駅には二軒のコンビニがあり、会社の斜向かいにも一軒ある。他、会社近くに三軒。こんなにコンビニがあるので、コンビニ商品の話題には困らない。
電車から降り、改札を抜ける。カードを読み取る機械が、無数の人間の下、今日も元気に歯車を回す。ぴ、という電子音声は、鳴き声なのかもしれない。
改札を抜けた先には、飯屋が何軒かあるが、朝の早い時間に人の姿が見られるのはコーヒーショップ。毎月新作を出すようなまめさも派手さもないが、根強い人気で息が長い。女性社員が口にするのは毎月の新作と豊富なカスタムメニューで有名なコーヒーショップだが、あまり多くを語らないタイプの社員は、こちらのコーヒーショップで朝の時間を潰していることがある。
ほら今も。窓際の席に人事部の伊東さんがホットドリンクを飲んでいる。おそらく紅茶だ。
よく語られるコーヒー派か紅茶派かについて、僕は取り立てて他者と争う気はないけれど、朝の一杯をどちらにするかと問われると、コーヒーと答えてしまう。
伊東さんは人事部の顔みたいなもので、窓口受付担当だ。普段は物静かで、周りから一線引いて見えるが、とても人当たりがいい。僕はあまり人事部に世話になるようなことはしないのだが、腐れ縁の同僚が軟派なヤツで、よくちょっかいをかけるのに巻き込まれるのだ。
伊東さんはコーヒーが体に合わないのだと言っていた。飲めることは飲めるらしいが、具合悪くなりやすいそう。そんな事情があるのに、無理にコーヒーを勧めるのは愚策だろう。でも、コーヒーの香りは好きだから、コーヒーショップで飲み物を飲むのだとか。
出勤時間に余裕を持ち、優雅な朝のルーティンを成立させている伊東さんは純粋に尊敬する。とりあえず、そんな真面目な方に下心しかない状態で近づいている腐れ縁に関しては、詐欺と掏摸とひったくりに一挙に遭って、全財産を喪失するくらいの苦難に遭ってほしい。
まあ、僕がそんなことを思うのは、あいつに対してくらいなものだが、と考えながら、僕は階段を降りた。エスカレーターもあるのだが、どうも僕はあれが苦手で、いつも乗るタイミングがわからない。
それに、エスカレーターに乗ると、必ず横を駆け抜けていく御仁が現れる。あれが怖い。そんなに急ぐのなら、最初から階段を使えばいいのでは? と常々思う。
それに、階段から行った方が、コンビニは近い。僅か数メートルの差ではあるが。
コンビニで何をするかというと、まあ、昼食の調達だ。毎日弁当を作れるほど、僕はまめでもなければ、レパートリーが多いわけでもない。コンビニ弁当はお金がかかる、と質素倹約を掲げる人間はいるが、お金がかかるものを食べられるのは、ちゃんと働いている証拠だ。
まあ、朝食を栄養ブロックで済ませている話をすると、母親にはああだこうだと言われるんだけど……
僕は弁当コーナーの陳列をざっと見る。「新商品」のシールが目にちかちかとした。そういえば、このコンビニは水曜に新商品を置くのだったか、と思い出す。今日は木曜日。新商品は一週間くらいは新商品の扱いだし、昨日の名残だろう。寒くなってきたからか、スープ系の商品が目立つ。ああ、この「一日分の野菜」とか「食物繊維がたっぷり摂れる」とかは女性受けするんだろうな。
僕が特に目を引かれたのは、肉団子スープだ。鶏ガラ出汁の中華風スープなのだろう。香味野菜がたっぷり入っているようだ。刮目すべきは刻み生姜。刻み生姜である。
おろし生姜が悪いということは断じてない。が、僕は刻み生姜のように実体のあるタイプの生姜が好きだ。あると嬉しい。
パッケージは周りと比べると小さめだが、これで四百円ほどなのは普通に良さそう。明日は金曜日だし、残っていたら、明日買おう。
僕の目的は弁当ではない。目線の高さほどの棚に目を移す。立ち並ぶはサンドイッチ。
ここにも新商品の文字が。ふむふむ、BLTサンドのわさびマヨとな。悪くない組み合わせだ。それに、わさびは好きだし。
実際に手に取ると、BLTサンドというのは見栄えがいい。なんだっけ。中国だったか日本だったかは忘れたんだけど、料理は赤、緑、黄色、黒、白が揃っていると、見栄えも味も栄養バランスもいいとか言う話がある。ベーコンは茶色だが、分類的には黒と考えていいらしいから、黒、緑、赤が揃っているBLTサンドはかなりいい線をいっている。
これにしよう、とBLTサンドを手に取った。目新しいものが好き、というわけではないが、まあ、こういうものは気分で決めた方が気持ちがいい。
ペットボトルドリンクのコーナー、冷蔵庫の上方にある時計を見た。スマートフォンの普及もあり、人はあまり時計で時間を確認しなくなったと聞くが、ふとした拍子に顔を上げただけで時間が確認できるのは非常にありがたいので、時計はなくならないでほしい。長針が数字の二を通りすぎ、三へ向かおうとしていた。
七時半には会社に着きたい。ここからなら十分もかからないし、早く着く分には何も問題はない。さくっと会計を済ませよう。まだコンビニでの導入が少ないセルフレジへと向かう。
便利だけれど、店が大きく、客の多いスーパーならともかく、コンビニはスーパーに比べると、店の規模は小さい。昼頃はものすごい混み方をするが、一日中ということはない。食い繋ぐためのアルバイトの代表としてコンビニバイトが挙げられるわけだが、こうして無人化を進めていくと、バイトが必要なくなって、社会的に困る人間が増えるのでは、と微妙な気持ちになる。
複雑な思いを抱えながら、会計を終え、店を出ようとしたところで、がっと肩を掴まれた。思わずたたらを踏む。優秀な自動ドアのセンサーが僕を感知し、うぃーん、と開いた。が、五秒ほどで閉まる。
僕の肩にかけられた指先には薄桃色のマニキュアが塗られている。シンプルなそれはお洒落というよりは、血色を良く見せるために塗られているのだろう。爪の先なんて、と思うだろうが、営業をしていると、わりと細かいところまで見られているのだ。気の回る人なのだろうな、この人。
と、人となりの想定をある程度して、振り向くと、見知った顔。艶やかな黒髪、柔らかな色合いのハイネックにチョコレート色のジャケットを合わせている。お洒落でありながらキャリアウーマン感が滲んでいて、とてもその人らしい。
「……課長補佐?」
「おはよう、ツキイデくん」
少し太めで存在感のある眉の下、黒目部分が大きく見えるのが特徴的なその人は、
「課長補佐も、コンビニ来たりするんですね」
「そりゃあね。ところで、ツキイデくんの持ってるそれは、お昼?」
「はい」
「まさか、それだけじゃないでしょうね?」
「え、これだけですけど」
何か問題でも? と首を傾げると、今度は両肩をがっしりと掴まれた。え、何?
「もっとちゃんと食べなさい!!」