「さ、やってみて!」
「え、ええ……」
浴室に男女の声が反響する。
時間帯が夜ではなく昼下がりであることが、なんだか場違いでありつつも、どこか艶っぽい雰囲気だ。
「ちょっと、まだ早いわ。ゆっくり、もっとゆっくりしないと……」
「いえ、いっそこういうのは勢いで……! あつっ‼」
水が勢いよく流れ落ちる音と共に、男の悲鳴が響いた。
「! ちょっと、大丈夫⁉」
「やはり、無理ですね。全部零れてしまいました」
熱湯が掛かった膝や腕にシャワーで水を当てながら、ラウルが顔をしかめた。
「何度やっても……全然うまくいかない……」
カップに入らず浴室に散らばった湯を眺め、ナディアが愕然とした表情でつぶやいた。
浴室の男女――ラウルとナディアは闘茶の練習をしていた。
正確にはラウルの練習の様子をナディアが見守っているという状況で、当然、ふたりとも着衣のままだ。
そして、この場所を選んだのは、水浸しにしても問題ないからだ。
ふたりとも長靴を着用していた。
「何かコツがあるのだとは思うのですが……」
「そうね……普通のやり方じゃ無理ね。かといってグランナに訊くのは癪だし……素直に教えてくれるとは思えないわ」
「まあ、そうですね。企業秘密、というような言葉で濁されてしまうでしょうから」
「……どうしようかしら。闘茶の専門家なんてわたし、知らないし……」
「………」
ラウルは何かを考えるように、顎に手を当てた。
「どうしたの?」
「あ……あの、もしもお許しいただけるなら、しばらくお暇をいただけないでしょうか?」
「え……? 暇? なによ、クビにしてほしいってこと?」
ナディアの眉間に皺が寄った。
逃げるつもりなのかと、詰め寄られたらどうしようと思いながら、ラウルが慎重に口を開く。
「あ、いえ……そういう意味ではなく、闘茶の研究のための旅に出ようかと思っています。直接のアテがあるわけではないのですが、あらゆる情報に精通した人物に心当たりがあるので、その方を訪ねて……具体的な対策を練ってみようと思いまして」
「それは――以前の仕事繋がりの人、とか……?」
上目遣いで尋ねられ、一瞬どう応えたものかと逡巡するも、ラウルは「まあ、そんなようなものですね」と返答した。
「そう……なにか勝てる算段があるっていうなら――いいわ」
逃げ出すつもりはなく、前向きに奮闘するつもりだと悟ったナディアは、そう言った。
「ありがとうございます」
「ただし、遅くとも勝負の2日前までには戻ってきて。絶対に」
「――はい」
「頼んだわよ。信じてるから」
どこか縋るような表情で懇願され、ラウルは「お任せください」と応えていた。