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第4話 狛犬東郷藤右衛門視点


 その日は朝から落ち着かなかった。


 日課である朝の鍛錬を兼ねて街の外にある山へ出かける。まだ夜が明けぬ静かだが、生き物の気配が濃いこの時間は夜行性の魔物が寝に入る前。


 魔物は良い。今日の肉を得られる上に骨や革は生活の役に立つ。内蔵は必要ないので川に流すもののそれ以外は捨てるところがない。何より実践の緊張感が気を高ぶらせてくれる。生きていると実感する時間でもある。


 いつもなら自分と家族に手伝いをしてくれる家人がその日食べるのに必要な数だけを仕留める。角兎なら5,6匹、大振りの山猪豚なら1頭。15で成人してから毎日だのことなのでもうどの季節のどこにどんな魔物が湧くかわかっている。


 あくまでもその日必要なものだけ。獲りすぎない、毎日同じものを仕留めない、場所も毎日変える。自然の恵みは神々から賜るものなので今でこそ毎日獲れるが若い頃はそうもいかなかった。妻子はおらずとも兄家族には育ち盛りの子もいるので収穫無しは避けたい。


 いつもなら必要な数さえ穫ってしまえば自然と高ぶりとこわばりは体から抜ける。そこまでが習慣となってしまっているのだろう。


 それなのに今日は山猪豚を2頭仕留めても落ち着かない。まだ春を迎えてもいないのに朝日がまばゆくて木々の緑が鮮やかだ。そわそわして尻尾が小さく揺れる。今年は春の訪れが早いのだろうか……。


 季節の変化は生態系への影響も大きい。周辺の木々を見上げて観察する。自分の名の由来となった山夢藤に新芽や蕾がないか観察するものの、特に急激な変化は見受けられない。強いて言うなら例年どおりといったところだろう。


 ならばこの落ち着きのなさは自分の問題か?


 とにかく周辺が気になる。普段ならこんなに気を乱すことなんかないというのに、意味もなく後ろを振り返ってみたりする。


 一瞬瑞々しい果物のような香りがした気もするが、このあたりの植生に果実がなるようなものはないし、そもそもそういった季節でもない。近くに農園のような施設もないと記憶している。


 しばらく周辺の気配を探ってみるものの特に香りのもとになりそうなものは見つけられない。


 ひとまず今日の獲物を担ぐ。空間鞄に入れてしまえば簡単ではあるが筋トレも兼ねているのであえて両肩にのせて担いで街に戻る。その頃には空も白んで周囲は明るくなり、関所は昼番と夜番が交代した頃だろう。


 家に帰ると一直線に厨房裏手を目指す。すでに慣れた料理長が裏口を開けて若いものを伴って解体の用意をしていた。


 「すまない。今日は少し遅れた。」


 端的そう言って獲物を若い衆に渡すと、わっと歓声が上がる。狩りすぎたかと心配もしたが若い者たちにとって肉はどれだけあってもいいらしい。まぁ、自分もそのタイプではあるが……。


 「何かございましたか?」


 子供の頃から世話になっている料理長は自分が落ち着かずそわそわしていることに気づいたらしい。


 「いや、何もないはずなんだが。」


 言ってるそばから門の方へ意識を向けてみたり周囲を見たりと視線が忙しない。自分でもよくわからないので居心地が悪く、思わず首の後ろに手を置いて擦ってみる。落ち着き無く尻尾も揺れている。


 「その仕草は何か気になるときや落ち着かないときにされていたかと記憶していますが、天下の剣豪が珍しいですね。」


 からかうような物言いにバツが悪くなる。騎士団に入り領主指南役になってからというもの、普段から表情も尻尾も感情を表さないようにしていたというのに。


 「どうも朝からな……自分でもよくわからん。」


 正直にそう告げると父と変わらない年齢の料理長はしたり顔で顎をなでた。


 「なんだ?」


 「いやぁ、武術ばかりの坊がやっとねぇ。」


 「なんだ?」


 「いや、こちらの話だ。そろそろ朝食ができる。さっさと準備してこい。」


 すでに外にいるというのに、追い出されるような物言いと思わせぶりな言葉に引っかかりを感じてはいるが、時間が差し迫っているのもまた事実。


 朝の鍛錬が目的なので動きやすさが重視の黒シャツ黒いパンツに革の胸当てといった出で立ちだ。流石にこのまま出勤できない。まして今日は午前中に統治王イサハヤ様の鍛錬がある。指南役としてきちんとした身なりでなければ俺を指名してくれた主に恥をかかせてしまう。


 表に回って急いで自室に戻り軽く湯浴みをする。いつでも温泉に入れるのはこの街のいいところだ。三代前の当主がここを気に入り移住したらしいが、その英断に感謝せざるを得ない。


 汗と魔物の血を流すと11番隊の黒に水色のラインが入った制服を着て、鏡を覗く。特段おかしな所もないので早々に食堂へ足を向けようとして、ふとあの香りがしないことが今度は気になった。


 山にいるときは香りの正体が気になり、家に戻ればその香りがしないことに焦りが生じる。迷子の子供でもあるまいし本当になんだというのか。


 頭を振って食堂に向かえば自分以外の家族も家人も揃っている。我が家は今子育て真っ最中の兄嫁たちがいるため人が足らず子育てを終えたり退役して時間にゆとりがある者を一族から募って手伝いに来てもらっている。その分、礼として3食の食事は分け隔てなく皆共に食べる。ついでに情報交換もできるのでちょうどよい。


 先程訳知り顔でニヤついていた料理長も卓について座っている。


 「遅れました。」


 一言詫びを入れてから空いている席に座る。大体は兄と弟の間に座っているし、今日も所定の場所が空いているのでそこに座ると皆が箸を持って食事を始める。自分も黙って食べるものもやはり何か気になってふと壁を見つめてばかりいる。


 「藤?」


 「兄様?」


 「あ……。すまん。」


 慌てて食事を見つめるも箸を上げては下げてをくり返す。


 「珍しいね。藤が落ち着かないなんて。」


 当主たる長兄にまで言われる始末である。極めつけは……。


 カラン


「あ……。っつ、すみません。」


 箸を片方落としてしまい皆の視線が集まる。子供のような失敗に思わず俯けば小さな頃から世話をしてくれている乳母が代わりの箸を一組出してくれた。


 「すまない。ありがとう。」


 「いいえ。待ちに待った日ですもの。ばぁやは嬉しゅうございます。」


 「なんのことだ?」


 「あらあら。」


 「こいつ絶対拗らせてると思うんだよなぁ。」


 またもしたり顔で言い放つ料理長に胡乱な目を向けるもどこふく風である。


 「あぁ、なるほど。」


 「兄上?」


 なぜか長兄もなるほどと言った様子で次兄に至ってはちょっと飽きれたというか困ったといか甥たちを見るような目を向けてくる。心外である。食は全く進みそうにないので早々に席を立つ。少し早いが騎士団の訓練所で体を動かせば調子も戻るだろう。


 「ごちそうさまでした。」


 「もういいのか?」


 「はい。」


 立ち上がると今度は長兄がグラスを掲げてこちらを見る。


 「今日出会った者を忘れないように。」


 「?……わかりました。」


 わかっていない。何もわからないがとにかくいたたまれないので早くここを立ち去りたい。なぜ長兄だけでなく当主を退いた父、次兄に料理長までグラスを掲げる!意味がわからん!







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