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第5話 興味深いこと

 目玉焼き。それがただ卵を割って焼けば完成と思っているやつは、目玉焼きの何たるかをわかっていないし、たぶん料理もしたことがないだろう。

 目玉焼きにおける戦争は、ソースをかけるか醤油をかけるかというものが最も有名だが、他にも黄身は固めかぷるぷるか、黄身の色はオレンジがいいかピンクがいいか、など拘りを持てる点は多岐に渡り存在する。

「ちなみに、ソースと醤油ならどっちをかけるの?」

「塩コショウです」

「新たな戦争が起こるわ」

 まあ、あらゆる物事の多様化が進み、鷹揚に多様性を受け入れるようになった現代において、ソースだろうと醤油だろうと塩コショウだろうとマヨネーズだろうと、目玉焼きに何をかけるだとかそういう争いはナンセンスだと思うが。

「そういう課長補佐は何を?」

「醤油ね。あの香りがたまらないのよ」

 ふむふむ。

 与太はこの辺にしよう。

「僕は出されればなんでも食べるタイプの人間ですが、自分で作る場合は心に決めた決まりを守らないと許せないです。つまり、いついかなる場合でも、目玉焼きは半熟の両面焼きでなくてはならない」

「ああ……」

 常葉課長補佐の声色は、納得というよりは圧倒、圧倒というよりは憐憫に近いものがあった。敢えて言うと憐憫が近い気がするだけで、簡単にこれと断定できない、形容しがたい感情が籠っている。

 面倒くさい人間と思われたことだろう。ヒグレにはドストレートに「めんどくさっ」と評された案件である。

 それでも、譲れない、譲ってはいけないものだと僕は思う。

「食事というのは人間という種族にとって、最も身近で、最も根深い娯楽だと思うんです。それにおける拘りを捨てるということは、人間として生まれた誉を溝に捨てるようなものだと、僕は考えているんです」

 僕はそこでコーヒーを飲む。なんか力説してしまって喉が渇いた。

「ツキイデくん」

 課長補佐に静かに名を呼ばれる。振り向くと、課長補佐は。

「そんなに語るんなら、もっとちゃんとした食事をしなさい!?」


 * * *


「よっ、たすく。朝は課長補佐とアツアツだったみたいじゃないか!」

「……ヒグレ。休み時間とはいえ、ここは職場。馴れ馴れしい呼び方はよしてください」

 昼休憩の鐘が鳴りやむなり、僕の肩に手をかけ、引き寄せてきた異様なまでの距離感の近さの持ち主。髪を坊主まではいかないまでも刈り上げ、短くさっぱりとした印象の快活な男は僕の腐れ縁の幼馴染み。名を日暮ひぐれ幸志さとしという。

 ご覧の通り、フランクな性格で、コミュニケーション能力が化け物めいている。パーソナルスペースの狭いやつだとは思うが、人懐っこいこいつの性格を悪いと思ったことはない。人とのコミュニケーションを円滑に進める能力は仕事でも助けられているのだし。ただ、僕とはもっと距離を置いてくれ。

「休憩時間に細かいこと言うなよなー、ツキイデ。人とのコミュニケーションは必要最低限でいいと普段から宣ってるお前が、常葉課長補佐に仕事と関係なさそうなことを熱弁してるとなったら、面白がるより他ないだろ」

「面白がらないでくださいよ」

 敬語やめろって、と肩を叩かれる。まあ、確かに休み時間に敬語はやりすぎかも、と思った。しかもヒグレ相手だ。

「で、ヒグレはこれからお昼だろ? 僕のところで油売ってていいのか?」

「油を売りに来たんだよ。飯、一緒に食おうぜ」

 朝の話とか聞きたいし、と。面白がる気満々だ。

 だが、実害があるわけではないのでいいか、と思い、サンドイッチとマグカップを持って立った。課長補佐からもらったスープも忘れずに。


 社員食堂に移動する。僕はあまり利用しないが、ヒグレはしょっちゅう使っているようで、食堂のご婦人とも親しげだ。

「日暮くん、今日はなんにする?」

「肉うどんで! おにぎりある?」

「あるけど、今日はおいなりさんもあるよ」

「お、じゃあおいなりさん二つ!」

「あいよ!」

 とてもチャーミングな感じのご婦人だ。小柄ながらにぱきぱきと動き、訪れる社員と軽快に言葉を交わし、注文を取るさまは清々しさを覚える。

 白で統一された割烹着姿がよく似合う。なんてそっと観察をしていたつもりだったが、ご婦人は目敏く僕の存在に気づいたらしく、にこっと笑いかけてきた。

「あら、見かけない社員さんね。日暮くんのお友達?」

「まあ、オトモダチ……ですね」

「なんで嫌そうなんだよ」

 付き合いが長すぎて嫌気が射しているからだ。

 学校が同じなのはいいんだ。なんで職場まで同じになったのか。これが、密かに想いを寄せていた憧れの人とかなら甘酸っぱいドレンチェリーみたいな感じで乙なのだが。相手は男だ。

