ウィリアム・G・リンドバーグ。
世間一般には秘匿で、政府や軍の上層部、もしくは裏社会のある程度の地位にのみ雷名が轟く人物。ミドルネームのガブリエルは非公開でそれを知る者はさらに限定され、SMIも認知していなかった。
北アメリカ表社会最強の異能者にして、アメリカ合衆国影軍の最終異能兵器。SSランクで、科学者でもある。
最強の
そんなガブリエルはOSSの前身
「で、そいつがなんだってんだ?」
モリアーティは訊く。
もはや、全員が鉱山のそばに築かれた洒落たテーブルを囲む席についていた。サンジェルマン伯爵が異能で製作したもので、中央にはさっきまで彼らが光源としていたカンテラが灯っている。
ガブリエルの名前を出して対話を提案してきた以上、SMIには傾聴する価値があった。素直にその姿勢を示すや、伯爵がこの席を用意してくれたのだ。しぶしぶ、モリアーティも部下たちの対応に従った形だ。
「たぶん」ファニーは答えた。「ガブリエルが、わたしたちに冤罪を着せた犯人なんですよ」
「冤罪? 何の話だ」
大ボスは初耳のように問い返す。
SMIは頭上にクエスチョンマークを浮かべた。彼らの現状はボスを通じてモリアーティにも届いているはずだからだ。
だが、大ボスは信じがたいことを口にする。
「おまえらずっと行方不明だったろ、細大漏らさず説明しやがれ」
「え?」
きょとんとするファニー。デイビッドとヨハンナも同じ様相だった。
「それこそが」サンジェルマンが割り込む。「ガブリエルの仕業ですよ。彼は暗号名を〝コンメディア・デッラルテ〟として、限られた一握りの人間には認知されています」
「はあ!?」SMIの全員が驚愕したが、真っ先に喚声を上げて立ったのはデイビッドだ。「そりゃうちらのボスの異能だろ、ふざけんな!」
そんな彼をモリアーティが軽くはたき、逆にツッコむ。
「こっちの台詞だ。てめえらのボスはバカルターだったろ!」
三人のSMIはもはや茫然とするしかない。
ルイス・〝レプキ〟・バカルターは日向のマーダーインクのボスだ。だいいち、去年処刑されている。シャドウ・オブ・マーダーインクのボスであろうはずがない。
「奴は日陰のシノギ――SMIを運営してたのがバレて、電気椅子に座らされたんじゃねえか」モリアーティは継続する。「おまえらはレプキが死んでから失踪してたんだぞ。だからずっと捜してたんだってのに! ……待てよ」
彼が気付くのと同時。部下たちも察して、サンジェルマンに着目する。
すると、老紳士は解答を示した。
「そうです。以降、SMIはまるごとガブリエルの催眠によって支配され、傀儡とされてきたのです」
衝撃を受ける一同に、老紳士が解説した内容はこうだった。
日向と日陰を分かつことでの平等を謳っていた連合国だが、影を堂々と研究することで未知の発展も遂げていた枢軸国を次第に羨むようにもなったという。だが体面を保つため、大っぴらにそんな姿勢を晒すわけにはいかない。ために、裏社会を活用することにしたそうだ。
折しも、ムッソリーニが法律をも無視してマフィアを根絶やしにしていた枢軸国のイタリアでは、裏社会によるファシスト政権への恨みが募っていた。アメリカはそこにつけこみ、イタリア系マフィアを通じて密かに侵攻の助けを得て、さらには様々な裏取引を行ったという。
日向社会ではイタリア上陸のハスキー作戦に貢献し、シチリアの仲間を動かす合図として戦闘機が投下したハンカチなどに刻印されていたというマフィア〝
「彼らの取引材料の一つが、SMIでした」
裏社会の影を中心に殺人をも厭わない強力な異能者が属する組織。そいつは、ナチスが行っていたという人命までをも軽視した異能の人体実験場を模倣するのに相応しかったという。
「影のアメリカ政府は、ガブリエルを派遣してエイブ・〝キッド・ツイスト〟・レルズを暗殺。彼の証言を根拠にレプキを処刑し、同時にSMIも潰れたことにしつつ管理下に置いたのです」
「おいおいおい」テーブルに身を乗り出して、デイビッドが割って入る。「じゃあ、レルズ暗殺の依頼書は!?」
「無論、元はアメリカ影政府の発行です」
「〝ザイシャ〟のときはどうなんだ、ソ連は承知でおれたちには黙ってたってのか!?」
「最終的に仲介するのはSMIのボス、コンメディア・デッラルテことガブリエルですからね。あの依頼はもともと、あなた方のことを嗅ぎ付けて調査していたソ連の工作員であるザイシャを抹殺すべく、政府の命令でガブリエル自身が持ち込んだものです。もちろん子兎のほうは、ついでにアガーテに勝利しようともしていたようですが」
SMIは思い出していた。
あのとき、以前彼らのアジトがあったニューヨークになぜかザイシャはいたのだ。足跡を辿っていたところだったのかもしれない。
「待って。だとしたら、後の対応が変だわ」
「ええ、ここからが問題です。少々複雑な背景がありましてね」
