「おまえの異能は何だ、ウィークコヨーテ」
数日前。焚火の向こうでグレイコヨーテは問いかけた。
独自にアレンジされたサンダンスの儀式中、荒野の夕刻だった。
デイビッドはこの日まで四日間飲まず食わずで、夕陽に踊りを捧げている。
彼の胸と腕には鷲の爪が貫通しており、生皮と繋がったままのバッファローの頭蓋骨を背負い、聖なる柱の周りを小走りで廻っていた。
「い、一種類だけ……」壮絶な儀式に朦朧としながらも、どうにかデイビッドは祖父に答えた。「一度に一種だけ、……イメージできる異能を……発揮でき……る」
「イメージ。そうイメージだコヨーテ」
ピシッ、とバッファローの頭蓋骨にひびが入った。
情景がぼやけていた。周囲で見守る、伝統的な衣装を纏ったナバホたちが霞んでいく。
「例えば、一種とはどれくらいだ」
グレイコヨーテが深層意識で述べる。
「拳で鉄を砕く腕力を会得したとしよう。鉄を砕いた拳に傷一つないのであれば、肉体の硬度も増しているのではないのか。実際は二つの能力を得ていたわけだ。イメージの鍛え方次第で、異能の方向性は調整できる」
土に滴る血が、山の向こうで夕陽に吸い込まれていく。
「ウィークコヨーテ。おまえの想像する最も強いものとは何者だ」
太陽が沈没した。焚火の灯火だけになった。
背中でバッファローの頭蓋骨が真っ二つに割れ、皮が千切れて地に落ちた。
女たちが喝采し、呪術師が何事かを唱えていた。
倒れ込む身体を巻き添えに意識が遠退く。
太陽が沈んだ山間の谷は、開かれた口だった。
陽光が失われ世界は無だった。そこに水だけがあった。誰かが水底から根をくわえてきて浮上し、付着ていた土に息をかけた。
土は増殖して大地となり、誰かは根を植え、育った植物はみるみる数と種類を増した。誰かは土を捏ねて多様な動物を創造、空に飛翔して天となり、新たな太陽となった。
こうして、世界のあらゆるものが誕生した。
誰かとは、コヨーテ神だった。
現在。デイビッドは、獣のコヨーテとなった。
比喩ではない。一種類だけ発揮できる自分の異能、それを、自分自身の存在原理を根底から覆すという形で用いた。
彼の中にある最強のイメージ。ネイティブアメリカン最大最強のトリックスター、コヨーテに変身したつもりだった。
魔法円は弾き飛ばされ、ビルの端にいたために転落した。
コヨーテは、驚愕を顔面に張り付かせたジョルジュ目掛け駆け出す。
ヨルムンガンドがゴムの両手足を伸ばしてデイビッドの身体中に巻きつけた。が、弾力を無視して引き千切る。
高速で行く手を阻み噛み付こうとしたヴァン・ヘルシングの胴体を貫通、特に攻撃用の異能を持たないLJが銃を乱射してきたが全弾透過して本体を弾き飛ばす。
これがコヨーテだった。
到底SSとまではいかないが、これまでより進歩した能力。強いて言うなら、コヨーテのようにあらゆる対応を獣のごとき素早さで行えるトリックスター。肉体だけでなく思考速度も増すはずとのイメージで、状況にこれまで以上に的確な対処ができる。
前までは互いに矛盾する効力とぶつかった場合押し負けてしまうことがあったが、克服もした。例えば魔法円はランクとしてデイビッドより下だが、異能を無効にするという特性でその範疇に入るものはレベル的に上だろうと打ち消されていた。それを、元のランクが同率以下であるなら自分のものの方が優先されるようトリックスターは進化した。
かくして、デイビッドはほぼ静止した時間を超高速でジョルジュに接近し――。
逸れた。
食いつく寸前で、これまで死角になっていた踊り場の陰が視認できたからだ。
自分が狙っていたジョルジュの隣だ。
「――そうだったのか」
バランスを崩してビルから飛び降りる形になり、コヨーテは口にしていた。
よく考えればわかったことかもしれない。
最初にジョルジュを仕留め損なったのも、奴の虚像を見せられていたからだ。
あれはネクロマンシーの能力ではない。
彼が間接的に操れるSMIの能力だとしたら?
いや、その方がマシだった。
裏切り者がいる、とかつて吸血鬼レスタトは忠告した。SMIで、あんな真似ができる能力者は三人しかいない。
一人はヨハンナ。彼女ではない。どちらが先にジョルジュを倒すかで競った以上、仮に負けていたとしても呪術師はとても無傷ではいられないはずだ。
残るは二人。それは、存在しなかったSMIのボス。そして、
アリス・ヴァージニア・ハウスデン。
彼女が、他のゾンビとは違う血色のいい肌と小綺麗なエプロンドレス姿のままでジョルジュの隣にいたのだ。
考えたくはなかったが、薄々感づいてはいた。
いろいろな事態が急変したのは彼女が任務に就いてからだ。実在しないボスを演出するのにも、内部に裏切り者がいたほうが都合はいい、蜃気楼を生むという能力と似ているのも偶然ではなかったのかもしれない。ともすれば、彼女が演出を手助けしていた可能性もある。吸血鬼たちを誤認させて戦場に誘導することもできたかもしれない。
頭の中で想いを巡らせ、ビルを落ちながらコヨーテは絶望していた。
やがて、硬い地面にひび割れを起こして猛獣の肉体が叩きつけられる。
無論、高速化された思考による防衛本能が肉体を硬化したので死にはしない。ただ、心は死んでいた。
本部の屋上や開けた窓の上階からは、着地に耐えうる異能者のゾンビたちが飛び降りて追撃してくる。大地の周りでも、下で待機していた連中が包囲しだしている。
だがコヨーテの眼は、遥かな屋上からジョルジュと並んでこちらを見下ろすアリスしか映していなかった。
アリス、なんでた。
とコヨーテは思う。
自分自体がなぜこんなに衝撃を受けているのか不思議だった。
すでに仲間たちは死んでいる。アリスさえ、殺されていてもおかしくはなかった。
全部覚悟の上で挑んだのではなかったのか。覚悟の上でジョルジュに飛び掛ったのではなかったのか。
アリスが生きていたというのに、裏切られたことがそれほどショックなのか。
『……あんなことまで可能とは焦ったが』LJを通じて内心を読んだジョルジュの思念が、テレパシーで届く。『だいぶ絶望しているな、予想以上に甘いやつで助かったよ』