「け、けど」デイビッドは、写真と伝聞でしか知らなかった大ボスに臆しながらも意見する。「相手はSSSですよモリアーティさん。おれたちが束になっても敵わなかった」
「てめえらみてえなひよっこと一緒にすんじゃねェ! あとで話がある、とっとと行け。こいつを片付けたら追いつくからよ」
一喝され、あまりの迫力に黙るデイビッド。ファニーは一礼して部下たちを抱き寄せると、別れの挨拶をした。
「ご武運を、ボス」
SMIが消失する。住人も混乱の中心から離れつくし、もはや崩壊した街の片隅には二人だけになった。
悠然と大ボスを振り返り、サンジェルマンはお辞儀をする。
「お久しぶりですねモリアーティ。以前、勧誘して以来でしたか」
宇宙調整者は、宇宙の法則を歪めさせかねない異能からそれを護る数人からなるSSSランク内の最大組織だという。故に、SSSに到達しそうになったSSランクの元には誘いに訪れることがあるとされていた。
まさしく、モリアーティはサンジェルマンの来訪を受けたことがあるのだ。
「食い放題飲み放題ヤり放題ならいいが、つまんねえ仕事は堅気じゃねえからって断ったよな」
大ボスは吐き捨てる。
「今日はこっちから用がある。傘下とはいえうちのファミリーに手ェ出したんだ、覚悟はできてんだろ?」
「できていませんね。今宵のわたしは、あなたに用件はないのですよ」
告げて、サンジェルマンは消えかけた。霧のように。
が、逆回し映像の如く、それは再び集合して初老紳士になった。
「逃がさねえよ」
モリアーティは、葉巻を吹かして宣言。
辺り一帯の物体を宙に浮かせた。
車、ビル、家、樹木……。それらは、有無を言わせず物凄い勢いでサンジェルマンがいた位置に激突。巨大な瓦礫の山を築く。
「……まったく恐ろしい」
いつのまにか、大ボスのすぐ真後ろでサンジェルマンは洩らす。
「やはり、あなたは調整者に欲しい人材ですね」
「野郎がくっつくな。んな趣味はねェんだ」
モリアーティの警告後、老紳士は滑るように十数ヤード後方へ引き離された。本人の意志ではない、強制力だった。
「にしても」
もっとも、落ち着き払ってサンジェルマンは言及する。
「あなたは、夜では分が悪いのではないでしょうか」
彼が確認した街並みは、異様なものだった。
さっき自分を襲った街は、厳密には一部だけだ。例えば街頭は残っている。自動車や建築物は、奇妙に発電配線設備から照明に到るまでだけが残存している。明かり近辺だけが無事なのだ。
「かもしれねえ」モリアーティは、不敵に見返る。「おれは影を操る特異能力者、〝
それが、パオロ・モリアーティの異能だった。
影社会を象徴するかのような、影を操作する能力。その応用範囲は広大だ。
仮に影のほうを固定すれば、本体はそういう影を保つように強制される。つまり移動不可能となる。これで、さっきはサンジェルマンの逃走を妨害した。
逆に影を動かせば、やはり本体はそういう影を保つよう強制される。即ち、勝手に動かされる。さっきの街やサンジェルマンのように。
「では、奪わせていただきます」
サンジェルマンは宣告した。
途端、全光源が消灯される。それらのもたらしていた陰影も、当然失われた。
「光子も粒子、素粒子を支配するわたしの影響下ですよ」
言いながら、彼は足下にまだ影があることを悟る。
「ふむ、月影も迷惑ですね」
老紳士が手を上げると月自体までもがなくなった。もちろん、月光がもたらす影も。
もはや、辺りは完全な闇に包まれた。僅かに、影すら生めない葉巻の小さな火だけが燃えている。
さすがになす術をなくしたのか、モリアーティも無言だった。それを確認して、サンジェルマンは別れを告知する。
「これにて失礼させていただきます」
ところが。
自分の身体が全く動かないことに、老紳士は感づいた。素粒子化もできない。まるで、イクリプスで固定されたように。
影など、もうどこにもないにも係わらずだ。
「引っ掛かりやがったな」
口元に微笑を浮かべて、モリアーティは挑発する。
「宇宙調整者の一員、サンジェルマン様ともあろう者がご存知なかったのか?」
晦冥の中で、彼は紫煙を吐く。そして、葉巻を足下に落とすと踏み潰しながら種を明かす。
「地球は丸い。今アメリカが暗闇なのは、太陽光が当たってないからだ。そいつを浴びてるから星の反対側は昼ってわけだ」
(まさか!)
と、サンジェルマンは口ずさむこともできずに内心で悟った。
「そうだよ」両腕を広げて、モリアーティは解答を示す。「夜ってのは、
もはや夜全体を支配する大ボスが、空間を圧縮する。
たちまち、サンジェルマンは素粒子によって構成される身体全体を握り潰され、跡形もなくなった。