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本嫌いと本屋
鵜川龍史
現実世界現代ドラマ
2024年11月20日
公開日
3,195文字
完結
僕の大切な本屋に、本嫌いのあいつがやってくる。

第1話

「らっしゃっせー!」

 レジカウンターの向こうから聞こえてきたのは、この静かな本屋の雰囲気をぶち壊す、耳障りな甲高い声。この沼田という男とは大学時代からの腐れ縁で、切っても切っても、その縁を無理やり結んで繋いで近寄ってくる。

「らっしゃっせー!」

 押しつけがましい挨拶を無視して視線を逸らしても、無理やり視界に割り込んでくる。午後の二時過ぎとあって、幸いと言うべきか、小さな店内に他の客の姿はない。

「らっしゃしゃっせー!」

 もう、何を言っているのかも分からない。こんな時にお客さんが来てしまったら、うちの店の品位を疑われる。沼田の相手などしたくなかったが、仕方なく口を開いた。

「あのさ、いつも言ってるけど、ここ、僕の本屋だから。いらっしゃってんの、お前だから」

「俺はな、この本屋を、自分の店のように思っているんだ」

「それが、迷惑なんだよ」レジカウンターの前の荷物置きに腰を下ろした沼田は、お荷物以外の何者でもない。

「それにしても、ほんと、客来ないよな」

 沼田の耳は、都合の悪い言葉が聞こえないように出来ている。そして口の方はと言えば、いらないことしか喋らない。確かに、客がいないのは時間帯のせいではないが、沼田に言われる筋合いはない。

