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За́йцев

 アガーテの銃が鋭い音を立てて弾き落とされた。

 狭いカウンターの裏で弾を込めようとして、銃身の一部が盾からはみ出たのだろう。一瞬で微小な的だというのに、アリベルトは撃ち抜いたのだ。


「とんでもねぇな」

 相手の腕前に、デイビッドは冷や汗を掻いた。

「おまけに、こんな人混みで襲うとは……」


「自信があるってことかしら」

 銃を拾いながら、魔弾の射手が周りを確認して付言する。

「舞台が整うのも待ってたのかも。昼ならザイシャの姿も見出しやすいし、スコープに陽光が反射すれば遠くからでもわかる。夜じゃ、銃を構えることができても彼を捜すのは難しいわ。比べて」

 アガーテが天井を見上げた。そこにはいくつもの照明器具がぶら下がっている。

「わたしたちは丸見えよ」


 バッグの化粧道具から手鏡を出し、彼女は先程装填を邪魔された銃弾を手放した。

 たちまち弾丸が蜂のように飛び、アガーテが鏡を頼りにカウンターの裏に隠れたまま操作して、全部の光源を割る。

「これで、条件は同じはず」

 訪れた闇の中で、彼女は囁いた。


「試すか」

 デイビッドは懐からラッキーストライクの箱を抜き、カウンター上からパッケージのブルズアイを露出させる。

 しばらく待ったが銃撃はない。

「……よし」

 一人納得して立とうとしたところを、アガーテが服の裾をつかんで制する。

「待って。こっちも不意を突いてやりましょ、あんた万能なんだから」

「そりゃ誇張し過ぎだ」


 デイビッドの異能コヨーテ・トリックスターは、自身と同ランク以下の異能を一種類だけ発揮できるものだ。二つ以上の併用はできないが、おおよそ全ての法則を超越できる可能性を秘めた実力から、神話や伝説において自然や神をも超えて物語を引っ掻き回す〝トリックスター〟の名を冠せられている。

 〝コヨーテ〟は、中でもネイティブ・アメリカン諸部族が伝える最大最強のトリックスターだ。

 アメリカ人とインディアンのクォーターとしての出自が、幼い頃から自分が何者かを考えさせ、解決されないまま起きた悲劇から、どんなものにでもなってどんな境遇からでも自力で答えを見つけたいという想いで呼び覚ましたものらしい。


「あんたは床をすり抜けて降りて。普通に逃げれば発見されるかもしれないから」

 アガーテは、カウンター出口にある跳番扉下の隙間から奥の階段を眺めて提案する。

 階段に向かうにはどうしても無防備な空間を横切らねばならない。短距離だが暗くても完全に見えないわけでなく、建物から出るために向かう経路も把握されるだろう。ちょっとでも動きを察知されれば脱出するまでに撃たれかねないのだ。


「あのな」

 デイビッドが不平を口にする。

「異能を発揮できるのはおれだけだ、衣服は床を抜けられない。素っ裸で逃げたらそれこそ目に付く。透明になってストリップもなしだぜ、まだ寒いからな」

「じゃあ、床をぶち破るのは?」

「いいかもな」


「警察とかが来るまで待てないの?」

 不安げに発言したのはアリスだ。


 肩を落としたデイビッドが、なだめるように答える。

「騒ぎが大きくなれば紛れることも可能だろうが、殺し屋が日向にデビューするわけにはいかねぇだろ」

 諭しながらも袖を捲り、彼はすでに異能を発動していた。外見は変わらない、増すのは筋力でなく超自然の力だからだ。

「アリス、下がってな」


 指示された少女がアガーテと一緒に距離を置くと、彼は軽く床にパンチを放ち、容易く鉄筋コンクリートを貫いた。

「シナリオのネタバレを頼む」

 まるで土を掘るように風穴を広げながらデイビッドがアガーテに尋ね、彼女は説明する。


「飛び降りたら透明になって店を荒らして、そこにヤツが引き付けられたら、わたしがアリスと階段に走って注意を戻す。三階へ上るには背中が曝される時間が増えるから、二階の床の死角になる一階に行くわ。でもわたしたちが着く前に、ここを出て奴を捜してほしいの。狙撃で援護する。

 うまくいけば、あいつはまだあんたがこのビルに隠れてると捉えるはず。感付かれても二手に分かれれば今の攻撃は続けられなくなるでしょうね。狙撃手は場所を移りたがらないから、構えが崩せれば勝機はあるわ」


「了解」

 一階への道は完成した。彼らが来たとき満席だった階下にも、もう人の姿はない。

「じゃあ、三、でいくぞ」

 デイビッドの言葉をきっかけに三人は顔を見合わせた。

 一呼吸置いて大人たちが「ワン」と数えだし、「ツー」でアリスも加わり、「スリー」でデイビッドは飛び降りた。着地する寸前を見計らい、アガーテは少女に前を行かせ、自らが窓側からの盾になるよう階段へと駆ける。


 直後、嫌な音を耳にした。

 最初の銃撃と同じガラスの割れる音。


 一階に着地したデイビッドは意味を身をもって知った。眉間に銃弾を受け、短い悲鳴を上げて倒れたのだ。

 叫びはアガーテにも届いた。しかしもう階段までカウンターから半分の距離を進んでいた。


 再度、別なガラスが粉砕される。

 肩を貫く熱。


 アガーテは目前のアリスを抱き締め、下り階段に飛び込んだ。

 いくつもの段を転がり、二つの階の境目に築かれた踊場を支える壁にぶつかって静止する。

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