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Zombie

 未明、ニューメキシコ州ソコロの南東部。リオグランデ地溝と死火山が優位を占める雷雨の荒野に、SMI本部のビルは建っていた。

 それを中心に、疎らな住宅街が人工照明を伴って息づいている。もっとも、住んでいるのは何体ものマネキン人形だけだった。


 岩山を越えて帰還したデイビッドは、可視光線を増幅して悪天候の夜間に視力を強化し、それらの光景を一瞥して唖然とした。

 本部の場所は、彼らがリノに出立する前にSMIの瞬間移動能力者テレポーターがビルごと移転させた時のままだ。当時は、周囲に本物の街が広がっているとしか認識できなかった。

 周辺市民と挨拶くらいは交わしたこともある。あれらも、催眠による思い込みということだろう。OSSの意向かガブリエルの企みかは知らないが、どちらにせよそいつが解除されているということ。

 把握されているというわけだ。

 デイビッドは覚悟を決めて接近、ある家の影から通りに出る。直線上が、SMI本部の玄関に繋がっている状態だ。

 大きく息を吸い――。

「聞こえるか、OSS!」

 叫んだ。

「狙いはおれだろ、ここにいるぞ。要求なら聞いてやる、同僚を解放しろ!!」

 反響だけが、豪雨の街角に木霊した。


 しばしの沈黙の後。十階建てのビル屋上に誰かが姿を現す。


『ようこそ、デイビッド・コヨーテ。合衆国の予知能力者による助言通りの来訪だ、結末までは見通せてないがな』

 相手は、脳裏に直接呼びかけてきた。どうやら、テレパシー能力者に仲介させているらしい。

 再び視力を強化して、SMI最強といわれた男は確認する。

 頂上にいたのは、燕尾服を纏い山高帽を被った十代後半ほどで片眼鏡の黒人少年だった。双眸は赤い。

『オーギュスト・ジョルジュ。紅い眼の死神バロン・ジェ・ルージュだな』

 音声は不要と判断して、デイビッドは脳裏で確認する。

『こいつは驚いた』さほど驚いた風でもなく、ジョルジュは思考で言う。『SMI最強の暗殺者に知っていてもらえてるとは光栄だ。大陸にまで名声が轟くほどになったか』

『勘違いすんなよ小僧』

 デイビッドは煙草をくわえて火をつけ、雨に消火されながらも念じる。

『OSSの飼い犬なんだろ。一度だけ警告するぞ、とっとと仲間を解放しろ。そうすりゃ楽に死なせてやる』

 あの夜、サンジェルマンからこの人物が待ち構えているだろうとは聞かされていた。当然、裏社会トップのモリアーティは彼について詳しく、すぐさまファニーに暗殺依頼書を発行した。なので、もはや組織の実態が崩壊したSMIでは形だけだが、これは正当な暗殺だ。



「アメリカ政府は善隣外交政策やらなんやらで、ハイチから表向き手を引いた」

 ここの奪還計画を進める際、裏社会の事情に精通するモリアーティはキューバ産の葉巻を吹かしながら彼について縷説した。

 身体だけは寛げる、大ボス傘下の高級ホテル一室でのことだった。

「が、カリブは裏庭だからな。ソ連との対立に備えて自分たちに都合よく動く有力な人材を欲してるって話だ。候補の一人が、紅い眼の死神オーギュスト・ジョルジュだよ。ガキのくせして小せえヴードゥーの秘密結社の頂点に立った将来有望な邪術師ボコールだかで、Sランクの死霊術師ネクロマンサーって評判だ」

 しゃべりながら巨大なベッドに横たわったボスは、心底不満そうだった。

「OSSが味方につけようとしてるもう一人の候補者で、同等の能力者なフランソワ・デュヴァリエとかいう野郎に遅れを取っててな。手柄を求めてるって噂だった。アメリカと組めば、旨味もあるってことだろうよ。自分をアピールするために、SMIの始末を買って出たってとこか」



