気がついた時、SMIはアメリカネバダ州リノの道路真ん中。日本へ移動前の位置に帰還していた。
あちこちが崩れ、炎上する建造物。逃げ惑う人々。セルラオとの戦いの形跡はあるが、サンジェルマンと遭遇する以前の人類が居住する街だ。
「ふう」ファニーは溜め息をついて洩らす。「どうやら帰れたようね。一部以外は」
彼女が確認すると、二足歩行ロボットとセルラオとルドルフ・ヘスだけはいないままだった。
「ええ、その通りです」
後ろから、紳士染みた声が迎える。
「あなた方以外は後でわたしが関与しなかった状態にするつもりでしたが、途中で離脱されるとは意外でしたので」
デイビッドを気遣うヨハンナを庇うように、ファニーは見返る。
そこにあの初老はいた。ごく当たり前のごとく。
「ぎりぎりで逃れる可能性は考慮していましたが」緊張するSMIをよそに、老紳士は悠然と称える。「半分の距離で素粒子制御の一部を模倣するとは驚嘆しましたよ」
「サンジェルマン!」
恨みをぶつけてそいつを睨むヨハンナ、直後。四つんばいだったコヨーテは、大量に吐血して地へ伏した。
「デイビッド!」
上司が、彼の名を呼び案じて屈む。
「内臓がめちゃくちゃです」平然とサンジェルマンは言及する。「素粒子レベルで内部構造がずれていますね。あと数秒で亡くなるでしょう」
女教皇が立った。
「うわああああああああああぁ!!」
「ヨハンナだめ!」
上司の制止も届かず、部下の女性は懐から抜いた銃を乱射しながら絶叫。敵に突進する。
弾はことごとく塵となって標的に届かない。
異能もぶつける。何度も分解されるサンジェルマンは、幾度も再生する。
ヨハンナはついに殴り掛かり。――腕の先端から、満身が素粒子にされて掻き消えた。
絶句するファニー。
「ですから」サンジェルマンは、涼しい顔で断言する。「わたしが死なせませんよ」
「え?」
ファニーは目を点にする。
さっきまで気遣っていたデイビッドの遺骸がなくなった。いや。
気配で両脇を確認すると、自分を挟むようにデイビッドとヨハンナがいた。
「……あれ、おれは素粒子操作を真似しきれなくて――」
「……わたくしは、サンジェルマンに負けて――」
二人とも死亡時の記憶はあるようだ。なのに、無傷で衣服の破損すらない。己の身体を不思議そうに改めている。
「世の全ては素粒子でできていますからね」とサンジェルマンだ。「肉体の全細胞はおろか、脳内伝達物質が形成する意識もわたしは制御できますので、再構築しました」
戸惑うSMIの中で、ファニーがどうにか問うた。
「な、なにをしたいのよあなたは!」
「そうですね、それは――」
そこでサンジェルマンは止まった。
SMIは待った。なのに、数秒経っても彼は停止していた。
「おい」老紳士のさらに後方から、野太い声がした。「サンジェルマン。てめえ、おれの
すると、サンジェルマンが徐々に口を動かしだした。
「……こ……れはこれは、脚本にいない登場人物ですね」
そして彼は顧みた。
セルラオのロボットに焼かれた、道路を抉る直線。そこを、ようやく視認できる奥底から大きな人影が歩いてくるのを。
そいつは、紫煙と一緒に台詞を吐いた。
「ほう。さすが化け物だな、おれの異能を無視するとは」
「あ、あなたは!」
次なる驚異の正体に、ファニーが叫ぶ。
「おう。久しぶりだな、アリッサ。まだいい女じゃねぇか」ミドルネームの本名で呼び、片手を挙げてもう片方の手で葉巻をくわえる影。「腐れOSSを盗聴してたらおまえらの名前を吐きやがったんでな、ここに出張中って聞いて捜したぜ」
サンジェルマンにとってSMIと同じくらい離れた反対方向で、影は接近をやめた。
尋常でない威圧感を放っている。容貌から、小耳に挟んだことくらいしかなかったがヨハンナは察した。
「……まさか! 影の五大ファミリーの大ボスですの?」
デイビッドも、衝撃の心境を吐露する。
「嘘だろ!
「おう。よく頑張ったなガキども」
影は労った。
でっぷりと太った身体を薄手のスリーピーススーツとチェスターコートで包み、ボルサリーノ製の中折れ帽で頭部を飾る男だった。キューバ産の葉巻を吸う、濃い顔貌の勇姿。
影の五大マフィアファミリーを束ねる頂点、シチリア出身の正当なるボスの中のボス、ドン・パオロ・〝モリアーティ〟である。
同時に、北アメリカ大陸裏社会最強の異能者。表社会の頂上と同格のSSランクだ。
「リトル・イタリーで退屈してたんだ、ちょうどいい遊ばせろ。おれに任せててめぇらはいったん撤退だ」
彼は堂々と、SMIに指図してみせた。