ファニーの疑問を先読みしたように、サンジェルマンは語りだした。
「実のところガブリエルは催眠能力を駆使し、レルズの件をわざと洩らして、ソビエト連邦のスパイには自力で入手した情報と信じさせていたのですよ。ソ連としてはバカルター亡き後の本当のボスであるファニー、あなたを殺すことで彼を表に出ざるを得ない状況にし、SMIの内情を露呈させるのに都合がいいと捉えたようですが。
ガブリエルはこの一手も予測済みでしたので、失敗しました。以降あなた方は影からも行方を暗まし、米ソともに見つけられなくなったために、両国政府は一旦手を引かざるを得なくなっていたのです」
「LJがザイシャの接近に感づけなかったのもガブリエルの仕業だってのか?」
混乱するデイビッドへと、老紳士はさらなる衝撃をもたらさんとする。
「はい。ザイシャの事件の後、あなた方がどういう行動を取ったか憶えていますか」
SMIはすぐに思い至った。
ソ連に居場所がばれた可能性があるからと、彼らはアジトを変えたのだ。
「ガブリエルの思惑通りにね」思考を解読したように、あるいは本当に読んだのかサンジェルマンは言及した。「実際は彼だけが居場所を把握するために仕向けての移転でした。そうすることで完全にSMIを独占し、アメリカ政府を脅迫したのです。自分はいかようにもこの組織を操れる、と」
「甘い汁吸わせてもらってた野郎が、何だっていきなりそんなことしやがったんだ?」
不快そうにモリアーティが訊いた。彼はふんぞり返り、葉巻をふかしながら卓上に足を乗せる。
「いきなりではありません」
初老紳士が深い事由を述べる。
「彼はずっと自分のために動いていたのですよ。アメリカの実験に協力する振りをして、成果を誰よりも得ていた。影では、独自の研究もしていました。セルラオの一件のようにね。もう充分ということで、裏切りを表明したのでしょう」
「少女吸血鬼の件は?」
さらに訊くデイビッドへと、サンジェルマンは当然のように答える。
「あなた方も不要になったのかと。SMIを始末しようとした、もしくは、あれが最終実験だったのかもしれません。いずれにせよ、あのあと彼はSMIをも捨てて行方を暗ましました。だから政府もあなた方を再発見することができましたが、もはや従順なガブリエルのいないSMIは目の上のたんこぶでしかない。そこで、今回の仕事でわたしにぶつけて抹消しようとしたのでしょう」
「情報量が多くてわけがわからん」モリアーティが吐き捨てる。「だいいち、あんたはどうして全容を熟知してんだ。おれと同じようにガブリエルの野郎をスカウトでもしたのか?」
「あなたのように断られましたがね」
どうやら正解らしかった。またも驚くみなを差し置いて、彼は継続した。
「以後も、ガブリエルはSSSに足を踏み入れかけている人物ですので、観察していたのです。もっとも、想定を超えていました。我々が彼の野心に気付いたときには、宇宙調整者の監視さえ催眠で撹乱されていた。そこで、彼が最後まで係わっていた実験対象であるSMIとセルラオの方面から探ってみることにしたのですよ。ともすれば、ガブリエルが姿を現すのではないかと期待して」
「で」モリアーティが強引に論結する。「セルラオがくたばりそうになっても来なかったから奴が用済みにされたと判断して、お次はSMIを追い詰めてみたってわけか」
「そちらの当ても外れましたがね」
実際サンジェルマンを阻んだのはモリアーティだけだったので、そういうことなのだろう。
それでこの状況に繋がったといわれれば、得心がいくかもしれない。
とはいえ、老紳士を除く全員が釈然としない表情になっていた。これでは、手駒にされて捨てられたようなものだ。
「ですが」
そこでサンジェルマンは、さらなる意外な発言をしたのだった。
「わたしは、もっと重要な発見をしたようです」
……サンジェルマン伯爵とSMIたちとの対話が終わったあと、宇宙調整者によって世界史から今回の出来事に纏わる伯爵の関与は可能な限り除去されたが、まだこのときの経験が必要と判断されたSMIたちのものだけは保留された。
リノを中心とした特異能力による破壊の痕跡も、市民らの死傷者もなかったことになった。セルラオは超科学の産物を処分され、サンジェルマンが関係する以前のガブリエルの協力を得ての罪で逮捕。後に獄中で病死した。
ファミリーに属していた者たちも、本来ではありえなかった死を免除されて蘇生されたが、大部分はそれぞれの罪に応じて日向社会によって裁かれた。
ルドルフ・ヘスはニュルンベルク裁判で終身刑を言い渡され、祖国ドイツのバイエルン州シュパンダウ刑務所に収監。1987年8月17日、93歳のヘスは所内で電気コードを用いて首を吊った。
日向では暗殺説もあったが自殺とされ、日陰ではそれすら替え玉で新たな分身が未だ逃亡しているという伝説も残ることになる。