「ソビエト連邦の影との連絡は途絶えた」
一週間後。
十階建てのSMI本部最上階。ボスの両袖机前に立たされたファニーは話を聞いていた。
未だ太陽が輝く時刻ながらブラインドを落とされた室内の晦冥で、ボスの顔はほとんど窺えなかったが、地響きのような声はよく聞こえた。
「交渉から外して悪かったな。命を狙われている以上、別な者に任せざるを得なかった。君を失いたくはない。無駄になったが」
ボスは引き出しから封筒を取り出し、中身の紙を一枚、裏返しの状態で机上に載せた。
「やはりアリベルトは影のNKVDによる正式な暗殺者だそうだ。わざとあちこちに侵入の形跡を残し、アガーテや君への攻撃に合衆国政府が介入してくるのを期待したらしい」
紙片を気にしながら、ファニーは緊張した面持ちで意見する。
「だとするとそういうことがあっても不思議はなかったと思いますが、なぜそんな愚行を?」
「次期訪れるだろう米ソの対立において、自分たちの正当性を主張する材料になるからだと」
「……正当性?」
ファニーは不快そうだった。
「他国に
「これだ」
ボスは、先程提示した紙を反転させて披露した。
対象/エイブラハム・レルズ
性別/男
年齢/35歳
所属/マーダー・インク
分類/殺し屋
異能/なし
過去のギャングにちなんだ通称、キッド・ツイストの名で呼ばれる。アイスピックの使い手で、それによる数百件もの殺人に関与し、手際のよさから犠牲者の大半が病死と判断されていた。
現在は逮捕され、自身の減刑と引き換えに組織の仲間を次々と売っている。
――ファニー・アリッサ・マクラウド
「こ、これは?」
震える声を発したファニーを探るように観察しながら、上司は宣告した。
「ご覧の通り、SMIの暗殺依頼書だ」
エイブ・レルズは二年前に謎の死を遂げた、日向マーダー・インクの裏切り者にして元主要メンバーである。
「この依頼書が、先に我々が
それは紙質も構成も、紛れもなくSMIの内部でしか知られていないはずの暗殺依頼書だった。主な文章はタイプライター、下にあるファニーのサインはペンで記された彼女の筆跡。だが、通常はサインなどしないし、認可後は処分される。
「どこでこれを?」
喘ぐようにファニーが尋ねると、ボスは鈍重な口調で伝えた。
「NKVDに送られてきたらしい、信頼できる情報筋から届けられたそうだ。詳細は教えてくれなかったが、君の指紋まである」
「こんなもの、わたしは――」
「無論だ。わたしにも覚えはない」
暗殺依頼書はファニーが発行するが、必ずボスが最終確認をする。心当たりがなかった彼女は正直にその旨を述べ、承知して彼も了得した。
「ソ連はいちおう手を引いてくれた。どのみち当初の目論見は失敗したし、指摘した不審点にも納得してくれてな。それでもこちらを怪しんではいるし、子ウサギの接近に気付けなかったLJにした仕掛けなども明かしてはくれなかったが」
そして張り詰めた空気の中で、緊張を宿したファニーの眼差しに自身の視線をぶつけたボスは、心情を読むように囁いたのだった。
「難題は、今回の騒動に何者が関与しているか、だな」