場末のバー。
暗い照明の中、店内に現れた人物に対し「いらっしゃい」と愛想よく声を掛けたあと、バーテンふうの美人の店主は「なんだおまえか」と、脱力したような表情を浮かべた。
「部下の帰還を喜んでもらえないとは……悲しいもんですね」
ラウルが苦笑し、カウンターの席に着く。
ほかには客はいなかった。
「
「極端な発想ですね……少し、長めの休暇をいただきました。それでボス……」
「休暇? そう言えば聞こえはいいがな、おまえの失態でルオ家の令嬢から暇を出されたというわけではないだろうな?」
店主であり怪盗団アルテミスのボスであるローザがラウルのためのカクテルを作りながら、尋ねた。
「疑り深いですね。さっき、違うと言ったじゃないですか。実はボスに相談があって――」
「なんだ? 金なら貸せないぞ?」
飲み物を出しながらのローザの脱線めいた返答の所為で、話が進まないことにラウルは苦笑した。
「借金の申し込みじゃないのでご安心を。――本題に入ります。ボス、闘茶って知ってますか?」
「闘茶? ああ……茶道のパフォーマンスを競うものか?」
ローザの台詞を受け、ラウルが驚いたように瞬きした。
「さすが……見聞が広いですね。それで、その筋の専門家に心当たりは?」
「専門家? あるわけないだろう。マイナーな競技だぞ? 競技人口も極めて少ない。わたしも随分前に縁日での競技を目にしたことがある程度だ」
「そう……ですか」
一縷の望みをかけて、信頼するボスに尋ねたというだけあって、ラウルは落胆した。
「どうしたんだ?」
「あ……実は、その技、習得しなければならなくなったんですよ……俺が」
「おまえが……? 闘茶を……?」
「ええ。まあ、話すと長くなるんですが……俺の仕えている令嬢のライバルだという富豪の娘が、闘茶の達人である執事を引き連れ、屋敷を訪ねてきたんです。ひと月後に開催される茶会へ我々を勧誘するために」
「ほう……?」
「それでその執事の技を見せつけられ……」
「おまえの令嬢が相手に挑戦状をたたきつけた、と」
ふっと笑みを浮かべてのローザの見透かした台詞に、ラウルは息を呑んだ。
「そ……」
「おまえが闘茶のスキルを身につけなくてはならなくなったということであれば、そういう流れだろうと思っただけだ。それで、お嬢の顔を立ててやろうと、闘茶をマスターしようと考えた……?」
「ええ……まあ」
ラウルはやや
「随分と彼女に肩入れしているようだが?」
「いや、もちろん、本懐を遂げることを最優先に考えています。だからこそ――」
必死に言い訳しようとするラウルに、ローザは苦笑した。
「ムキになるな……まあ、『目的』さえ果たしてくれるのなら、とやかく言うつもりはないが――」
『目的』とはルオ家別宅に眠るという『華麗なる忠誠』という秘宝の奪取を意味している。
ラウルの正体はエッジという通り名を持つ、怪盗だ。
『華麗なる忠誠』の持ち主であるナディアに取り入るよう、努めていると――そういう説明に落ち着くことになる。
「くれぐれも本気になるなよ?」
ローザの視線が鋭くなり、ラウルの頬に汗が伝った。
「本気……とは? 例のものを盗み出すことに対して、手を抜けと?」
ローザが半眼になった。
「はぐらかすな。『仕事』に支障をきたすような状況に持っていくなという警告だ。とりあえず、現段階の優先事項は闘茶で勝つ算段を立てるつもり――ということだな?」
「はい……だけど、ボスは闘茶の専門家には心当たりがないと……」
「そうだな。だから――」
「うちがリサーチしてあげるね」
天井からしゅっと床に降り立ち、姿を現したのは、紫がかった黒髪をポニーテールにした少女。
黒のシャツブラウスにデニムホットパンツの、小柄で愛らしい風貌の娘だった。
「ルカ……! あんなところに張り付いていたのか?」
天井を指さし、ラウルが驚愕した。
