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ありごち ~ありふれた御馳走様がこんなにもすばらしい~
九JACK
現実世界グルメ・料理
2024年11月20日
公開日
3,206文字
連載中
どこにでもいる会社員の僕は「不健康優良児」なんて渾名がついているけれど、それなりに幸せな生活を送っている。
世話焼き女上司、年齢とイコールくらいの腐れ縁同僚、親に反抗期気味の妹。僕の周りには個性的な人がたくさんいる。
なんでもないような日々に感謝を込めて、僕は毎日の食事を「御馳走」と呼ぶ。

第1話 新しい朝

 カーテンの隙間から、微かな陽光が射し込む。それに反応した瞼が震え、ぼんやりと世界の輪郭が開かれる。

 重力に従順な体を起こして、ベッドサイドに手を伸ばす。手馴染みのある凹凸。それを掴んで、目元に宛がう。耳にそれが引っかかった感触を合図に目を開けると、特に手入れをしていない睫毛が抜けたらしく、目の中にものすごい違和感が生まれた。

 少し痛みを伴いながら、何度か瞬きを繰り返すと、異物感が取れてくる。レンズと顔の隙間に指を入れ、目尻を擦る。少し、すっきりした。

 カーテンを開ける。まだ少し薄暗さのある青空。射し込む陽光を所々遮る高層建築。窓をからりと開けてみると、清涼さのある空気の中に少し埃っぽさがあった。田舎がどうなのかは知らないが、都会っぽいと感じる瞬間だ。

 腕を伸ばし、肩を回し。ぼさぼさの髪を手櫛で適当に整える。細かい抜け毛が肩についたが、まあ、着替えるのであまり気にしない。

 時計を確認する。ベッドサイドにあるスマートフォンなら、デジタル時計表示なので確認しやすいが、妹から押しつけられてそのまま使い続けているファンシーな目覚まし時計を見る。短針が六の近く、長針は八を通りすぎていた。

「五時四十三分……朝一の電車が六時二十八分だから……まあ」

 起き上がり、着替え始める。シンプルな黒のスーツ。ネクタイは臙脂に紺と白のストライプが入ったもの。鞄を取り、ジャケットを抱え、寝室から出る。

 一人暮らしの男性会社員の自宅に、面白味のあるものなど置いていない。なんとなく買った観葉植物が、朴訥と部屋の片隅に佇んでいる。妹は「おにいのドッペルゲンガーみたいだね」と皮肉げに笑っていた。

 朴訥剛毅仁に近しという言葉もあるし、似ていると言われて悪い気はしない。……が、よく考えると剛毅ではない。自分は。

 とりあえず、コーヒーを淹れよう、とやかんを出す。取っ手の二つついた黒いマグカップは、お気に入りの出版社のオリジナルデザインだ。シンプルで会社に持っていっても問題ない。が、これがここにあるのは、お気に入りを割られたらさすがに凹むからである。

 自分は感情の振れ幅が小さい。指摘も受けるし、自覚もしている。その影響か、稀に動揺を露にすると、大袈裟なまでのリアクションと、過剰なまでの心配が寄せられて、正直煩わしい。

 負の感情を抱くのは疲れる。故に、感情が揺れる要因を、外には持ち出さないようにしていた。マグカップはその一つだ。

 マグカップの中に、ざらざらとインスタントコーヒーの粉を入れる。インスタントコーヒーにも、様々な粉のタイプがあって、砂のように粒が細やかなものやゴマ粒くらいの大きさの角ばったタイプなどがある。どちらもお湯を注げばコーヒーになるのは変わらない。そのため、特にこだわりはないが、ぼんやりしていても確実に溶けてくれそうな細かい粉のタイプを愛飲している。

 カフェイン中毒、と言われるほど、コーヒーを嗜むわけではないが、一杯辺りに入れる粉の量は多い。ティースプーンではなく、普通のカレーとかを食べるスプーンで山盛り二杯。それにお湯を注いで飲む。砂糖やミルクは入れない。入れるのが面倒くさいからだ。

 別に、なくても困りはしない。それに、食べ物と一緒に味わうのなら、砂糖やミルクは雑味だ。

 一人がけには少々広すぎるテーブルにコーヒーを置く。客が来たときのために、大きめのテーブルにしなさいと言ったのは、母だったか、大学の友人だったか。思い出せないまま、棚の戸を引く。

