驚いたのか柚月の姿を見て目を見開く。

 直後僅かに引き攣ったような笑みを浮かべながらも高ノ宮聖に続き声をかけてきた。


「あれぇ? 松浦さん、すんごいイメチェン? マイカびっくりしちゃった! 〝マニッシュスタイル〟ってやつなのかなぁ?」


「……っ」


 藤原舞香の問いかけに柚月はもう、何も応える事ができなかった。


 これ以上苦痛な時間を過ごしたくない、と柚月は逃げるようにその場からさろうとして。


「ゆづき!」


 高ノ宮聖の声に一瞬足を止める。


「俺、ゆづきが同じ〝男〟だったら、本当に唯一無二の親友になれたんじゃないかって思ってた。なんていうか、でも、ゆづきは女の子で……」


 グサリと背中から鋭利な刃物を突き立てられたような痛みが走る。


 今まで積み上げて来たすべてが音を立てるように崩れていく最中、柚月は無理やり笑みを作って振り返った。


「うん、知ってるよ! だから、ほら——、なんて」


 これ以上、惨めになりたくない。


 せめてこの人の前では……そんな柚月の複雑で精一杯の強がりだった。


「え? ぁあ! うん! 、ゆづき」

「っぷふ——舞香も、そう思うよ」



 柚月の思考は完全に停止した。



 頭が許容できない言葉を呑み込み始めた瞬間、理解した。



 今日この瞬間、松浦柚月という女の子は死んだのだと。



 それから柚月は不登校になり、部屋に引きこもる生活を続けた。


 着飾る事が怖くなった。


 女の子らしい格好が出来なくなった。


 負の思考は段々と自分を責める方向へと膨らみ続け、外出するときも〝兄の服〟を着用することが常になり、女子としての在り方を拒絶するようになった。


 どうせ、傷つくくらいなら、男の子に間違えられていた方がマシだと、深い心の檻に自らを閉じ込めたのだった。




 ***




 柚月が過去の出来事を語り終えた時、ベルは怒りと悲しみをない混ぜにしたような沈痛な表情を浮かべて目尻に大粒の涙を溜め込んでいた。


「殺しましょう。その男……いいえ、あのクソ勇者、高ノ宮聖を今すぐに殺すべきです」


「ぇ、と……ベルさん?」


「ユズキの乙女心を辱めただけでなく、自分が生み出した状況にも気がつかない無知蒙昧さ。

 男として最早生きる価値なしです。わたくし、国の使命とかどうでもよく、一人の女として高ノ宮聖を許せません。出会い頭に即斬首です」


 ベルは座った目でどこかを見据えながら魔力を荒ぶらせ始め。


「お、落ち着いて? ベルさん? もとはと言えば勝手に勘違いして舞い上がっていたボ……、 わたしの責任でも、あるし……女の子として魅力がないのも大きな原因だしねぇ、ははは」


「……」


 ベルはどこか哀れなモノを見るような視線を今は外套で隠されている柚月の胸元に向けた後で、ガバッと俯きがちな柚月の顔を両手で持ち上げる。


「むにゅっ——べるはん?」


 そのまま顎を引き上げるように柚月の顔を片手で持ち、空いた方の手で無造作に伸びすぎた野暮ったい前髪をかき上げた。


「————っ!!?  逸材……これ程の素材がこんなにも近くに、わたくしとしたことが」


 困惑する柚月を余所にぶつぶつと溢し眉根をよせるベルはパッと手を離し柚月の手を取りつつ進み始めた。


「うわっと、と! ベルさん、急にどうしたの!?」


「行きますよ!」


「ふぇっ!?  ど、どこに?」


「当然! お買い物っ!!  です!」


「ファッ⁉︎ ふぁあああぁー‼︎」という間の抜けた悲鳴を残し、柚月はベルに引きずられるように街の喧騒へと消えていった。


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