「うち、忍びのプロだもん。敵の視察は得意だよ。どこのどいつか教えて」
親しげにラウルの腕に抱き着きながら、ルカが訊いた。
「あ……その……」
――しまった。執事の……ウイキョウという名前は憶えているものの、あの令嬢がどこの誰の娘かまでは……。
「ウイキョウ・バランタイン・シャンだろ? 首都マカデミアの大手製薬会社カク家の娘、グランナ・アンディーブ・カクに仕える執事だ」
言いながら、にゅっと、カウンターから姿を現したのはジオットだった。
「お、おまえ、そこに潜んでたのか? しかも何故そんなことを……⁉」
「たま~にな、おまえが真面目にやってるかどうか観察してんだよ。その成果はあったんじゃねえの?」
隠し撮りしたであろう、相手の令嬢と執事、そしてラウルたちの姿を収めた写真を見せながら、ジオットがにやにやと笑う。
「おまえ……いったい……どうやって……」
怒りというか呆れというか、恐れというか……様々な感情の渦巻く中、写真を握ったラウルはぷるぷると身体を震わせた。
「まあ、細かいことはいいじゃねえか。要するにその執事の弱点を掴めばその闘茶なんていう役に立たねえスキルを身につけなくとも、十分に叩きのめすことは可能だってことだ」
「弱点?」
ラウルが怪訝そうな表情でジオットを見る。
「そいつを握って脅しゃあ、屈服させられんだろ? 正攻法で攻めようとすんな。時間の無駄だ」
「……なら、どうするつもりだ?」
「ん~な、分かり切ったことわざわざ訊くなよ」
なんだかワルモノっぽい笑みを浮かべ、ジオットがラウルの肩を肘で突いた。
「おい……おかしな真似をする気じゃ……」
「――まあ、とりあえず、ヤツの弱点を探るため、敵陣に忍び込むか」
「敵陣って……」
「うちがエッジと行くの! ジオットは留守番してなよ。いろいろ忙しいんでしょ?」
ルカがラウルの横に立ち、腕を掴んで引き寄せた。
「ところがさっき、『納品』を終えてきたところでな。しばらくフリーだ。それにこんな『マチガイ』が起こりそうな組み合わせで遠方までなんて、ボスが許すわけねえだろ? ――なあ、ボス?」
ジオットがローザに視線を投げると、彼女の表情が険しくなった。
「当然だ。
「ねえ、チジョーのもつれってなに?」
ルカがローザの台詞を遮り、きょとんとした表情で首をかしげた。
「ああ? だから、痴情のもつれってのは……」
一瞬ラウルの方に視線を遣ると、さっと視線を反らされたため、ジオットは助けを求めるようローザを見た。
「とにかく、恋愛禁止だ! メンバー間などもってのほか。それ以外でも厄介な火種になりかねない。今後も『アルテミス』で活動するというのなら、
「えー、よくわかんな~い。そんな難しいこと言われても~~」
「つまり、こいつにベタベタすんなってことだよ」
ラウルにしがみついたルカを引っぺがしながら、ジオットは嘆息した。
「ベタベタなんてしてないもん」
ぷう、と頬を膨らませながら、ルカはラウルの隣の席に腰を下ろした。
「とにかく、名前とツラもどのあたりに屋敷を構えてるのか程度は、調べが付いてる。あとはターゲットの情報を探るまでだ」
「あ、ああ……」
「なんだよ、浮かない顔しやがって。本気で対決して勝てるわけねえんだから、確実な手段で攻めるしかねえだろうが」
「それは……そうだが」
――果たしてこんなやり方でナディア嬢が喜ぶかどうか……。
ウイキョウをただ単に打ち負かすよりも、いい勝ち方をしたいと思っている自分に気が付いた。
「余計なこと考えてんじゃねえぞ。勝ちさえすりゃあいいんだ。勝ちさえすればな」
「うちは絶対行くからね!」
「………」
結局、三人でウイキョウの情報を探るため、マカデミアへ出向くこととなってしまった。
――人手不足なんだがな……。
と内心思いつつ、盛り上がっている(?)三人を眺め、ローザはひとり酒をあおっていた。