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第10話 さつま路

 狐獣人の親子に案内されて天結は1軒の建物の前に佇んでいた。


 古代文明の建物は頑丈で見目の良いものが多いのでどの國でも再利用しているところはとても多い。殺魔もそれは例外ではないらしい。


 むき出しの木材や白い壁、きちんと手入れされて磨かれたガラス窓に木造りの看板には共通文字の神代文字ではなく殺魔の特有文字である殺魔神字で書かれている。


 「さつま路……。」


 看板の文字をそのまま口に出すと父狐のツネヨシが振り返った。


 「天結ちゃんは殺魔神字も読めるるんやなぁ。」


 「そうですね……。文字は実家で厳しく躾けられたので多少は読めます。」


 そもそも殺魔では使用する文字が多い。一般に生活しているだけなら地元公用文字の殺魔神字だけで生きていける。國外に出るものは合わせて神代文字が必須となる程度であるが、國の要職や貿易となればそうもいかない。


 まず國内にある離島領地は種草文字を使うし、隣接する友好國の肥後は阿蘇山文字、日向は日向神字があるし、その向こうでは筑紫文字が使われ、海を南下した隣國は琉球古字である。


 天結が育った小柴一族は300年遡れば殺魔の小犬氏族から派生した家門であった。紆余曲折あった末に駿河に落ち着いたものの、最終目的は殺魔に帰ることである。


 一族は世代ごとに3人の娘を選び神力教育と殺魔に馴染むための必要な教育を行うのだ。天結は今世代に選ばれた3人の娘の1人で神力を体に抱える器が大きいと候補になったものの、魔物と戦うような能力も守る力もなくただ器がでかくて絵がかけるだけとされて教育としては今世代3人の中で誰よりも厳しく仕込まれ、わかりやすく地味な嫌がらせと共に冷遇されていたのである。


 半分は選ばれなかった奴らのやっかみもあるだろう。


 能力が優れていてもとにかく器が小さいという者がゴロゴロいたのだ。うっかり天結が死んでしまったら繰り上がりで選ばれると思った馬鹿者も少なからずいたので、故郷を離れられるとなった天結は心底安堵したのは言うまでもない。


 そんなわけで故郷で仕込まれた文字だけでも多岐にわたるというのに子供の頃から仕込まれた文字の習得癖のせいで自然と旅の中で覚えた文字も入れたら読み書きできる文字は10を超えている。


 だがそんな環境で育ったものだから自分が文字に対してだいぶ優秀な部類だということを当人は理解していないのである。それ自体が一つの武器にすらなり得ることも。


 すんなりと殺魔神字を読んだ天結に関心を示したツネヨシである。とはいえ、ツネヨシは商家の2代目以降の当主となれば行商範囲の必要文字くらい仕込まれていて当然だろうことを鑑みてもこの男が多少の驚きを見せつつも5つの文字は理解しているだろうと推測する天結である。


 その子であるネネも看板を見上げ「さ・つ・ま・じ」と1文字づつ指を指して読んでいる。ちょっとたどたどしいがそこがまたかわいいと見守る。


 自信満々でどやぁしてるネネは父親を見上げ、当の父も良くできたと言葉にしないだけで小さな頭を名で繰り回すと暖簾をかき分けて引き戸を開けるとカラカラと言うとの音と温泉のはねるシャバシャバの音が重なる。


 (なるほどこうなるのか。)


 「あいちょるけぇ〜?」


 暖簾をくぐると5mほどの石畳の通路でその両端に木製の長椅子が置かれ、澄んだ温泉が満ちていた。狐親子が慣れた様子で長椅子にいもつを置くと奥からパタパタと足音が響いてきた。


 「あいちょっどぉ〜。おじゃったもんせぇ〜その声はツネヨシどんじゃっどなぁ〜。」


 通路奥からひょっこり顔を出したのはたぬき獣人の女性である。


 狸特有の愛嬌のある模様、低い位置で結まとめた髪にむっちり洋梨体型を包んだ着物と羽織はいかにも老舗の女将といった風情である。


 (おぉ〜美人さん。毛艶よきっ!)


 「ねぇさんご無沙汰しとる。部屋空いとっと?」


 「ほんのこて久かぶりやんねー。空いちょるよぉ。ツネヨシどんはいつもんごと親子でひと部屋でよかのけ?そこんお嬢さんはお連れさんけ?」


 「関所で一緒になって騎士しゃんにこけ進めれたんばってん道がわからんようやったけん連れてきたんや。」


「えぇえぇ。あいがとさげもす。」


 肥後弁と殺魔弁の会話はなんともカオスな様子だが耳に楽しいな。と密かに天結は耳を澄ませた。


 「いらっしゃいませ。お嬢さん、ご宿泊でよろしいですか?」


 鈴を鳴らしたようなよく通る声が訛の取れた流暢な標準語の発音にかわり、ちょっと残念に思う天結である。


 「はい。長期宿泊はできますか?家を探すまでなんですが。」


 「移住ですか?ようこそ殺魔へお越しくださいました。家を探すのはすぐだと思いますけど、住めるようになるまでだいぶかかりますからねぇ。家にもそういうお客さん何人かおりますので大丈夫ですよ。足を休めてお待ちください。宿帳を持ってきますので記帳をお願いします。」


