場所は移って――家族が待っているといって帰宅したルーネスと別れたラウルたち3人は格闘技の道場のような板間へ案内されていた。
とはいえ、道場というには小さな造りで、天井の高さはゆうに5メートルはありそうだったが、広さは30畳ほどの小規模練習場といった様子だ。
「ここで……?」
「まあ、見ておれ」
イングスは茶器を持ち込み、板間の床に茶碗を置いた。
そして――
「はっ!」
「なっ……!」
お湯の入った
「! ど、どういうことだ。何がどうなっている……⁉」
天井近く――5メートルほどの高さから注がれた茶は、一滴も零れずに茶碗の中に収まっていたのだ。
三人の驚きようを見たイングスは可笑しそうに笑った。
「ふぉっふぉっふぉ、これがカラクリじゃよ」
茶壷を掲げる老人に「茶に何か仕掛けが?」とラウルが尋ねた。
「惜しい。茶はなんの変哲もない、市販の茶葉と井戸水じゃ」
「では……水の流れを操作することが出来る技かなにかを習得されている、ということでしょうか?」
ウイキョウが確か、そんなようなことを言っていた。
――この老人、水を操る達人ということか? だとすれば、その極意を教わって――
と、ラウルは考えを巡らせていたが、イングスの答えは彼の予想とは違うものだった。
「闘茶の流派によってはそういうやり方で茶を操作する手法もあるようじゃがな、ワシのやり方はもっとシンプルなものじゃよ」
「え……?」
片目をつぶる老人に「その茶器だろ」と答えたのは、ジオット。
「じいさん、その茶器が特殊なアイテムなんじゃねえの? 『茶器とともだち』って感じじゃねえしな」
ウイキョウの台詞を引用しつつ、肩をすくめた。
「鋭いの。そのとおり、ワシが見せた技は茶器の力に寄るもの」
「結局イカサマってことか。その茶器を譲ってもらえりゃ、一件落着。あのくらいの高さから茶を注いでも零れないってんなら、ウイキョウって執事に勝つくらいなら楽勝だろ?」
「ところがのう。そう簡単にいかぬのが、世の常というものでな」
ジオットの台詞に対し、イングスは
「どういうことですか? これが不正として暴かれる可能性が高いと――」
「闘茶のやり方は人それぞれ。同じ流派の者同士での対戦ならば、細かいルールを提示されるのじゃろうが……広義の意味での戦いであれば、派手なパフォーマンスをして見せた上で旨い茶を淹れ、審査員を唸らせることができさえすれば勝てるほどに自由度は高い」
「だったら、懸念材料はなんだよ」
「数じゃ」
「数?」
「この茶器――つまり、茶壷一体に対し、それに相対する茶碗五つまでしか、茶を注ぐことが出来ぬ。審査員の数は10人。さあ、どうする――?」
「え? なに、どういうこと? またあと5人分お茶を用意すればいいんじゃない?」
深刻な表情のラウルと悟ったような面構えのジオットとを見比べ、ルカが訊いた。
「つまり、闘茶ってのは10人分の茶を用意する必要がある。だけど、このイカサマ茶器はワンセット5人分。この茶壷を使ってこのセット以外の――ペアリングっつーのかどうなのか、言い方は知らねえが……その組み合わせ以外の茶碗なり湯飲みに注いだところで、あんなアクロバティックなやり方じゃ、茶碗は茶を受け止めることが出来ねえってわけだろ?」
ジオットの台詞に対し、イングスは目を細めた。
「ほんに鋭いのう。これらの茶碗はこの茶壷から出た湯なり茶なりを引き寄せるよう細工されておる。どんな高さから注いでも受け止めることが出来る優れものじゃ。じゃが闘茶の最中、茶器の交換、持ち替えは禁じられておるからの。……というても、ワシもカラクリ茶器はワンセットしか持っておらぬ。審査員5人式というルールならこれを使っての勝機はあろうが、10人が正式じゃからの」
「うーん、じゃあ、その審査員を5人、こっそりぶん殴って病院送りにしちゃうってのは?」
「そうなったらそもそも中止だろ。闘茶の試合どころじゃねえ」
「この娘っこ、見かけによらず、過激なことを言うのう」
イングス顔を引きつらせ、ルカから距離を取った。
「10個の茶碗と茶壷とのペアリングはできねえの?」
「セットとして制作された茶器以外では、茶が引き合うことは不可能という話じゃ。じゃが……茶壷1に対して10の茶碗となると、制作するのも技量を要する。しかもカラクリ茶器を作ることが出来る陶芸家は……ワシが知る限り、一人しか存在せぬ。むろん、この茶器もそやつの作品じゃ」
「誰ですか?」
ラウルが訊いた。
もう、ウイキョウに勝つにはその茶器を手に入れるしかない。
「トージン・タウという名人じゃ。ワシとは旧知の仲なんじゃが……」
「え、本当ですか⁉ だったら、紹介状などを書いていただくことは……」
「紹介状どころか、案内してやろうと思うておるぞ。ただのう……」
「ただ?」
ここまで話しておいて、すんなりOKが出なかったことで、ラウルが渋面になった。
「偏屈というか、妙なこだわりがあるようでの。ハッキリ言って性格が悪い。友人であっても扱いに困るほどじゃ」
「偏屈?」
「左様。偏屈というか気分屋というのかの。気が乗ったときは快く自身の作品を披露してくれ……なんなら渾身の逸品をあっさり譲ってくれることすらある。じゃが、そうでないときはいかなる要件であっても、会うことすら叶わぬほどじゃ。もちろん、その場合は作品を拝むことも許されぬ。完全無駄足じゃな」
「随分面倒くさそうなじいさんだな~。やっぱさ、ここはオヤジ転がしの達人、ルカが先陣切って取り入るってのが一番な気がするな」
ぽん、とジオットに肩を叩かれ、ルカが眉間に皺を寄せる。
「オヤジ転がしってなに? でも、そーだね。おじさんとかおじいちゃんと打ち解けるの、うちは得意だから、任せて」
「そう、簡単にうまくいけばいいがのう」
イングスはそう呟き、空を仰いだ。