「……余計なこと、するんじゃなかったな……」
バルコニーの
令嬢の部屋に踏み込み、危険な綱渡りをしたにも関わらず、結局、何も得られてはいない。
酔っぱらったマリーはあのあとすぐに眠ってしまったようだが、彼女が目にした『あの場面』を覚えられていたら厄介なことになってしまう。
――なにより、令嬢にどう言い訳をすれば……。
あのときは何故か話を合わせてくれたが、要注意人物だと認識されたに違いない。
もう、ここには居られないだろう。
――とんだ失態だ。焦るあまりに……。明日にでも戻ってボスに状況を話すしかないだろうな。
悔しげに唇を噛み締めたところで「ラウル、ここだったの」とナディアの声がした。
「……あ……はい……」
ラウルは顔を合わせられず、俯いた。
「マリーのことなら大丈夫よ。酔っぱらってる間のことはきれいさっぱり忘れるタイプだから」
羽織ったカーディガンの前を締め、彼女はラウルの隣に立った。
「そ……そうですか」
「なに落ち込んでるのよ」
「い、いえ……別に」
「マリーが帰ってきてなかったら、どうなってたのかしらね?」
その一言で、ラウルの心臓が大きく跳ねる。
反射的に、彼女から距離を取るように一歩右に移動した。
――マズいなこれは……
ここから逃げ出したい想いで、ラウルは唾を飲み込んだ。
が……
「責めてるわけじゃないわよ、わたし」
「え?」
意外な台詞に、思わずラウルがナディアの方を見た。
「むしろ、いい度胸してるなーって感心してたくらいよ」
「はあ? いや、だから、誤解ですと、何度も……」
「じゃあ……本当の目的は、何?」
じっと顔を見つめられ、ラウルはたじろいだ。
真の目的なんて悟られたら――もっとマズいことになる。
それを思えば、誤解されたままのほうがマシなのだろうか。
――『ナディアさまが魅力的だったのでつい』……? いや、そんなこと……。
思い浮かんだ台詞を打ち消すよう、ラウルは頭を振った。
そして、しばし逡巡したのちに口を開く。
「――お茶を召し上がってから、ナディアさまがすぐに眠ってしまわれて……ベッドにお運びしたんです。その際に人影が見えた気がしたので……窓に……」
「あーはいはい。そういうことにしといてあげるわ。ほんとにつまんない回答しかできないんだから」
ナディアは嘆息すると、憮然としてそう言った。
「……え?」
「次の問答でわたしが感心するような答えが出来るように精進してね。――じゃあ、おやすみなさい」
ナディアはそう言い残してバルコニーをあとにした。
「……一応はお咎めなし、ということでいいんだろうか……」
彼女がどう感じて、何を思ったのかは分からない。
先ほどの問答に置いても、どういう返答なら納得するのも不明だが……
一応はここから追い出されずに済みそうだ、ということだけは分かった。
ふいに、ハッとしたように周囲を見回す。
――ないな……。
また、ジオットにおかしなカメラ付き偵察機でも仕掛けられていたら気が気じゃないと思ってたが、その懸念も払拭できたことで、ラウルは安堵のため息を吐いた。
「しかし、まあ……とんだ春節だったな……」
その台詞とは裏腹に、彼の口元に笑みが浮かんでいた。