「刑事、それはパワハラです! さすがにやりすぎではないですか?」
今まで黙ってみていたラウルが、険しい顔で抗議した。
「え?」
「彼がこんなにいやだと申しているのに。たかが、制服の大きさが合わないくらいで、こんなイヤガラセをするとは……刑事らしくない。これはまぎれもないパワハラ! ――場合によっては上に報告させていただきます」
「おい……大袈裟だろう。なんでもかんでもパワハラって……」
「いやぁあだああああ! 暗くて狭くて怖い場所は無理だあああ! ああああ、刑事のパワハラで廃人になってしまう自分は哀れだああああ。うあぁああああぁぁ」
頭を抱えて泣きわめくジオットにたじろぎ、リー刑事は後ずさった。
「お、落ち着け……」
「ダメだあぁあ、もう、おしまいだあああ。おかあさああああんっ」
「うるせええ! 何時だと思ってやがる!」
ターゲットの部屋の向かい側のドアが開き、住人らしき強面が叫んだ。
「も、申し訳ない。ただいま、捜査中で」
慌てて警察手帳を見せ、リー刑事は頭を下げた。
「あぁん? 刑事のくせにおかしな頭しやがってよ! ふざけてんじゃねえぞ」
思わず、アフロな頭を押さえ、リー刑事が顔を赤くした。
「こ、この髪は好きでやってるわけじゃ……」
「捜査だが事件だが知らねえが、もうちっと静かにやれ」
ドアが閉まったところで「その中で待機しろとは言わないから、大人しくしていろ」と、ジオットをにらみつけたリー刑事は、しかし、階段の方に視線を遣ったとたんに表情を緩めた。
「刑事、どうしたの?」
制服警官とともにここへ現れたナディアが驚いた表情で、尋ねた。
「な、ナディアさん、いえ、なんでも……」
「――パワハラがどうとか?」
「いや、そんな! 心優しく誠実なボクがパワハラなんて、するわけないじゃないですかっ!」
「なら、何事?」
どう答えたものかと逡巡したリー刑事は、誤魔化すようにくるりと体の向きを変えた。
「あ……ええっと、やはり、外で見張ることにしましょう。ナディアさん。ボクと行動してください。どうもここの住人は少々物騒だ」
「? そこのふたりは……?」
へたり込んでいるジオットと、その傍らに立つラウルに気づいたナディアが不思議そうに彼らの方を向く。
思わず、ラウルは顔を背けた。
一見して自分が彼女のうちの執事だとは分かる筈はない――そんな高い精度の変装をしている自負はあったが、それでも凝視されようものなら、バレない保証がなかったからだ。
「外で……待機ね。あのね、不思議なんだけど」
今のところ、彼に対して何かに気づいた様子はないナディアが、リー刑事とともに階段を下りながら、口を開いた。
「なんでしょうか?」
「506の住人の持ち物が狙われてるんでしょう? なのに、どうして室内で警護しないのよ。それが一番確実じゃない。こんなに人を配置する必要もないし」
「あ……実は……ターゲットとされた住人の方が入室を頑なに拒否していまして。外で見張るしかないんです」
「ええ? なにそれ。万が一、中に侵入された場合は? 住人だけで迎え撃つつもりってこと? だいたい、目標物ってどういう――」
リー刑事は「しー」と人差し指を口元に立てた。
――なんと、ハン会長のご子息なんですよ。アガルト・ハン……モデルとして活動している、イケメンと名高い……。
そっと、そう耳打ちをする。
――アガルト・ハン??? その人のことは知らないけど……ハン会長の子どもって……とんでもないことじゃない? っていうか、ドンの息子がこんなマンションに住んでるわけ?
それほど高級感があるわけではない、平均より少し格上といった程度の集合住宅だ。
――まあ、きょうだいの中でも彼はさほどハン会長に目を掛けられているわけじゃないという話で。それでいながら、バックに親父が付いているといわんばかりの横暴っぷり。通報してきたのはいいですが、予告状の内容も提示せず、何が盗まれるのかも分からない状況です。
――なによそれ、ホントに怪盗は現れるの?
「え……あ……その……」
リー刑事は困惑したように、口ごもった。
――だって、予告状がきたって言っても現物を見せられたわけじゃない。おまけに自宅で警護もさせないなんて。どう考えたって怪しいでしょ?
――あ……まあ、それはそうですが……しかし……。
――権力にかこつけて警察を使ってるんだとしたら、とんでもなく迷惑な話じゃない。
「………」
ナディアの指摘は案外的外れではないと、リー刑事は思った。
実は彼自身も、アガルト・ハンの虚言を少しばかり疑っていた。
――だが、そうだとすると何の目的で……?
――世間を騒がせたいとか、有名になりたいとかじゃない? わたしみたいにその人の存在を知らない人間だっているわけだから。
――自作自演……?
「だとしたら、バカバカしいわね。こんな大仰に対応している場合じゃないんじゃない?」
――しかし――ドンの息子ですから無下にするわけにはいきませんし、自作自演だという根拠もないわけで。一応、予告の時間までは待機するつもりです。何かあっても困りますから。
階段には人の気配がないとはいっても、誰かに聞かれてはまずいと、リー刑事は会話の声を落とした。
「そうね。『彼』が現れる可能性が一パーセントでもあれば、対応するべきだとは思うわ」
「ですから、ボクと共に待ちましょう。こんなむさくるしいところは不本意ではありますが、ボクはナディアさんとなら何時間でも……待てま――ぐふっ」
階段の踊り場に達したところできりっと表情を整えた直後、リー刑事は腹を押さえてその場にしゃがみこんだ。
「なに手なんて握ってんのよ。余計なこと言ってないで早く行くわよ」
「……あ、いつもどおり、いいパンチです……」
親指を立てたリー刑事は、ヨロヨロしながらナディアのあとを追った。