「あたしは食堂に勤めてる阿笠あがさっていうよ。日暮くんはお姉さんって呼んでくれるけど、オバチャンでかまわないからねえ」

「……ツキイデとお呼びください」

「ツキイデくん? 日暮くんと似た感じだねぇ。いいね、名前までお揃いみたいで」

 微笑ましげな目で見られた。なるほど、これが昭和のオバチャン……と目を細める。今時の女性よりはよっぽどわかりやすい。

「ツキイデくんは何か頼む? お弁当お持ちのようだけど、ドリンクも頼めるよ」

「いえ、僕は」

「ウインナーコーヒー一つ!」

 勝手に頼まないでほしい。コーヒーは好きだけれども。

 ヒグレを睨むと、悪びれる様子もなく、それどころか「俺の奢り」と恩を着せられた。

 まあ、奢りと言われて断る理由はない。別にクリームが苦手というわけでもないのだし、ご厚意に甘えさせていただこう。

 食堂だから、こうしてメニューを頼むこともできるが、給湯器や電子レンジなどもあり、持ってきた軽食を食べることもできる。僕は事務所のポットで済ますけど。

 ひとまず、マグカップに課長補佐からもらったスープの素を放る。キューブタイプのやつだ。ほうれん草らしきが見えて、鮮やかな印象だが、キューブタイプは初めて食べるので、これがお湯をかけてちゃんと広がるのか、いまいちぴんとこない。

 まあ、何事も初めてのときは何もわからないものだ。試すしかないだろう、と給湯器でお湯を注いだ。

 カップの中で、キューブがお湯を受け、ほろほろとほどけていく。揺蕩う黄色は卵だろうか。他にもふよふよとした半透明なたまねぎや鮮やかな緑のほうれん草、赤みのある人参のオレンジとなかなか彩りのバランスの良い具材が広がっていく。

 ほんのり胡麻の香りがするので、中華系のスープなのだろう。フリーズドライの技術は凄まじいな、と感嘆した。

 席に戻ると、ヒグレが楽しげにくつくつと笑っていた。そこは普通に笑ってもいいだろうに。

「お前っていつもそうだよな」

「急になに?」

「いや」

 お冷やのグラスをお猪口感覚で傾け、こくりと嚥下するヒグレ。くつくつと声を潜める必要はないと思うのだが、よく笑う友人のこの笑い方は嫌いじゃなかった。

「お前さ、昔から、なんでもないようなことを目ェキラキラさせて眺めるだろ? 普段は澄ました顔してんのに、味噌汁の味噌がふわふわ花みたいに広がっていくのを冷めるまで観察したり、ホットケーキが膨らむ様子に目を輝かせたりさ。変っちゃ変だけど、おもしれーヤツ」

「おもしれー女みたいな言い方しないでほしい」

「はっは」

 ほら、早くしないと冷めるぞ、なんてヒグレは僕をからかった。確かに、味噌汁が冷めるまで味噌を観察したのは悪かったと思うが、一体何年前の話だと思っているんだ。小学校入学したばかりくらいの頃の話だぞ。

 ヒグレの記憶力に内心でドン引きしながら、スープを一口。鶏ガラの出汁と少し濃いめの塩味。そこに生姜とニンニクの香りとパンチが織り交ぜられて、スープながら「食べ応え」を感じる。それでいて卵や野菜たちは口当たりが良いので飲みやすい。

 味噌汁よりこういうスープの方が好きかもしれないと気づいた。なかなかの発見だ。

「そんな美味しいもんを美味しく食うんならさ、もっとちゃんと食事に気を配れよな」

「余計なお世話」

「常葉補佐との話もそんな感じだったんだろ?」

「……」

 図星をさされて沈黙するのはわかりやすすぎて良くないとは思うのだが、他にどうしろと、と言い訳めいた思考をして自分を誤魔化す。誤魔化したところで、図星には変わりないのだが。

 僕が沈黙していると、阿笠さんの声が聞こえた。ヒグレの肉うどんと僕のウインナーコーヒーが出来たらしい。

「ほら、飯にしようぜ。食いながらでいいから、話聞かせろよ?」

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