崩落するビルと共に地面へと墜落しながら、デイビッドはサンジェルマンと初めて会ったあのとき、別れ際に彼からSMIの三人に渡された暗殺依頼書を想起していた。宇宙の法則を乱しうる脅威となった今、ガブリエルへのそうした対応も許可された故の提出だという。
なぜだか、そこに書いてあった情報を補強するような記憶までもが、テレパシーのように流れ込んでくる。
発信元は、もはや天に遠ざかりつつある先程まであったSMI本部ビルのさらに少し上空。朝陽と重なって輝くように浮遊する、天使の名で呼ばれる白衣の老人だ。
……ウィリアム・ガブリエル・リンドバーグは十九世紀後半に、アメリカの裕福な家庭で長男として誕生した。
幼い頃から英才教育を受け、本人も応えられるほどの資質を有し、神童の名を欲しいままにした。彼の才能は恐るべきことに、自ら超常現象を研究して異能の法則を見出し、独学でそれを身に着けるまでに至らしめた。
家族が心霊主義に傾倒し、豊かさ故に著名人が属するそうした活動にも一緒に参加できた影響もあったのかもしれない。
ために、影と日向の狭間たるその手の業界を監視していた影社会からもすぐに誘われた。
特異能力の成り立ちを説明され、一般人には参加できない世界へ介入できるという特殊性に惹かれてガブリエルは迷いなく誘惑に乗った。
だが、この時に最初の疑問を抱くことになる。
日陰に属するに当たり、日向の彼の実績は異能を含む記憶や経歴の改ざんで抹消されたのだ。
彼は、事故死したことにされた。
それでも、当初はまだ日陰で上り詰めた先に何かがあると思っていた。
十九世紀の終わり頃。影の政府に属していたガブリエルは、自身と似た才能で日陰に足を踏み入れつつあったニコラ・テスラに科学者の同期として接触する監視任務を受けた。
ちょうどエジソンと袂を分かったばかりのテスラと、ガブリエルは意気投合。任務を抜きにしても友好的な関係を築くことができた。
二〇世紀始めにある事件が起きるまでは――。
ツングースカ大爆発。
1908年6月30日、現地時間7時2分頃。ロシア帝国領中央シベリア、エニセイ川支流のポドカメンナヤ・ツングースカ川上流の上空で隕石によって起こったとされる未曾有の大災害。
爆心地から数十マイルに渡って森林が炎上、約千平方マイルの範囲で樹木がなぎ倒された。爆発によって生じたキノコ雲は数百マイル離れた場所からも目撃され、衝撃波は地球を二周したという。影響で数夜もの間アジアおよびヨーロッパにおいても夜空は明るくなり、ロンドンでは真夜中に人工照明なしに新聞を読めるほどだったそうだ。
「気は確かか!?」
この出来事の直後。とある薄暗く広い実験室で、テスラは己の他にはそこにもう一人しかいない影へと怒鳴った。
「自分がしたことを理解してるのか、こんなことのためにぼくは発明をしているわけじゃない!!」
相手は、自身と同じ白衣を着た中年の後ろ姿だ。まだ頭部が豊かなガブリエルだった。
彼の眼前には複雑な機械が、視認できる稲妻をいくつも放っている。テスラコイルと呼ばれる装置を巨大化させたものだった。この鉄の塊に食い込むように設けられた座席に、背中は座っていた。
叱責を受けて悠長に振り返り、ガブリエルは閃光から目を保護するために掛けていたサングラスをはずした。
「犠牲者はいないはずだ」
彼は涼しげに弁明した。
「よかったじゃないか。異能を君の発見したテスラー波に乗せれば、膨大なエネルゥギーを生めることが証明できたんだぞ。ソ連は広大だし日露戦争が終わったばかりだ、詳しく調査する余裕もないだろう」
「犠牲者はいないはず? よかっただと!?」
信じられないといった調子で、テスラはがなる。
「近辺の自然現象を制御するだけの実験なはずだろう、君はぼくに嘘をついたんだぞ! いったいどれだけの人に異能を送ったんだ、あんな破壊を起こしてどうするんだ、死傷者がいたらどうする、規模がこんなものじゃすまなかったらどうするつもりだったん――」
矢継ぎ早に質問しつつ興奮して襟首をつかんできた相棒に、帰ってきた返答は一言だった。
「静かにするんだ」
だけで、ニコラ・テスラは身動きも発言もできなくなった。理由はわかっていた、ガブリエルに誘われて影に踏み込むやまもなく教えられた異能〝催眠〟だ。
「爆発がもっと大きかったらどうしていた、か」
もはや微動だにできない友人へと、死の天使は冷たく答える。
「ちゃんと計算の上だから侮らないでくれよ。まさにもっと大規模な破壊をもたらすのが最終目標だがね。君とそれを見届けられなくて残念だ」
これが、二人の付き合いの終極となった。
その後、もはや影社会での地位ではテスラより上であったガブリエルは相棒が影政府の協力者としては相応しくなく実験を邪魔されたと虚偽の告発をした。これにより、ニコラ・テスラは記憶を改竄されガブリエル・リンドバーグのことを忘れて日向社会に帰されたのだった。
かくしてツングースカ大爆発の真相は、一人を除いて誰も知らないものとなった。
やがて、ガブリエルはレーダーから船を隠蔽する試み『レインボー・プロジェクト』として次なる大規模実験を発案。それは表向きテスラの計画とされジョン・フォン・ノイマンに引き継がれたとの情報操作を経て、ニコラ・テスラの亡くなった1943年に実行された。
10月28日。ペンシルベニア州フィラデルフィアの海上に浮かぶ駆逐艦エルドリッジは、実験が開始するや海面からの光に覆われ、完全に消えてしまった。
レーダーからだけでなく、物理的に。
さらに、千五百マイル以上離れたノーフォークにまで瞬間移動したのである。数分後、またもや発光に抱かれた艦は、もとの場所へと瞬間移動したのだった。
これら一連の現象により、エルドリッジの乗組員は行方不明及び死者十六名、発狂者六名という惨事に見舞われた。
科学の範疇を超えた結果だった。
こうして、計画は犠牲者もろとも影のものとなり、表舞台の史実は異能を駆使した捏造と隠蔽でごまかされた。成果は、秘密裏に異能兵器としては応用できそうなものではあったが日向で用いることを想定していた軍は怒り、そちらと係わることをガブリエルは禁じられた。
彼のもう一つの目論見は達成されていたのだが。
「成功だ」
エルドリッジが消失した時分。
海岸に設けられた軍人や研究者たち用の壇上の観覧席。この最上段からそれらの光景を展望し、ガブリエルは誰にも聞き取れない快哉を叫んでいた。
「この規模の出力だと、あとはノーフォークゥに移動後、帰路につけるかだな。死者は十六名、発狂者は六名といったところか」
パニックの騒ぎに満たされる人々によって彼の呟きは掻き消された。
ガブリエルは嗚咽する演技で面を伏せ、笑っていたのだが。
彼は予知能力者ではない。
予測が当たったのは、ツングースカ爆発の実験を小規模化し、かつ発生する出来事をどれほど微調整できるかという試みのためだった。
大爆発のときは、自身の催眠によって異能の存在を信じ込ませ日向から相応の人数を発火能力者に覚醒させ、標的に能力を集中させた。瞬間移動も同様、催眠を用いた覚醒と能力の行使を促したのだ。
日向社会を追放され影の専属にされるのも狙い通りだった。
その頃には、影と日向を融合させる枢軸国の政策をも羨んでいたからだ。いくら名声を積み上げても、影である以上陽光の下では無名な自分に苛立っていた。