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僵尸

 相手は清朝の正装ジャンシーだった。とっさに異能で身体を鉄のようにしたが、それでも衝撃を受けるパンチやキックをくらう。

 ジャンシーにはヴァンパイアと同等の力がある。全身体能力が人間を超えるのだ。

 対して、デイビッドは一種類しか異能を発揮できない。防御に徹すればダメージは軽減できるが、その間は相手に匹敵する運動力も動きを捉える視力も発揮できない。しかもジャンシーは、舞うような軽やかな身のこなしで的確な攻撃を放ってきた。

 どうにか堪えていたが、いきなり漢民族の儒者のジャンシーも空中から蹴りをくらわしてきた。そちらに気を取られ防御を緩めてしまい、同時に放たれた清朝ジャンシーの正拳突きを浴びる。

 後方に数ヤード地面を転がり、うつ伏せに倒れたところから顔だけ起こして相手を睨んだ。


「……こいつは覚えがあるぜ」

 やや動作は異なるが、デイビッドは中華民国のマフィア的組織〝影の三合会トライアド〟メンバーを暗殺対象にしたとき、ああいう戦い方をする相手とぶつかったことがあった。

「拳法ってやつだな」


「用心しろ」

 遠くからモーゼスが警告した。

「関節を伸ばしたままにしてないジャンシーは時間を経て死体の性質が弱まり、死後硬直が解けたものだ。生前に武術を会得していれば行使できるぞ」

 口にし終えたとき、老人の隣に天から物体が降ってきた。千切れた草が飛び散って土煙が立ち込め、思わず目を庇う。

 やがて煙が晴れると、傍らには小さなクレーターができていた。真ん中に、白目を剥いたエンプーサが伸びている。

「さすがは女神ヘカテに仕える夢魔ね」

 言いながら、そばに降りたのはシャルロットだ。

「なかなか手強かったわ」

 彼女が乱れた衣服を整えると、夢魔は空気に溶けるように蒸発した。


 その様子にモーゼスは呆れながら開口する。

「戦闘で倒したのか? アドバイスする時間がなかったのはすまんが、連中は悪口が苦手なんだ。戦う必要はないぞ」

「そうなの?」

 きょとんとするシャルロットの横に、残る二体のエンプーサを殴り飛ばしたカインも降りて口を挟む。

「罵るなどみっともなくはないか」

「そんなこと言ってる場合か――ファッキンビッチ!」

 やにわに暴言を吐いたモーゼスにカインとシャルロットが目を丸くすると、老人は吸血鬼たちの後ろを指差した。

 二人が振り返ると、背後ではいつの間にかエンプーサの一体が耳を塞いでもがいている。

「効果的だな」

 カインが感心すると同時、モーゼスの後方から悲鳴が聞こえた。離れた場所でコリンとアリスが別なエンプーサに襲われ、後者が怯えながらも辛うじて幻覚で防御している。

 モーゼスはアリスたちのほうに駆けながらヴァンパイアたちへ頼む。

「そいつは任せた、悪口で追い払うんだ!」

 残されたシャルロットとカインは困った表情を浮かべながらも、ようやくダメージから復帰したらしいエンプーサと対峙するはめになった。


 ユダヤ人がアリスたちのもとに走りながらヴァンパイアたちにしたのと同じ助言をすると、少女は一言口にして有効性を確信するや、コリンと顔を見合わせて二人でにやりとし、楽しそうにエンプーサを罵った。内容たるや「アホ」だの「マヌケ」だのしょうもないものだったがよく効き、怪物は悶え苦しみながら空の彼方へと飛び去った。

 老人と子供の手際の良さに助けはいらないと判断したモーゼスは、カインとシャルロットのところに引き返したが、彼らは手こずっていた。なにしろ、「下品な女ね」だの「ヴァンパイアは怪物だがおまえはもっと怪物だ」だのといった微妙な文句だ、エンプーサも戸惑っているようだった。


「まったく何をしているんだ――」

 続いてモーゼスが発した記述するのも憚られるような罵声の連発に、たちまち最後のエンプーサも退散した。ヴァンパイアたちは唖然としてSMIの老人を眺め、カインは呟いた。

「……おまえのような人間とも仲良くやっていけるか、少々不安になったな」

 不思議そうなモーゼスにシャルロットは呆れていたが、彼らの向こうから近付く新たな脅威も補足して警告する。

「――次のお客様よ」

「またグールか!」

「いいえ」

 シャルロットの視線を追って迫るハイエナを捉えたユダヤ人の発言を、少女吸血鬼は訂正した。

「ラルヴァたちもいるわ」

 ヴァンパイアの眼力は、地を蹴って接近してくるグールの上、空中を滑るように移動するラルヴァの群れをも認識していた。



 デイビッドとヨハンナとアランは、四体のジャンシーに苦戦していた。

 ハンターは後退しつつ、札を貼って死体の性質を持つ軍服ジャンシーに銃で応戦したが、運動力で勝る相手はことごとく弾を避ける。

 ヨハンナは札を貼ったチャイナドレスの女ジャンシーと戦っていたが、そいつは道士が操れるというモーゼスの解説通りか、まるで意識がないようで女教皇が通じなかった。ために、拳銃を使うはめになっている。

 デイビッドは清朝の正装姿と漢民族の儒者の服装の、両者拳法を使う二体のジャンシーを相手にしていた。通常能力を強化するだけでは一対一でも敵わないため退魔の力を発揮したが、具体的に想像しにくい異能を扱うのは難しく、近寄られたら後退させるという防戦で精一杯だった。


「ちくしょう!」

 デイビッドは呻き、離れたところに訊いた。

「なんかないのかよモーゼス、金的みてぇな弱点は?!」

 ラルヴァやグールに銃で対応しつつ、モーゼスが答える。

「修行を積んだ道士が使える手段は多様だが、一般人が用いても効果的なのは……もち米、雄鶏の血、子供の小便……」

「子供の小……」

 デイビッドがアリスを見ると、コリンと一緒にようやく一体のグールを仕留めた少女は、赤面しながら拒絶した。

「し、したくないよ! したくたってするわけないでしょ、バカぁ!」

「残念だ」

 と、今度はモーゼスと一緒に戦うシャルロットに目をやると、ラルヴァを蹴りで粉砕した少女吸血鬼が怖い笑顔でデイビッドへ忠告した。

「……くだらないことを口にすれば、死を招くわよ」

「だよな」

 諦めたSMI最強の暗殺者は、突進してくる二体のジャンシーと対峙し、覚悟を決める。

「あれをやってみるか」

 両手の平をジャンシーたちへ突き出し、意識を集中する。かつて試みたときには加減も方向性もわからなかったため、己の生命が停止しかけた真似だった。

「くらいやがれ! スウィート・ファニー・アダムスだ!!」

 あらゆる力を無力化する、SMI処刑委員会委員長ファニー・アリッサ・マクラウドの異能である。

 ところが、発揮する寸前で阻まれた。アランを退けたジャンシーがもう一体、横からデイビッドを襲ったのだ。

「しまっ――」


 彼は反射的に目蓋を閉じたが、衝撃は訪れず、何かが崩れる音だけがした。

 恐る恐る瞳を開くと、目前に見慣れた後ろ姿が立っており、足元には首が一八〇度捻れた軍服姿のジャンシーが倒れている。

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