そこまで説明したときだった。
先ほどの建物から最も高く跳んだ最後の一人が、ジャンシーたちの前にゆったりと降臨したのである。
襟を立てた表が黒く裏地の赤いマントを羽織り、テールコートを着用した壮年男性。ウェーブの掛かった長い白髪と白ひげに縁取られた厳つい顔に、不気味な笑顔を浮かべている。
「……死んだはずだ!」
さっきまで平静を保つよう努力しながら話をしていたモーゼスが、真っ先に狼狽した。
「やっぱり、あなただったのね」
対して落ち着き払ってシャルロットは言い、カインも懐かしそうに開口した。
「まだ命があったとはな、〝不死身のレスタト〟」
「知り合いなら紹介願いたいぜ」
声を上げた三人にデイビッドが訊くと、モーゼスが答えた。
「わしがかつてこの街で暗殺した吸血鬼だ。確実に仕留めたはずだが」
「彼は簡単に死なないわ」
シャルロットが口を挟み、カインが補足する。
「現に百年ほど昔生き方を巡って争い、殺したと認識していた。奴はレスタト。我々とは遠戚に当たる、〝セトの一族〟の生き残りだ。奴には一般的なヴァンパイアと決定的に異なるところがある」
重大さを暗示させるように、いったん言葉を区切ってから告知した。
「明確な弱点がないのだ。元来、ヴァンパイアは正確に弱みを突かれぬ限りは、細胞の一つ、血液の一滴でもあれば復活できる。奴もこの性質を有しているが、そうでありながら急所がないのだ。
しいていえば、吸血鬼という霊的存在であるため退魔の力が効果的な程度だが、常人にそんな能力はない。故にこうしたことを知る者は、奴を〝不死身のレスタト〟、あるいは〝悪魔〟と呼ぶ」
「弱点のない吸血鬼だと!? ふざけるな!」
ハンターのアランが興奮してM3短機関銃銃をレスタトに向ける。
「よせ、無駄弾だ!」
数発銃弾が放たれたところで、M3がヘルシングに叩き落とされた。
アランはヘルシングを睨んだが、彼を除く全員は、もはや異様な威圧感を放つレスタトへと集中していた。
「同族喰らいの成果だよ」
風の唸るような声音でレスタトは口を利いた。銃撃など歯牙にもかけず、穴を空けられた服を纏いながら。
額の傷口からは、高速再生する細胞に押された銀の弾丸が零れる。
「同族喰らい?」
デイビッドの呟きにはカインが答えた。
「人に近い姿や生態の吸血鬼社会において、たいてい最大の禁忌だ。ヴァンパイアがヴァンパイアの血を奪い尽くし、相手の能力を一部己がものとする。レスタトはそれで弱点を克服したという」
「吸血鬼が吸血鬼を殺すってのかよ、趣味悪いぜ」
戦慄したデイビッドを、レスタトは嘲笑った。
「暗殺者の一員が何を驚く。人は人を殺さないとでも?」
何も言えなくなったSMIをよそに、次いでレスタトはカインたちへと語った。
「相も変わらず愚にもつかん生き方を貫いているようだなカイン、シャルロット。改めて言わせてもらおう。吸血鬼は人を喰らうものだ、なぜ摂理に逆らう?