『残念ながら』

 そのジョルジュは笑った。

『そいつはできない相談だぜコヨーテ。なんせ、おまえの仲間たちはもう』

 ビル前面に並ぶ窓が、いくつも内側から粉砕された。そこから、多種多様な銃身が余さず突き出される。

『死んで〝ゾンビ〟になってる』


 銃口たちが火を噴いた。

 ビルだけではない。いつのまにか後ろや側面に回りこんでいたらしい刺客たちも、家々の模型陰からいっせいに撃ってきていた。

 コヨーテは豪雨と共に銃弾に貫かれ、マネキンと一緒に蜂の巣になった。

 彼は、自分を囲んだ気配に気付けなかったのを自覚していた。

 暗殺者として、生きた刺客に神経を研ぎ澄ませていたのにだ。つまり、周りの人間たちは生者でない。

 脇辺りにいる刺客たちは前を向いたまま眼球を横に動かせば、夜でも火薬の炸裂のたび普通に視認もできた。

 ボロボロのスーツを着た傷だらけで青白い肉体の老若男女。無表情でデイビッドを銃撃してくる。

 どれもが見知った顔だった。間違いなくSMIの同僚たちだ。

 囲んで発砲しているので、逸れた弾はデイビッドを通り越し、奥にいる別のSMIにも当たっていた。

 だが、撃った側は気にせずに発砲し続け。撃たれた側も動じずにやめない。

 手が使えなくなれば、もう一方の手で撃つ。脚を失おうが転がって芋虫のようになるだけで文句もない。


 〝ゾンビ〟。

 ヴードゥーで作られるかの存在は、暗殺者として知っていた。

 邪術師が死体を自在に操る術。もしくはそうしてマリオネットにされている死体。実体は、死んだ細胞を操る異能によるもの。

 ジョルジュの発言通りなら、およそ百人ほどいた仲間たちはもう屍なのだ。


 デイビッドは無言で悔しがり、泣いた。

 雨に紛れる涙を流す眼も銃弾に貫かれ、雫は紅いものに取って代わった。

 完全な不意討ちではあったが、誰にも教えてはいないものの実のところデイビッドが能力を発動していない時はない。何も発動していないような時は常に蘇生に設定している。だから、いきなり殺されても甦れるのだ。

 以降もトリックスターで生命力を上げたのでたいしたダメージにはならなかった。ただ、脳裏にアリスが過ぎった。

 それが限界だった。

「一度しか言わねえ……て」半分銃創で失われた口で、彼は吼えた。「言っ……よな!!」

 瞬時に、治癒能力を強化。肉体及び服装まで再生させた。

 直後、走った。

 超高速移動にコヨーテ・トリックスターを移行。全ての銃撃を避けながら突進する。

 ビルの根元に触れると、勢いのまま壁を垂直に登る。十階建てを踏破し、屋上のジョルジュへと握り拳を振り下ろした。


 ――消えた。


 空振りしたデイビッドはバランスを崩してよろめき、背中から誰かにつかまれた。

 途端、全身から異能力が抜けていく。

「こいつ……は!?」

 後ろから自分を羽交い絞めにする人物を視認して、デイビッドは叫んだ。


「〝魔法円マジックサークル〟!!」


 そこにいたのは紛れもなく、ラピッドシティで吸血鬼に殺されたはずの小太りの暗殺者。マジックサークルだった。

「別に不思議はねーか」

 そもそも現在相手にしているのはみなSMIメンバーのゾンビだ。それ以前に死んだマジックサークルがいてもおかしくはない。

 なにより、彼は他の仲間より腐敗も進行していて半分骸骨のような有様だった。問題は、おそらく異能を使われたということ。

 マジックサークルは、魔術の分野で簡易な結界としての役割がある魔法円に由来するコードネーム。自身や知覚範囲の他者への任意の異能を一定期間無効化する。

 この状況で、超高速移動が意図せず解除されたのは彼の仕業と疑うのが妥当だ。

 としたら、とんでもない。

 SMIの死体を異能まで含めて全員操れるなら、Sランクのデイビッド・コヨーテとて到底敵う状況ではない。


「異能の切り替えが予想以上に素早くてびびったぜ」

 いつの間にか、屋上対岸の端に移行していたジョルジュが称えた。

「それだけだがな。SMI全員におれを合わせりゃ、てめえだけじゃなくファニーとヨハンナがまとめて帰宅しようが永眠させられる戦力はある」

「永眠だ?」

 いつの間にか、屋上には他のSMIの影もある。ざっと十人。

「おれのスカウトが狙いだろ、墓場にぶちこみゃてめぇが困るんじゃねーのか?」

 あとからさらに増えそうだが、とりあえずしゃべりながら戦況を整理するデイビッド。

「頭が悪いなコヨーテ」ジョルジュは自分のこめかみを指でつついてからかう。「OSSが欲しいのは、ガブリエルみたいな裏切りをしない忠実な人間兵器だ。おれがいりゃ手っ取り早いってことだよ。命令に従う異能者の死体を作れるからな」


 んなことは予測できている、こいつは時間稼ぎだ。

 屋上にいるのは、まずマジックサークル。彼と同時期に死んだ、肉体をゴムのように変質させられる〝ヨルムンガルド〟。やはりラピッドシティで死後、吸血鬼化した〝ヴァンヘルシング〟。テレパシー能力を利用されていたのだろう、受付担当の〝LJ〟……。

 認識するごとに悔しさが沸き上がってくる。

 背後の空中に、なんらかの異能で追跡してきた複数のゾンビの気配。屋上の扉も開けられ、ビル内部からの追跡者も氾濫しようとしている。


 迷う暇はなかった。

「後悔するつら、じっくり観察したかったんだがな」

 捨て台詞を発し、デイビッドはコヨーテ・トリックスターを発動する。

 彼の肉体に、本物の肉食獣。コヨーテの幻影が重なった。

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