————4年前、松浦柚月中学1年生。
当時、柚月は姉のように慕っていた存在を事故で亡くし、実際の兄と同じく兄のような存在であった蓮斗とも離ればなれになり、悲しみの底に沈んだ心境のまま、新しい学校生活の幕を開けようとしていた。
「ん? 暗い顔……なんかあった?」
公立の小学校に通いながら受験した私立の中学校。
事故で亡くなった姉のような存在である〝
その思いを必死に受け継いだ結果。
当然柚月の見知った顔はいない、にもかかわらず女子である柚月になんの躊躇いもなく声をかける男の子の声。
「え、と……なんで?」
戸惑いながらもあまり関わりたくはないな、と控えめに顔を向けた先には、朝の光にも負けないくらい眩しげな笑顔————。
「そりゃ、入学初日で隣の席の子がこの世の終わり〜みたいな顔してたら、気になるだろ」
電気が走るとか、ビビッとくるという表現が柚月のなかにこの時初めてストンと落ちた。
「ぁ、いや……その」
急激に恥ずかしさと緊張で顔が火照っていくのを感じながら柚月は、もじもじと口籠った後、頭をふって少年の瞳を見据えた。
「心配してくれて、ありがとう——わたしは、松浦柚月。あ、あなたの名前も、教えて」
「うん、ゆづきか。俺の名前は高ノ宮聖——今日から隣、よろしくな」
柚月はドキドキと高鳴る胸の鼓動を押さえながらもその手を取った。
「こちらこそ……よろしく」
受け止めきれない悲しみと
この時、柚月は生まれて初めて高ノ宮聖という男の子に恋をした。
***
————松浦柚月、中学3年の夏。
「ひーじりっ! おはよっ」
「ゆづき、おはよう」
毎朝の通学、学校へ続く一本道から合流して歩く二人の時間。聖の隣には柚月がいる。
これは最早二人を知るクラスメイトにとってもお馴染みの光景。
柚月の通う学校は学力・運動力・クラス貢献度、などの総合的な評価によりクラス編成が行われる仕組みがあり総合力の最も高い生徒が集まるSクラス——高ノ宮聖はその中でもダントツで優秀だった。
そんな高ノ宮聖の隣を歩くために、なにを取っても周囲に劣ることがないよう文字通り血の滲むような努力を惜しまなかった。
誰よりも、高ノ宮聖の隣に相応しくあれるように。
ファッションにも常に気を配り、勉強、運動、料理、お菓子作り——全てに妥協なく全力で取り組んだ。そんな努力の甲斐あって今や柚月はSクラスでもスクールカーストの最上位。
女子をまとめるリーダー的存在となり、男子のリーダー的存在である高ノ宮聖の隣に並ぶに相応しいと言える立ち位置になっていた。
「ひじりは、もう高校決まった?」
「一応決まっているよ。ゆづきは?」
「ん〜、まだ悩み中〜、わたしも、ひじりと同じ高校に行っちゃおうかな? なんて」
もちろん柚月は既に高ノ宮聖と同じ高校へ行くことを心に決めていた。
努力で必死に喰らいつく柚月と違い、あらゆる才能に恵まれた高ノ宮聖が目指す高校。
ハイレベルなのは言うまでもない。
だから柚月は早々に高ノ宮聖が受けるであろうランクの高校を指標にして日夜猛勉強を続けてきた。
「ゆづきが一緒なのは心強いなっ! 楽しい高校生活になりそうだ」
「——っ、そ、そそそんなの、わたしだって……当たり前でしょう? ひじりの隣にはわたしがいなきゃダメなんだから」
「はは、確かにっ、俺たち良いコンビだよな」
「いい、コンビ……どうせなら、パートナーって言って欲しいんだけどな……」
「ん? なんか言った?」
「なんでもないです〜! あ、そうだ! ひじり、今度のテスト終わったらさ? 夏祭りあるじゃん? そ、その、よかったら、一緒に行かない?」
高ノ宮聖の隣に並べる——だが、やはりそれだけでは満足できない。
柚月は決めていた。次回のテストで自己ベストを更新したら高ノ宮聖に告白すると。
既に自己採点ではかなり自信のある領域まで来ていた柚月は意を決して告白の舞台に〝夏祭り〟を選んだ。定番ではあるがこれ以上のイベントはない。
「うん? いいよ。あ、去年みたいな
「え? ああ、うん。全然オッケーっ!」
高ノ宮聖の一言に少なからずショックを受けた柚月ではあったが、思い返せば去年の夏祭りで高ノ宮聖は浴衣姿の柚月に何かと気を遣っていたように思えた。
高ノ宮聖は周囲からも頼りにされることが多く、常に相手を気遣っている。
