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第36話

 自室へ戻ろうとしていたナディアは、廊下に出ようとしたところで、表情を強張らせた。


「はぁい。お邪魔するわね。ナディアさん」

「お邪魔致します」


 茶髪の髪を縦ロールに巻いた育ちのよさそうな黒いドレスの女性はナディアと同世代のようで、それに続く従者ふうの男性は眼鏡を掛けた紳士で30絡みといったところか。

 艶やかな黒髪をオールバックでびしりと決めており、いかにも知的でデキる雰囲気を醸し出している。


「ナディア様のご学友で、はるばる首都マカデミアからいらしたというお話でしたので……こちらへお連れしたのですが……」


 ラウルは睨みつけてくるナディアに、恐る恐る状況を説明した。


「はあ? まずは通していいかどうか、わたしに訊くべきでしょ? なに勝手に連れてきてんの⁉」


 ナディアはラウルの袖を引っ張って態勢を低くさせると、耳元で抗議した。


「あ、いえ……そのやたら強引でいらして……大事なお話があるとかなんとか……おっしゃっていましたので……」

「も~~~、使えないんだからっ」

「も、申し訳ございません……」

「お久しぶり。ねえ、葉書は届いた?」


 微かにしゅんとするラウルを尻目に、訪ねてきた令嬢が口を開く。


「葉書が届いたかどうか、わざわざ確認しに来たの? 暇なことね? 届いたわよ。――もう御用は済んだかしら?」


 ナディアが玄関の方向を示すように動いた。


「ふふふ、相変わらずお口の利き方をご存じないのだから。まさか、葉書が届いたかどうかを確認するために、こんな片田舎まで来るはずないじゃないの。ああ、それにしても長旅だったわ。なんだか空気も淀んでいるし、ロクな場所じゃないわよね」


 令嬢はわざとらしく、げほげほと咳をしてみせた。

 ナディアのこめかみにぴきりと青筋が立った。


「片田舎? 格式ぶっているだけの首都よりも前衛的で、よっぽど都会よ! 芸術性も高いし。きちんとお調べになってから発言なさってくださる? あなたの目は節穴なのかしらね、グランナ?」


 グランナと呼ばれた令嬢は不敵に微笑んだ。


「知ってるわよ。ピカン・シティここが犯罪の匂いが絶えない薄汚れた街だってことはね。――なんて、そんな話をしに来たわけじゃないの。葉書をご覧になったのなら、ご存じでしょ? お茶会への勧誘よ」


「不参加よ。――以上」


 ナディアは即答した。

 グランナが眉を八の字にして、大袈裟に腕を広げた。


「あらぁ、こんな薄汚い街にお暮しになると、人間はよりすさむものなのね。心の底から同情するわぁ」


「誰がすさんでるのよ。あなたのような狭い世界で生きていないの。あなたは上辺だけの『お友達』とやらと、実りのない話題で盛り上がるだけ盛り上がって、好きなようにツルんでればいいじゃない。その狭小きょうしょうな世界にわたしを巻き込まないでいただきたいわ」

「いやだわ、ホントにお口の減らないこと」

「それはこっちの台詞よ」


 ナディアとグランナとの間でバチバチと火花が飛び散っている。

 周囲の従者たちは互いに困惑したように顔を見回せた。

 しかし、その火花光線を先に止めたのは、グランナの方だった。


「――ああ、くだらないやり取りをしている場合じゃないわね。ただ、お茶会への誘いといっても乗ってこないのは想定済み。――だからナディアさん、勝負致しましょう?」


 火花は一旦止まったものの、宣戦布告ともとれる発言に、ナディアの表情が険しくなった。


「勝負? ……何のよ?」

「きょう、彼を連れてきたのは、お茶会での勝負の申し込みをするためでもあるのよ」

「茶道ってこと……?」

闘茶とうちゃってご存じ? もっとも、今回の話に関してはナッツイート式のパフォーマンスを競う対決なのだけど――」


 ふふ、と思わせぶりな笑みを漏らすと、「ウイキョウ」と傍らの執事に声を掛けた。


「は」


 ウイキョウと呼ばれた執事が左手を腹部に、右手を後ろに回すスタイルで、礼をする。


「ウイキョウ、あなたの自慢の技を披露して差し上げて」

「……よろしいのでしょうか?」

「もしかしたら、地方にお住まいの情弱ナディアさんは闘茶をご存じないかもしれないから、一応どういったものかってお教えして差し上げようかと思ったの」

「じょ、情弱? 井の中の蛙のあなたに言われたくないんだけど」


 怒りに震えながら、ナディアはグランナの執事の方を見た。


「遅ればせながら、グランナ様の執事を務めさせていただいております、ウイキョウ・バランタイン・シャンと申します。――僕の流派の闘茶がどのようなものか、エキシビジョンとして、披露させていただいてもよろしいでしょうか?」

