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第3話 常葉課長補佐

 課長補佐が僕の肩から手首に手を置き換える。労るように握りしめてくる姿は、普通ならロマンチックに映るのかもしれない。常葉課長補佐、美人だし。

 けれど、なんというか、僕には母親というか、お節介おばさんの様相が強く感じる。

「サンドイッチ一個で成人済みアラサーの胃袋が足りると思ってるの!? 百歩譲ってこれが朝食ならまだいいわよ。百歩譲った状態だけど。昼よ? ランチ。お昼ごはん!! 一番エネルギーが必要なタイミングでの食事! それがサンドイッチ一個? せめてサラダかスープをつけなさい!!」

「え、でももう会計済ませましたから……」

「なら、これあげるから」

 ちゃきちゃきと鞄の中、弁当箱が入っているのだろう頭巾から、個包装の飴より二回りくらい大きい袋を出す。これは、よく意識の高そうな女性陣が飲んでいるインスタントのスープだ。よく動画広告で見る。

「いや、でも、これ課長補佐の」

「デスクに予備があるわ。それよりツキイデくんの荒んだ食生活を和らげる方が先決よ」

 別に、荒んでないですけど、という言葉は自動ドアが開いて現れた困惑気味の女子高生の姿に飲み込まれた。

 言い合いするにしても、ここは邪魔だよな。冷静になった。


 どうせ行き先は同じである。コンビニを出ると、常葉課長補佐と並んで歩き始めた。

 ハイネックシャツに、ジャケットを合わせるパンツスタイルのキャリアウーマン。化粧が濃いということはないが、人間として自然な感じに見栄えのする化粧をしている。たぶん、濃ゆい顔に見えるのは、元々の顔が濃いんだと思う。

 女性の年齢を聞くのはあまり良くないというので、敢えて尋ねるような真似はしないが、おそらく三十代くらいだろう。それで課長補佐の地位にあるのだから、バリキャリといっても過言ではない。

 常葉ときわゆえという僕の上司は、やばいくらいの働き者だ。

「ちなみにツキイデくん」

「はい」

「朝食は何を食べてるの? まあ、朝って時間がないから簡単なものになっちゃうのは仕方がないけど」

「カロリーフレンとコーヒーです」

 カロリーフレンとは、朝に食べた栄養ブロックの商品名だ。栄養ブロックというと、今は大豆を使ったものやプロテインバーなど色々あるが、カロリーフレンは長年愛顧されているだけあり、安定した味わいと親しみやすさで、僕も好んで食べている。

 うん、常葉課長補佐の表情が硬い。

「いつもそれってわけじゃないわよね?」

「日によって違いますよ? 十秒チャージのゼリー飲料のこともありますし、大豆たんぱくのソイエネのときもありますし。あ、最近は玄米クラッカーのやつがなかなか美味しくてですね」

「他は?」

「コーヒーは欠かしてません」

 僕はわりと能面らしいのだが、気持ちの上では「どや」という気持ちで常葉課長補佐を見た。

「簡単なものとは言ったけど、毎朝それなのはどうなの……」

「駄目ですか?」

「……休日、ちゃんと食べてるなら、千歩くらい譲れるけど」

 休日?

「生活リズム崩したくないんで、休日も朝のルーティンは一緒です」

「せめて休日はいいもの食べて!?」

 余計なお世話だ、と思ったが、「休日」「余計なお世話」というキーワードから、一つの顔が浮かぶ。

「あー、休日だと、時々、ヒグレのやつが家に突撃してきて、連れ出されるんですよね」

「グッジョブすぎる」

 思わずといった様子で感銘を受ける課長補佐。すぐに顔を戻し、確認してきた。

「ヒグレって、日暮ひぐれ幸志さとしくん? ツキイデくんの同期よね」

「はい。ヒグレとは腐れ縁で……幼稚園から一緒ですかね」

 日暮。お調子者で騒がしい腐れ縁。幼稚園、小中高、大学も一緒で、就職先まで一緒になった。腐れ縁にも程があるというやつである。嫌いではないが。

 お節介焼きというか、あいつはたぶん、一人で過ごすのが寂しいんだろう。陽キャだから。

「あら、幼馴染みってやつ? いいわね、そういうの。休日に連れ出されるって言ってたけど、どこに行くの?」

「町中華とか、定食屋とか……飯ですね」

「おお」

 ごはんの話と聞いたからか、課長補佐の瞳が煌めく。

 まあ、ごはんの話って、天気の話と同じくらい共通の話題として取り上げやすいもんな。

「課長補佐は、何か好きな食べ物あるんですか?」

 勝手なイメージだが、玄米を食べていそうではある。

「私が好きなのは、そうねぇ……甘い卵焼きかしら」

「……甘い?」

 疑問符が浮かぶ。まあ、確かに小学校の家庭科の授業で「卵焼きには何入れる?」みたいなトークテーマのときに「砂糖」と答えていた人物はいたが……僕は卵焼きといえばだし巻きの一択なので、あまりイメージが湧かない。

「素材の甘味が引き立ってる、とかいうやつですか?」

「いえ、お砂糖をたっぷり入れて焼くのよ?」

「……」

「ツキイデくん、そんな顔することもあるのね。ゲテモノじゃないから」

 しまった、顔に出ていたか。

 とはいえ、僕に食生活を説くバリキャリが、砂糖たっぷりの卵焼きが好物だなんて、なんだか変な感じだ。玄米や野菜を味噌で食べる宮沢賢治イメージを返してほしい。

「課長補佐は、健康志向の方だと思っていました」

「やあねぇ。甘い卵焼きはたまに食べる嗜好品よ」

 あ、よかった。

 とはいえ、と課長補佐は続ける。

「ツキイデくんは甘い卵焼きに対して、抵抗と疑問があるようね」

「まあ、はい。砂糖たっぷりっていうのは、なかなか不健康な響きだな、と」

「それはそう」

 砂糖は焦げやすいし、作るのも大変よ、と腕組みをして語る課長補佐。

 僕は目を丸くした。

「課長補佐って、料理するんですね……」

「ツキイデくんは、私を何だと思っているの?」

 目を平坦にして僕を見る課長補佐。何だと思っても何も、ちょうど答えが見えてきたところである。

 答えとは、僕と常葉課長補佐の勤務先。僕たちは文房具会社での事務や営業を行っている。

 そんな弊社の社名は「常葉文具」。ちょっと洒落っ気のある明朝体系統の書体でできた社名のロゴが、ビルディングの頂上付近を飾っていた。

 既にお察しの方も多いことだろう。目の前の僕の上司、常葉月課長補佐とは。

「会社の創業者の孫にして、社長息女。うちの会社は儲かっていると思いますから、課長補佐が家政婦の一人や二人雇っていても、何も不思議には思いませんよ」

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