そんな彼にとって柚月という存在は等身大で付き合える数少ない人物であり、柚月もその事を理解し、また喜ばしくも思っていた。
だからこの時、高ノ宮聖の気持ちを尊重しようと思えた。
狙い通りテストは自己ベストを大きく更新。
学年順位も遂に高ノ宮聖と同列で一位を取ることができた。
コンディションも完璧——後は、勇気を出して告白するだけ。
告白するのは緊張する。
だが、この時の柚月に失敗するなんて可能性は万に一つも考えられなかった。
今までの学校生活、あの日高ノ宮聖と出会ってから、ずっと彼の隣に柚月は居続けた。
誰もそんな柚月の場所に近づくことができないくらい圧倒的に努力して、自分を磨き続けた。
まさに、誰しもが認めるベストカップルであり、彼の隣に立てるのは自分だけだと、柚月は確信していた。
いつもは緩くまとめて流している
ラフな格好——という事だったので、頑張りすぎない感じを意識し、流行りの柄を取り入れた女の子らしいワンピースをチョイス。
首元と手首に今年流行したデザインのアイテムを合わせて、可愛らしさをさり気なく演出し、シックな色合いのブーツで白を基調とした全体的な雰囲気をキュッと締める。
————よしっ! 完璧! ラフだけど、可愛い感じ‼︎
鏡の前で気合を入れ、いざ出陣と、柚月は待ち合わせ場所へと向かった。
***
夏の季節を色濃く感じる蒸し暑さと香ばしい匂いの混じった屋台通り。
川沿いに所狭しと並んだ屋台の周りには多くの人が思いおもいに目当ての屋台へ並び、子供たちの笑い声、お酒の匂いと陽気な話し声が行き交い、友人同士で写真を取り合う浴衣姿の女の子たちを横目に、柚月は今から高鳴る胸を押さえつけるように待ち合わせ場所である橋梁の下へと急いだ。
行き交う人々の多さに圧倒されながらも視線を巡らせ想い人を探す柚月は。
「あっ、いた——ひじりっ……ぇ」
人集りの中にあっても煌めいてすら見えるその姿に浮き足立つ心、だが柚月は高ノ宮聖に駆け寄る直前で、意識が硬直してしまう。
「お、ゆづきっ! ここ、ここ!」
同じく柚月の姿を見つけた高ノ宮聖は手を降って笑顔で迎える。
紺色が色白の肌にマッチした、過ぎ去る人たちの視線を奪う、男子にしては美麗すぎる
「ひじり……ぇっと、今日って浴衣——」
「ああ、悪い! どうしてもってせがまれてさ……」
誰に? そんな疑問を怖くて聞けずにいた柚月の視界に、背後からスッと揃いの紺色に綺麗な花柄の浴衣を着た小柄な人影が現れる。
「——っ、藤原、さん?」
「ゆづき、紹介するよ——彼女、って言っても昨日付き合ったばかりなんだけど」
「こんばんはぁ? 松浦さん。ひじりも紹介なんておおげさだよぉ! マイカも同じクラスだし? 松浦さんは女子にも男子にも超人気者だからさ、誰でも知ってるって」
さり気なく、だが、明らかに柚月を意識して藤原舞香は高ノ宮聖の腕に自らの腕を絡め、意気揚々とした態度で話しかける。
「ひじりとは、小学校のときからず〜っと仲良しだったんだけど〜、
でも、昨日勇気をだして告白しちゃったのぉ〜、そしたら〝親友〟の松浦さんに一番に紹介したいってひじり君に頼まれちゃってぇ。初デートだけど、今日は特別っなんだよ?」
柚月の思考が無理解に溺れていく。
意味がわからない、受け入れられない、今すぐにその手を離して? 気安く触らないで。
そこは自分の場所、自分がいるべき場所。
永遠にも思える思考の渦が負の感情を零し続ける。
「あ、あー、うん、わたし、帰る——」
「え? ゆづき? ちょっと待って」
いつのまにかこぼれ出しそうになっていた涙を見せないように振り返って歩き出そうとした矢先、パシっと暖かい感触と共に腕を掴まれた柚月は、最後の希望にでも縋るように続く言葉を待った。
「なんだかわからないけど、怒らせたならゴメン。でも俺、ゆづきとは、これからも、ずっと————友達だから」
最後に縋った希望の言葉は、柚月にとっての死刑宣告も同然だった。
それから、どうやって家に帰ったかも覚えていない。
夏休み明けのテスト対策も、宿題も、ネットのトレンドも、動画サイトのチェックも……なにもかも、どうでもよくなった。
その日から休みが明けるまで、柚月は家から一歩も出ることはなかった。