『シャオシン、今、帰りましたよ』
ざーざーと耳障りなノイズ音が乗ってはいるが、確かにイヤホンからはウイキョウの声が聞こえる。
『おなか、空いたでしょう。お待たせしてすみません』
――なんだ? 家族が居るってことか?
ラウルが小声で呟いた。
――それっぽいな……息子か娘か……腹減ったかどうかってヤツが尋ねてるところをみると、シングルファザーとかか?
――意外と苦労人なのかも知れないな……。
――そこで妙な同情心みたいなの、要らねえから。……相手は敵なんだ。
――敵と言ってもな、闘茶で対決するだけだ。べつに常に敵対しているわけじゃない。
――甘いな、おまえはほんとに……。
ジオットが呆れたように嘆息したところで、電池切れを起こしたかのようにぶつっと音声が途切れた。
「あっ! やっべえ、バッテリーが……しまった。予備もねえ……!」
「甘いのはどっちだ?」
頭を抱えるジオットにラウルが冷たく言い放った。
「おまえのこういうところでのそういう台詞って、マジで性格悪いと思うわ」
人の出入りを考えると、マンションの階段での長居は怪しいと思い直し、場所を移ろうとしたところで、窓からルカが戻ってきた。
「弱点、見つけたよ」
にっこりと満面の笑み。
その弱点とは、音声で拾った『シャオシン』のことを言っているのだろう。
★
「亀を飼ってた?」
ウイキョウのマンションから少し離れた場所にある、騒がしい食堂に入ったところで、聞き間違いかと思ったラウルが訊き返した。
「そう、クサガメかな? すごくかわいがってる感じだったよ」
これ以上ないほどに暖かな笑みを浮かべたウイキョウの姿が、ルカの脳裏に焼き付いている。
「人が居た雰囲気は?」
「うーん、あの様子だと、たぶん、同居してる人は居ないと思う。ペットも亀だけなんじゃないかな」
「なるほど。じゃあ、その大事な亀を誘拐して脅せば、苦労なく勝利が手に入るってわけか」
ジオットがぽん、と手を打った。
「そうだね~。誘拐って表現、自分たちには馴染みないけど、盗んでくるってことなら専門分野だし」
「だとしたら、今すぐ動くのは得策じゃねえ。様子を探りつつ、勝負の前日あたりに仕掛けるのが吉だな。心を揺さぶるにももってこいだ」
「………」
運ばれてきた料理をもくもくと口に運ぶラウル。
ジオットは半眼になった。
「不服そうだな。でもそれが最も確実で楽な方法だ。ひと月『闘茶』に死ぬ気で
「………」
「だんまりか。おまえが本気で怒ってるときは無口になるもんな……あー、めんどくせーヤツ。せっかくここまで協力してやったのによ」
「別に怒ってはいない。ただ……仮にことが順調に運んで、ウイキョウを脅すことに成功したとしても、不正がバレないという保証もない。それに誘拐した亀をうっかり死なせでもしたら、どうする? そうなったら取り返しがつかないことになるぞ」
粥の椀を置き、ラウルが真剣な表情で言った。
「うーん、でも万が一ってときは似た亀を用意するって手もあるよ? 逆に人間の代わりを見つけるってミッションより断然イージーで現実的じゃない?」
「飼い主をナメているのか? それほどまでにかわいがっている亀、他の亀と見分けがつかない筈がないだろう? おまえは物事を甘く見ている」
「ぴえ~ん、エッジが怒ったあ」
ぎろりと睨みつけられ、ルカがじんわりと涙を浮かべたことで「あー、泣かせた~」とジオットが調子に乗って発言し、ラウルが嘆息する。
「この件に関して、俺ひとりでどうにかする。だから……大丈夫だ」
「大丈夫って……」
「俺はしばらく首都で闘茶の専門家を探してみるつもりだ。それで、何かヒントを――」
「もう~、そんなやり方でうまくいくわけないじゃん。あ、すみません、お茶のお替りお願いしまーす」
アヒルの丸焼きを頬張っていたルカが、店員に向かって手を挙げた。
「承知いたしました」
ルカの要望に応え、制服の店員が変わった『道具』をスタッフルームから持ち出してきた。
「なんだあれは……」
「あの
驚くラウルとジオットをよそに、店員はやたら嘴が長い茶壷を持ち、器用にそれを振り回すようなパフォーマンスをしながら、こちらへ向かってきていた。
「では、お
一メートルはあろうかという長さの嘴を棒のように肩で抱え、店員は注ぎ口の角度を微妙に調整しつつ、空の茶碗に茶を注いだ。
「わあ、すごーい! おもしろーい‼」
一連の動作が見事だったため、ルカが拍手をした。
特殊な淹れ方をしたにもかかわらず、それは注ぎ口から茶碗までの距離が近かったこともあり、一滴も零れていなかった。
「お褒めに預かり光栄です」
三人の茶を注ぎ終え、お辞儀をしたところで「あの……」とラウルが口を開いた。
「はい?」
「その、パフォーマンスは闘茶の一種なんでしょうか?」
「闘茶? ? ああ……。いえ、これは技を競うようなものではなく、単にお客様に喜んでもらうための茶芸です」
ゾウの鼻のように長い
「では、闘茶とは関係のないものですか?」
「そうですね……。私は闘茶については専門外ですが……私の祖父がその分野に造詣が深いようなことを昔、聞いたことはありまして――」
「え⁉ それは本当ですか?」
あまりのラウルの食いつき具合に、一瞬たじろぎつつも「よろしかったら、のちほどご案内しましょうか? 終業後となってしまいますが」と申し出てくれた。
「よろしくお願いします!」
ラウルが大きく頭を下げた。