ネバダ州リノ。夜の街角の路地裏に、問題のビルはあった。
周りにもいくつかビルディングがあり、それらと大して変わらない十階前後の構造。外観も同様の具合に地味だ。けれどもある事情に通じる者にとっては重要な拠点だった。
セルラオ・ファミリーのアジトである。
構成員は約五十人ほどのカモッラ、ボスのセルラオのみが異能者だが、どんなものなのか認知されていないほどランクは低かった。それでもそいつをこそこそ使いながら、弱小下部組織とはいえ日向のギャングとしてボスの座に着けたという。
裏社会でもさして目立たず、大組織の傘下として使い走りのようなものだった彼らが、いつどのようにしてルドルフ・ヘスを捕え、サンジェルマンを味方にするまでに至ったのかは謎だ。
もはや、アジトであるこの裏カジノに近寄る堅気はいない。構成員もすでに、政府を脅して得た前金でカモフラージュの店を営業することもなく、
さらなる大金や無理難題を要求しながら、ごねる政府を尻目にどうどうと居座っているのだ。
国がなにもしなかったわけではない。
戦時中で苦しいなか、どうにか捻出した計百名ほどのレベルAまでの異能者を含む軍人や工作員を数度に渡り派兵したが、みなことごとくサン・ジェルマンに敗北した。
曰く、攻撃を仕掛けよう、とした瞬間に彼らは木っ端微塵にされ、このビルに向かおうとした出発地点で再生されるという。どうやら、サンジェルマンには彼らを殺傷するつもりはないらしい。正確には、痛みを認識する暇もなく一度殺害して蘇生しているようなのだが。
ともあれ、現在この人けのない一帯。問題のビル前の狭い道路に、夏なのでいつもの仕事服を薄手にしたもので身を包む三人だけが並んでいるのだった。
「ホントに、正面から攻めていいんすかね」
ビルと対面する一人、デイビッドが問う。
「隠れるだけ無駄よ」真ん中に立つ人物、ファニーが答える。「政府の自身を隠蔽できる異能者でも、数百ヤード離れたところからヘスを狙撃しようとしてサンジェルマンにやられたそうだから」
「会話が可能な相手でもなさそうですわ」
委員長を挟んでデイビッドの反対側からヨハンナも言う。
「やってみなきゃね」とファニーだ。「完全武装の兵隊たちが正面から攻めても、引き金に指を掛けるまで何もされなかったともいうもの」
今回の作戦はこうした経緯から導かれた。
敵は強いが、こちらから攻撃する瞬間まで反撃してこないというのがOSSがこれまでの犠牲で得た教訓だ。SMIはそれを参考に対話を試みて、ヘスにギリギリまで接近した段階で一挙に全力で攻勢を仕掛けるつもりなのである。
「サンジェルマンか、いったいどんな特異能力なんだ」
呟いたデイビッドは、敵地を見上げてタバコをくわえ、異能で火をつけた。
サンジェルマン伯爵。スペイン王妃と貴族の間に生まれた私生児とされ、十八世紀のヨーロッパを中心に日向の歴史に登場した人物。
彼自身は数百歳とも数千歳とも称し、場合によっては二万年前に地球に現れたとすらされる。四十代から五十代ほどの壮年男性として目撃され、いつ会おうとも外見年齢は変化しなかったという。公式に死亡したとされる記録のあとも、何度も生きた姿が目撃されている。
通常の飲食物をとらずとも生存することができ、あらゆる言語に堪能で芸術の才に秀で、博識だったという。錬金術に精通し、交感能力者や予言者じみた魔力があり、扉を用いずに部屋へ出入りし、ダイヤの内部にある傷を治すような不思議な技術を持つとされる。
「ところでコヨーテ」ヨハンナが話しかけた。「もしものことがあったら、あの子はどうするつもりですの?」
アリスのことだろう。
「遺言は伝えたつもりだ」軽くデイビッドは答える。「ボスもまだ堅気に戻せるって言ってたし、直接頼んどいた。SMIが潰れても平気だろうよ」
「へえ。青い果実が好物だってことも、自白しましたのね」
「おまえな!」
「なになに、なんの話題よ」興味深げにファニーが口を挟む。「またコヨーテが誰かに手出したの? わたしも昔口説かれて何度か寝たものね、当時夫がいたのに」
「初耳ですわ、そうでしたの?」
うるさい二人の女性暗殺者に、デイビッドは唇からタバコを落として全力でツッコむ。
「あんたらはゴシップ好きのおばさんか!」
そのときだった。
目前にあるビルの入口、両開きの木造大扉に無数の穴が空いたのは――。