「え……ええ。ぜひ拝見したいわ」


 恭しく頭を下げられ、ナディアは戸惑い気味に頷いた。


「――では」


 ウイキョウは優雅な動きで大きめなシルクのハンカチを取り出すと、手品のようにティーセットをテーブルに出した。


「ああ、申し訳ありません。お湯を沸かしていただけますでしょうか。そればかりはこちらでご用意できませんでしたので」


 呆然としているラウルは相手の執事にそう声を掛けられ、ハッとした表情で「承知いたしました」と、キッチンへ向かおうとした。

 しかし、そこで「わたくしが参ります。ラウルさんはあまりキッチンに詳しくありませんから」と、マリーが申し出たことにより、ラウルはその場にとどまることを余儀なくされる。


――何が始まるんだ……?


 固唾を呑んで見守るラウルと険しい表情のナディア。

 一方、ウイキョウの口元には笑みが浮かんでいた――余裕しゃくしゃくといった様子で。


「……少々お待たせ致しますので……」


 左手でハンカチを持って右手に被せたあと、隠れた手を小刻みに動かし、再び布を取り去った。


「え……」


 そこには先ほどまでなかったはずの、小さなバラのブーケが姿を現していた。


「ナディア様、少々小ぶりですが、受け取っていただけますでしょうか?」

「え……これは、どこから?」


 怪訝そうにナディアは差し出されたブーケとウイキョウの腕を見た。


「それは企業秘密でございます」


 口元に人差し指を立て、優雅に微笑む。


「企業秘密……?」


 ブーケを受け取ったナディアは喜ぶというより、やはり訝しげな表情をしていた。


「ああ……準備が整いそうですね」


 湯気を立てるガラスのポットを持って戻ってきたマリーに頭を下げると、

ウイキョウはそれを受け取りがてら「おや、これはマサラ山の湧き水ですね」と、感心したように呟いた。


「ええ。よくご存じで。国内指折りの名水とのことでうちのコック厳選の水を仕入れております」

「これは、いいお茶が立てられそうです……」


 ふっと口元に笑みを浮かべたウイキョウは、テーブルへと向き直った。


「では、ご覧ください」


 茶葉をティーポットに入れ、お湯を注ぐ。

 その間、胸ポケットから取り出した砂時計をテーブルに置き、それをじっと眺めてすべて砂が落ち切った瞬間を見定めると、ティーポットを取った。

 そして――

 それを目の高さまで上げ、腰の位置で左手に持ったティーカップへと注ぐ。


――な、なんだ……? まさか、こんな高いところから……。

――うそ⁉ なんて高さなの⁉

――これは、いったい……⁉


 ルオ家一同が戦慄した。

 グランナが唇の端を上げた。

 高いところから注がれたお茶が跳ねてこぼれることなく、カップが綺麗に受け止めていた。


――あれほどの高さから……なのに……まったく零れていない。いったい、どうなってるんだ……?


 ラウルの頬を一筋の汗が伝った。


「これはね、高さと優雅さ、そして……味を競うの」


 不敵な笑みを浮かべたグランナが簡単に解説をした。


「――味?」

「……どうぞ。よろしければ召し上がってください」


 ウイキョウは呆然としているナディアにソーサーに乗せたカップを差し出した。


「……いただくわ」


 ブーケをマリーに預け、香りの高い紅茶に口につけたナディアは「美味しい」とつぶやいていた。


「ご満足いただき、幸いでございます」


 恭しく礼をするウイキョウはまさに、執事のかがみ――一連の流れを見守っていたラウルは気後れしてしまっていた。


――俺の本業は執事ではない……。しかし……


 ラウルは歯を食いしばり、拳を締めた。

 なんだか、無性に悔しい気がした。


「あの、ウイキョウさん、どうやって……その……」


 ラウルの質問に対し、ウイキョウは温和な笑みを浮かべた。


「――水に流れを促すのです。水……いえ、茶との対話なのですよ、これは。そして、茶器と自分はともだちだ、と」

「茶との……対話……? ともだち?」


 答えになっているのか、なっていないのか分からない回答に、ラウルは戸惑いを見せる。

 その様子にグランナは満足そうに微笑んだ。


「そう、これは初歩的なパフォーマンスなのだけど、本番はもっと高度な技をお見せできると思うわよ」

「これよりも凄い技?」


 ナディアとグランナが会話するなか、ウイキョウはティーセットを手早く片付けていた。


――この手際の良さ……非の打ち所のない所作には……感服だ。


「では、失礼いたします。お茶会、楽しみにしておりますので」


 どこか余裕の感じられる笑みを浮かべ、ウイキョウはグランナとともに、ルオ家別宅をあとにした。


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