 頭が見えなくなるのを見つめていると袖をちょんちょんと引かれる。デジャブ。


 何かと思って見れば長椅子に座ったネネがどこから出したのか柄杓で温泉を掬っては、足裏にかけて肉球の隙間を洗っている。


 他國だと手桶に水をはったものが渡され、その水で足を洗ってから宿に入る。手桶を出される場所は良い方で、水が貴重な国だと桶どころか濡らしたタオルだけで安宿ともなればタオルが雑巾に格下げされるのが普通である。


 「ここであしをあらってからなかにはいるんだよ!」


 「これが殺魔スタイルか。」


 「不思議なこと殺魔はに待合などん足洗いで汚したっちゃ地面に付けばきれか温泉に戻ると」


 そう言ってツネヨシは長椅子の横に下げられた柄杓を取ると片膝の上に反対の足を載せ具足を外すと柄杓でその足に温泉をかけた。


 ざばぁとかけながら足裏を揉むと濁った水になって落ちるが床に溜まった温泉に交じると濁りは消えてきれいなお湯だけがそこにある。


 「おお〜!そういえば外の温泉も人や舟が通っても全然濁ってませんでしたね。」


 習うように天結も長椅子に座り具足をするりと抜き取り柄杓を借りて足にかける。


 肉球の間に指を入れてゴシゴシ擦るとめっちゃ気持ちいい〜。と思わずつぶやきそうになるのを子供の手前我慢して両足洗うと濡れた具足を絞る。


 「お御足が済みましたらこちらへどうぞぉ。」


 誘われるままに通路を少し進めば小上がりになっていて女将が三人にタオルを渡す。ツネヨシは慣れたもので手早く拭くと受け付けで記帳をして小さな紙袋を載せた。


 「二人分2週間。お代は肥後産ん野菜種二種類でどぎゃんかい?」


 「えぇ、そいは良かなぁ。」


 両手を顔の横でぽむっと合わせた女将が上機嫌で取引を了承するとツネヨシは懐から手帳を出して女将に預けているのを見て天結は目を見開いた。


 (種が二種類で2週間宿に泊まれる?!)


 さすがにひと粒ふた粒というわけではないだろう。置いたときにそこそこありそうな音がした。だからといって砂山の如き量でもない。


 その手元が気になって吸い寄せられるように受け付けに行くと流れるような仕草で女将が使ったあとのタオルを嫌な顔せずに受け取ってくれた。


 サラサラと字を書くツネヨシの手元は名前と出身地の下に滞在期間、野菜二種類の種と書かれているのでそこは何でお題を払ったかを書くのであろう。


 女将もツネヨシから受け取った手帳に慣れた手つきで書きつけて差し出した。書き終わったツネヨシが女将から手帳を受け取ると場を開けてくれたので天結もその隣に名前と出身地まで書いてふと女将を見上げる。


 「期間は家が決まるまで、とお書きください。お代は……。」


 そこまで言いかけたところで受け付け横の間口から子供の鳴き声が響く。


 「ちょっと失礼しますね。」


 一言断って女将はパタパタと中に入る。顔には出さないが足の速さを見るに慌てているのははじめましての天結でもわかる。


 まぁ、それはそうだろう。なんせ鳴き声は三重奏だ。


 言われたとおりに記帳してなんとなくツネヨシを見上げるとウィンクをして天結のスケッチブックが入った鞄を指す。


 (あぁ、貸借帳か。)


 先程関所で出したスケッチブックをめくり受け取けに置くと、もう一度ツネヨシは同じ仕草をしたあとに今度はちらりとネネを見て今度は女将が消えた間口を差し出した。


 (さすがは商売人だなぁ。)


 意図した事がわかり頷くとスケッチブックを入れた鞄とは別の鞄を開けて木枠に張られた1枚の絵を出すと、そっと受付の台を回って間口を覗く。


 そこは事務室のようでいくつか机が並んだ向こうから鳴り止まない声発生源である赤子が三人、畳に転がり手足をジタバタさせている。それを宥めるように女将が声をかけているとこだった。


 「あのちょっとだけお手伝いしてもいいですか?」


 「え?」


 ひと声かけて許否される前にさっと事務室に入り女将の方へ進みながら手にした絵に神力を込める。


 子育てはその家の流儀がある。先祖代々の方法やしきたりを守る家、医学に基づいて育てる家、流行りを取り入れる家、教育論に基づいて育てる家。だからこそ出会って30分と満たない自分がホイホイと手出しするわけにはいかない。その代わりに……。


 「ん〜だもしたん。」


 「あ!あぁ〜!きゃー!」


 神力を込めた絵を赤ちゃんの方に向かって置くと絵から雪白蝶、月見蝶、桜蝶がひらひらと赤ちゃんたちの上を飛び回る。


 季節の違う蝶たちがいっぺんに見れることなんて自然ではありえない。そのありえない光景に女将も赤子も見入って子どもたちはキャッキャッと喜びの声を上げる。


 その間女将は手早く順番におしめを変えて後片付けまでやってしまう。


 「助かりましたお客様、お題はその絵でいかがでしょう?」


 「いいんですか?」


 「ええ!この絵があれば仕事が捗るわ。」


 「では、それでお願いします。神力を込めても動かなくなったらまた次を描きますので声をかけてください。」


 二人は笑顔で受付に戻ると宿帳と貸借帳に記載をするのだった。


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