人間も種としての優位性を理由に、家畜に同じことをしているではないか。表向きの社会を人に任せるなど、連中に例えれば豚に仕えるようなもの。我々は人間よりも長命なために多くを学べる。いつまでも進歩のない人類ではなく、我々こそが日向に出るべきだ。連中を家畜としてな」
「ファシストめ!」
珍しくモーゼスが激怒した。レスタトの主張が同朋の不幸を呼び覚ましたらしい。
「気に障ったか、老人よ」愉快そうにレスタトは挑発する。「あのときは、この町に滞在していたカインたちを尾行して隙を窺うために潜伏していたが、おれの思想を話す暇もなく奇襲されたからな。だが貴様らとて、一神教の名の下に聖絶などとぬかして意にそわぬ人々を滅ぼしてきたではないか。貴様個人にしても面識のないおれを襲った、非難される謂われはない」
さらに、同族への説教を続行する。
「だからこそここを舞台に選んだのだ。おれが最後に死んだと思われた場所だ。決着を付けるには相応しかろう、カインよ」
「お主も成長せんな」静かにカインは講義した。「確かに人間は愚かだ。特に一度凝り固まった思考に捕らわれると、誤っていてもなかなか改善することができなくなる。それでも世代交代が可能だ、新しい時代の事象を身を以て体感してきた者たちが新風を吹き込む余地がある」
「ならば、おまえたちの一族こそが誤っているのかもしれんぞ」
「ある人間について書かれた本にこんな言葉がある」
族長は諭すようだった。
「〝わたしは貴方の意見に反対だ。だが貴方がそれを述べる権利は命をかけて守る〟と」
「あの頃のパリは遠い昔だというのに、未だヴォルテールか」
斜に構えるレスタトへと、カインが頷く。
「我が一族から貴様に危害を加えたことはない。しかしレスタト、おまえは対立する者たちを葬ってきた。我々をも消そうとする」
「人の哲学をヴァンパイア社会に適用する必要はない」
「ヴァンパイアの思考力は人と同等、理に叶っているはずだ」
悪魔は鼻で笑った。
「その薄弱な人の精神で永生を保つ吸血鬼が、限られた命であるために愛した人間の死をどれだけ看取れるというのだ」
カインが眉をひそめて口ごもると、レスタトは残酷に続けた。
「いずれ発狂する、おれのようにな。おまえもそうだった」
「……経験を踏まえた上で、信じるのだ」喘ぐようにして、族長は抗った。「人や我らの探求心が、何かを変えてくれる日を」
「まさしく人界は驚くべき速度で変化はしているが、絶望へ向かっているのではないかな。この星を覆う戦争など、証拠だろう」
それから勝ち誇るかのごとくカインを見据えて、レスタトは言い渡した。
「ともかく、交渉は決裂らしいな」
「いつものようにな」
「今回は立場が違う」
両腕を大きく広げ、レスタトが己を取り巻く魔物たちを示す。
「おれに賛同する、種族の異なる同志たちがいる」
一帯の化け物らは合唱するように吠えたてたが、カインは訝しげだった。
「怪しいものだ。ラルヴァはともかく、神々や東洋の術者にしか制御できない者共がおまえに従うだろうか。おおかた、我が里を襲撃したのもSMIに変装した傀儡だろう」
「いかにも」レスタトは気炎を上げる。「ラルヴァはおれ程度の魅了で充分だが、他は違う。そこは協力者のお蔭というわけだ。明かすわけにはいかんが、利害が一致してな。貴様らを衝突させ、双方共に潰そうとしたのだよ」
デイビッドは苦笑いした。
「種明かしとは余裕だな、お蔭で企みは失敗ってわけだ。じゃあそのもう一人の犯人も紹介してもらおうか」
「残念ながら機会は訪れん。貴様らSMIの中にもいる裏切り者が気変わりを起こさねば、もっと上手くいっていたがな」
「裏切りだ?」
怪訝な表情になったデイビッドは、すぐにはっとして同僚たちを確認した。
SMIの他の人員たちも、戸惑いながら互いの顔色を窺っている。状況を素早く把握したあと、彼は気を取り直して再度レスタトに向き合い、言い放った。
「てめえなんぞより、同僚を信用するがな」
するとSMI側もみな、組織一の実力者に勇気付けられたように落ち着いていった。
「暗殺者としての秘密を共有する絆か、醜いな」
レスタトが嵩にかかって皮肉る。
「信じまいがどうでもいいさ。どうにせよ、ここでその役立たず共々死ぬのだから」
「どうかしら」昂然として返したのはヨハンナだ。「わたくしにとっては弱点の有無など無意味ですわ、全能の神ですら具現化することができるはずですもの」
ヘルシングも口を開く。
「だね、おれにとってもおまえは普通の人間と同じように殺せる」
「そういうわけだカイン」
レスタトからは視線を逸らさず、吸血鬼一族の長へとデイビッドは呼び掛けた。
「はめられたなら、おれたちが争う理由はないよな。共闘すれば、今回こそこいつの棺に蓋をできるかもしれないぜ」
「提案に賛成しよう」
厳かに長が同意した。
一拍の静けさだった。
「ふ……」
レスタトが臆することなく笑声を漏らした瞬間。急激に、辺りの殺気が高まった。