それはすべての始まりを記したとされる物語。
それは誰もが一度は耳にした物語。
されどそれは忘れられた物語。
これから語られる物語は世界の根幹にして天地開闢の物語である。
混沌の中に神が現れた。神は天を作りたくさんの神々を生み出し最後に1組の夫婦神を生み、夫婦に国を作るように言いました。
二人の神は土地を作り山を作り海を作り穀物を作り世界のあらゆるものを作りました。やがてその中から太陽の神と月の神と力の神が生まれました。
中でも太陽の神は神々をまとめて土地を治め平和で幸せな世界を作りました。
それは誰もが知る物語り。
されど誰も真実を知らない物語り。
やがて失われつつある物語り。
少女は軽く上がった息を整えて、ぐっと眉に力を入れた。懐から出した地図に赤い絵の具でつけられた丸印を今日は何度確認したことだろう。
「この先が旅の終着地。」
それは長い長い旅だったように思う。何の障害もなければ獣人の足で半年とかからない旅の距離ではある。
しかし、天気が悪いと足止めされ、路銀が足りないと日雇いの列に並び、というだけでも時間がかかるものである。地図で計算する距離と現実にかかる時間は同じとは限らないのだ。
それなのにこの娘、天結は職が画家であるために気に入った風景を見つけては一か所に長々と滞在し絵を描くわ、画材が足りないと言っては野山に分け入って材料を探してはそれを練ったり砕いたりと、それはそれはマイペースの旅で、結局目的の地に辿り着く頃には頃には出発点である駿河から始まり5年もかかっていた。
13歳で一族の中から3人選出される代表者の1人に選ばれて故郷を旅立った。長に決められたルートに沿って進んではいたが、「いつまでに」なんて締切のない旅だ。
なんだったら選ばれた娘達の中で終点にたどり着くことを期待すらされていなかったために、一番険しく時間のかかるルートを割り振られていたことを天結は知っていた。
だから半ば腹いせのようによりに寄りまくった道草のおかげか、旅の画家としてちょっとだけ名が通るようになってきたし、安全な時期だけ道程を進めたので魔物や野党に殺されることなく健康無事にここまで来た次第である。
もう少しで18になろうという少女であるが、旅の空でだいぶ逞しくも健やかに育ったせいか豆柴の犬獣人にしては大きい方だと自他ともに認めるところではあるが、柴犬にしては小さいので未だに子供扱いされるのは解せないと常々思っている。
「さ、あと少しがんばろう!」
マイペースで進む
淡い花紺青の毛色と瞳、ただでさえ膝まで伸ばした2つのおさげ髪は白群から薄い露草色へと変化している。
長い髪には神が宿る。という古くからある思想を持った獣人のことを髪長族と呼ぶ。雄の場合はそれにあわせて髭も伸ばしている者もいる。これまで経由してきた國では一定数いるので、さして珍しいと天結自身は思っていないが、こうも見られるとこの国では珍しいのかもしれない。
トンネルを抜けると緩やかな下り坂の向こうに古代都市の名残であろう巨大建築。それだけならこれまでの國々でも見てきた。それでもその光景に足が止まったのは巨大建築からもわもわと煙を上げる水が建物の窓から滝のように落ちているからだ。
「緑と硫黄の臭いがする。ここが泉上都市、殺魔國。」
すんすんと鼻を動かして改めて歩を進める。道なりの坂の先を眺めると右側に小さな門と騎士と思しき者の姿、役所か何かの建物が見える。その向こうには立派な大きな門も見えた。
「とはいえ……。果たして300年も離れていた分家を今更氏族として受け入れてもらえるもんなのかねぇ〜。いきなりホアカリを訪ねても不審がられることは間違いないし……。ここは小犬か大犬氏族あたりが無難だけど一足飛びにホデリの長に会えたら……っは、さすがに楽観視し過ぎかなぁ。」
目的地にたどり着いたもののそこからどうするかなど考えてなかった。意地でもたどり着いてやるとは思っていたがその先はノープランである。
「ま、本当に私が使命を背負った巫女なら北辰の導きがあるよね。」
ふと照らされた空を見上げる。昼間は陽の光で見えないものの、道を行く旅人を導くのは星の瞬き。
「今日も星は燃えている……。」
誰に言うでもなく独り言ちる。どこまでもマイペースな娘は眼下の門に改めて目を向けた。
天結はこれまでの経験から大きな門が役所の表門で小さいほうが裏門、そして裏門側が関所の役割を果たすのだろうと推測する。
それを裏付けるように街に入ろうとするものは徒歩も馬車も皆一様に小さい門の方へ吸い込まれるように行き列をなしている。
天結もそれに習うように列の後ろに並び、懐から通行証と皮袋の財布を用意して役人を煩わせないように気を回しつつも気長に構える。
大抵こういう所は面識のある地元民や、定期的に出入りする商人はすいすい進めるが旅人に対しては審査が厳しく時間がかかるのである。
しかし、列は天結の思っているよりどんどん進みあっという間に自分の番が来た。
「こんにちは。お願いします。」
そう言ってまずは通行証を渡す。
担当しているのは薄花色の毛に紅緑の髪を後ろに撫で付けた犬獣人。種族は大陸の北にいると言われるシベリアンハスキー種というやつだろう。
それにしても大きい2mに届くかどうか、というところか小型種の天結にとっては実際より大きく感じ男である。
もう1人はモシャモシャの毛と髪をもった細身の男だ。毛も髪も薄茶色でプードル種かと推測する。2人とも腰から剣を下げているので役人というよりは騎士なのであろうなと天結は見当をつけた。
通行証を受け取った大男はじっとそれを見る。どこからか小枝を思い切り振り回したような音がして天結は背筋を伸ばす。
「先輩……?」
「……すまん。」
先に声を出したのはプードルの騎士だ。ついでに大男を小突いていた。
「こちらへは観光ですか?」
愛想よく訪ねてきたのははやりプードル騎士の方で、大きい騎士は食い入るように通行証を見て鼻をひくひくさせている。臭気選別でもしてるのだろうか、やましい事はなくとも他國ではあまり見ない検査方法にちょっとした緊張が走る。
「いえ、遠縁を訪ねて来ました。永住を希望しています。」
「なるほど、ではこちらに入國申請用紙がありますので記入してください。それから当國では新規入国者に貸借帳の制作をおすすめしております。」
渡された紙に添えられた竹筆でちょいちょいと必要事項を記入していく。身元引受人は小犬