「うるさいな」

「いやいや、そこがいいんじゃない。この雰囲気が落ち着くんだよ」

「買わないなら帰れよ」

「どうせ、道楽でやってんだろ。いいじゃん、客なんて来なくても」

「いいわけないだろ! 客が来なければ、うちみたいな小さな本屋はつぶれるしかないんだよ」

「つぶれるのは困るな」

 そう言って、沼田が少し寂しそうな顔をする。まったく。こいつの子犬みたいな表情は、いやでも罪悪感を抱かせる。

「困るって言うなら、ちょっとぐらい貢献したらどうだ」

「どうやって?」

「本を買うんだよ」

「バカなこと言うなよ」沼田が大口を開けて笑う。「ここに来れば、ただでいくらでも本が読めるのに、なんで金を払うんだよ」

 さっきの罪悪感を返してくれ。

「本は売り物なんだよ」

「そうは言うけどな、最近、値段が上がってるだろ」

 確かに、それは僕自身もひしひしと感じていることだ。とはいえ、沼田にそれを言う権利はない。

「せめて本を読んでから言ってくれ。お前、本読んだこと、ないだろ」

 沼田は、おもむろにカウンターに半身を乗り出した。

「あ、そういうこと言っちゃうわけ? 俺ほどの読書家、いないよ」そう言って、黒々と見開いた目の視力は2.0。コンタクトがなければ何も見えない僕とは大違いだ。

「お前が本を開いてるところなんて、見たことないぞ」

 沼田がおもむろに咳ばらいをした。無理に低い声を出す。

「読書は……本を開く前から始まっているのだ……」

「出た。お前、すぐにそれっぽいこと言ってごまかすよな」

「……表紙を読むだけでも、読書は楽しめる、のだ」

「ああ、装丁とか装画のことか? まあ、言ってることは間違ってないけど」

「それは、デザインの話だろ。お前は、俺が文字を読めないとでも思ってんのか?」声の高さが元に戻る。だるいカラミが始まった。

「そんなこと言ってないし、そもそも、本のデザインを楽しむのは普通のことだろ」

「これだから、素人は困る」人差し指を立てて、噛んで含めるように言う。「読書っていうのはな、文字を、一つひとつ、読んでいくもんなんだよ」

 まじめ腐った顔に、思わず笑いがこみ上げた。

「うわー、すごいこと言った! 本読まないお前に言われたくないセリフランキング、堂々の一位だよ、それ」

「何、そのランキング。面白そう。読みたい。どの本に載ってんの。どこの棚?」

「急に読書家の雰囲気出すな。お前のことが、本に載ってるわけないだろ」

「ふーん。本っていうのも、大したことないな」

 手が届く範囲に京極夏彦がなくてよかった。危うく、本当の鈍器本になるところだ。

「そんなに読書家を気取りたいなら、何か一冊、オススメしてみてよ」

「では、これを」そう言いながら、レジ前の平積みから一冊、手に取った。「吉田ロハの『食卓を囲むまで』」

「新刊じゃん。読んだの?」

「タイトルが最高」

「ミステリーとか、読むんだ」

「帯の推薦文とか、三行も書いてあるし。もう、お腹いっぱい」

「読んでないだろ」

「作者の名前も、素晴らしい!」

「まあ、いいさ。僕も、積んでるだけで読めてない本、いっぱいあるし。それより、なんでうちで買ってくれないんだよ」

「買ってないよ」

「どういうこと? 図書館で借りたの? ロハの新刊じゃ、予約で一杯なんじゃない」

「ちがうよ。ここで借りた」

「……お前なあ」嫌な予感が的中した。両手でこめかみをマッサージする。沼田と話していると、必ず頭が痛くなる。

「大丈夫だって。そのうち返すから」

「万引きだからな」

「友達に向かって、そういうこと言うわけ? だったらいいよ。もう返さない」

「完全に万引きじゃないか!」

「万引きと言えばさ」

「さりげなく話を変えようとするな」

「客引きのアイディア、思いついた」

「どういう連想だよ」

「最近、独立系の本屋が増えてるって、ニュースで見たんだよね」

 全国的に書店が減少傾向にある中、こだわりと特色のある書店が評判だというのは、もちろん僕も知っている。「この店でも、特色を出せばいいんだよ!」

 溜め息が漏れた。もちろん、そういう書店に憧れがないわけではない。ただ、結局のところ、僕は単なる雇われ店長にすぎない。

「ああいうのは、オーナーさんの強いこだわりがあって、はじめて成立するんだよ。僕みたいな普通の人ができることじゃないの」

「無理にお前のカラーを出す必要なんて、ない! 例えば、作家の本棚、みたいな企画、あるだろ」

「ああ、作家に選書してもらうやつでしょ。大手の書店でもたまにやってるね。意外なルーツや趣味が見えて、面白いんだよね」

「それをやるんだよ」

「いやいや。作家の知り合いとか、いないから」

「作家じゃなくていいんだよ。例えば、そこの通りの角にあるタバコ屋のおばあちゃんの本棚、とか」

 なるほど。沼田にしては、悪くないアイディアだ。

「確かに、それはちょっと気になるね」

「だろ? これが麻薬犯罪実録モノばっかりだったら、どうするよ。タバコ屋に行列ができるぞ!」

「それ、違う葉っぱ!」

「商店街の精肉店ナイスミートの店長の本棚も気になる! サイコサスペンスばっかりだったりして」

「何の肉、売ってんの!」

「駅前の喫茶ラベンダーのマスターの本棚もいいな。ビジネス書とトーク術の本ばっかり!」

「やめて……。そんな一面、見たくない!」

「どうよ、この企画」

 思わず、一緒になって盛り上がってしまった。

「それ全部、妄想だろ。近所の人のオススメ本置いて、どうして売り上げにつながるんだよ」他人の本棚を覗いてみたいという欲求は多くの人が持っているが、残念ながらその本を欲しいとは思わないだろう。

「いいと思ったんだけどな」

「うちはな、至って普通の、町の本屋さんでいいんだよ。地域の人の憩いの場っていうかさ」

 僕の原点も近所の本屋さんだった。マンガの新刊の発売日には、学校終わりに小遣いを握りしめて駆け込んだ。中学校に上がって、文庫や新書と出会ったのも、近所の本屋さんだった。この店にも、そういうお客さんがちゃんとついている。

「憩いって言った? ……カフェとか!」

「カフェ? ここのどこにそんなスペースがあるって言うんだよ」

「そこの本棚どければいいじゃん」

「本を減らすな。無茶苦茶だな」

「で、どかした本を積み重ねて、机と椅子を作って、本を皿代わりにしてケーキ出すの」

「お前は、ザ、本を読まないやつ、だな。どういうコンセプトの店なんだよ」

「本嫌いの人のための本屋」

「本嫌いはそもそも本屋に来ないんだよ!」

「安心しろって。俺、本嫌いなのに、毎日ここに通ってるだろ。俺みたいなやつ、集めてくるから」

「勘弁してくれ」

 そう言いながらも、本嫌いの人に寄り添う本屋があってもいいかもしれないな、と思った。

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