 毎日のように開け閉めされるその戸は、何の引っかかりもなくするすると滑り、僕の秘蔵品コレクションが姿を現す。

 ブロックタイプの栄養補給食品四種類が各三個ずつ。大豆系のエナジーバー十本。ゼリー飲料三種類が三個ずつ。魚系の缶詰が八個、果物系缶詰が二個、大きいスパム缶が一個。いつ見ても壮観だ。

 僕は料理ができないわけではない。たぶん人並みにはできる。が、する気がない。だって、自分一人のためにわざわざ調理するのは骨が折れる。自分なんて、何かのついででいいのに。

 それはさておき。今日はどれにしようか。……なんて、考えているときには既に答えは出ている。というか、迷いなくブロック食品の一つを手に取っていた。

 このシリーズ、あまり限定フレーバーとか見ないなあ、とぼんやり考える。先日、十月が終わって、ハロウィンのお祭り騒ぎはあらゆるところに飛び火していた。食品関係は軒並みパンプキンによる侵攻を受け、これがジャックオランタンの実力、なんて馬鹿みたいなことを言って、腐れ縁の同僚に笑われたのはまだ記憶に新しい。

 お洒落なコーヒーショップなんかでは、季節の新作が当たり前に出ていて、それを知らないと世間知らずだの田舎者だのと呼ばれる。不便というか、余計なお世話というか。

 流行り廃りはどうでもいい。ただ、同じ味で安定感を味わいたい。そんな自分に合っているのが、このブロック食品。四種類のお馴染みの味から選んだのはフルーツ味だ。

 グレープフルーツをベースにしているらしいフルーツ味が、僕は一番オーソドックスで好きだ。箱を開け、一食分の袋をマグカップの隣に置く。残りを戸棚に仕舞い、着席。手を合わせる。

「いただきます」

 袋を開けると、とても分厚いクッキーのような出で立ち。ぽつぽつと規則的に空いている穴の意味を僕は知らない。意味があろうとなかろうと、安定した味に差違が出るとは思えないが。

 ブロックを口に含む前に、コーヒーを一口。ピーマンは小六まで食べられなかった人間だが、コーヒーは小四から嗜んでいる。もちろん、ブラックで。他からは入れすぎと言われる粉の量だけれど、これくらいの濃厚な苦味じゃないと、僕は満足できない。

 普通のコーヒーよりも、エスプレッソの方が好きだし、単純に僕は苦いコーヒーが好きなんだろうな。やかんで沸かしたてのお湯を注いだからか、口の奥にひりひり感が生まれる。その後に来る濃縮された苦味とコク。朝に飲む濃いめのコーヒーは、目覚めを与えてくれる。

 コーヒーの香りがある程度鼻腔から立ち退いたところで、僕は栄養ブロックを頬張った。お菓子というには油っ気がなく、口の水分を奪いながら広がり、存在感を示すブロック。小麦粉の素朴な味わいにはいつだって親近感が湧く。パンなどでは得られないほろほろと砕けていく感触。

 口の中の水分が奪われるため、もそもそしている、ぱさぱさしている、などと嫌う声もあるが、僕は好きだ。甘味が濃縮され、フルーツの瑞々しい香りがほどよく小麦の香りとミックスされる瞬間。パウンドケーキでは味わえないタイプのブレンド。このブロックシリーズの中で、フルーツ味が好きな最大の理由である。

 小麦の味の素朴さを掻き消さない絶妙さの果実感。この絶妙さは人生三十年ほどの中で、代替を見つけられなかった。

 水分を欲する口内に、コーヒーを流し込めば、完全無欠とさえ思える調和がもたらされる。ブロック食品に足りない芳ばしさが口内から鼻腔へ抜け、嗅覚における満足感を。意外かもしれないがコーヒーは柑橘との相性が良く、グレープフルーツのフレーバーであることもあり、苦味が喧嘩をしない。味覚においても過不足ない組み合わせ。

 グルメ系のアニメか何かで、美味しい組み合わせに「マリアージュ!」と叫びまくるキャラがいて、マリアージュを安売りするなよ、と思った僕だが、フルーツ味のブロック食品とコーヒーの組み合わせに関しては、文句なしのマリアージュだと断言できる。

 何せ、この手の食事を試行錯誤すること十五年以上。玄人というにはまだ青くとも、素人と謗られるほど経験値が不足していることはない。

 ああ、朝からこんなにも満たされるなんて、なんて素晴らしいことだろう。

 朝食を食べ終え、マグカップを軽く洗うと、僕は身支度をした。もちろん、ごちそうさまを忘れない。

 駅まで徒歩十分弱。短いが、食後の運動にはちょうどいい。ジャケットを羽織って家を出た。


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