「あそこにいる黒髪の男、ミックっていうんだけど、私のいとこなのよ」
「いとこ!?」
「えぇ。私のお母様の妹が公爵家に嫁いだの。ミックは叔母さんの息子ってわけ」
(だから似てたのね)
ミック公爵令息とイェッタは、その長いストレートの黒髪など共通点も多い。親しげだった理由も、彼女が隣国まで来てオスキャルを応援していた理由も彼がこの国の貴族だからだろう。
(いくら貴族令嬢でも、いいえ、むしろ貴族令嬢だからこそ気軽にひとりで国を跨ぐなんてできないものね)
だがそれは、あくまでも彼女が気軽に隣国まで来れた理由であって、幽霊姫が邪魔にはならない理由ではない。
「幽霊姫は王族よ。そしてオスキャルはそんな幽霊姫の専属護衛騎士、常にべったりなのに、どうして問題にならないの?」
「あぁ、貴女は平民だから知らないのね。引きこもりの幽霊姫は外には出ないし、専属護衛といっても基本的には仕事はなくて訓練に勤しんでるのよ」
「え? あ、あー。でももし部屋から出たら……」
「それも大丈夫。そのためのミックよ」
「へ?」
「実は、彼に幽霊姫のことを『妖精姫』って教えたの。美しい女性に目がないミックだもの、妖精姫と聞いて即婚約を申し込んでくれたわ。友好国の公爵令息、しかも嫡男よ。幽霊姫にとっても悪い話じゃないでしょう?」
そう言ってイェッタがにこりと笑う。そして楽しそうに更に口を開いた。
「王女がミックと結婚したら私も親戚としてオスキャル様とお近づきになれるかもしれないし、ソードマスターは居住も所属も変えられないもの。専属護衛騎士も解任になるだろうし、全てにおいて最高だわ!」
うふふ、と楽しそうな彼女とは対照に、私は告げられた内容にまるで後頭部を殴られたかのような衝撃を受ける。
「ど、どうしてっ!」
自分で調べるためにわざわざこんなにまどろっこしい方法を取って探りにきたのに、あっさりと答えを教えられたショックで私は愕然としてしまったのだ。
思い切り声を荒げた私を見て、ビクリと肩を震わせたイェッタはすぐに焦ったように両手を顔の前で振る。
「ッ、そ、そうよね。確かにこんな……いとこを唆し王族を謀るようなことをしたとなれば不敬罪で捕まるかもしれないわよね、でもっ! 考えてみて、悪いことは言っていないわ、むしろ幽霊から妖精ならバージョンアップじゃない?」
「えっ」
「貴女だって幽霊と言われるより妖精と言われる方がいいでしょう? 幽霊も妖精も目に見えないのは同じですもの」
(いや、私は実際に幽霊姫と呼ばれてるんだけど……)
だが、彼女の言うことにも一理ある。確かに王族を貶したとか、偽の情報を流し不利益を発生させたというのならばそれは罪に問われてもおかしくはないが、実際に彼女がしたのは幽霊というあだ名をちょっと可愛く妖精に置き換えて親戚に話しただけなのだ。
その話を聞き、妖精というイメージで勝手に盛り上がり婚約を申し込んできたのは彼女のいとこだし、そもそも彼女の言う通り妖精という言い回しは決して侮蔑ではない。幽霊は嘲笑う目的のあだ名だったが、妖精といえば儚くて幻想的な可愛らしいイメージだ。
(つまり私、とても可愛いってことなのでは?)
そう気付き、ショックを受けたはずの私の機嫌はコロッと直った、はずだったのだが、何故かまだ胸の奥がチクリと痛んだ。
原因がわからず、きょとんとしてしまう。私は何にひっかっかてるのだろう?
妖精姫の由来を不本意な状況で簡単に知ってしまったことだろうか。
それとも──
『それは魔力がないからって意味かしら?』
『えぇ。そうよ』
イェッタとしたこの会話がふっと脳裏を過る。私は、自分でも気付かないところで本当は魔力を持たずに生まれたことを引け目に感じていた?
(ううん、そんなはずはないわ)
そこまで考え、静かに首を振る。魔力があれば確かにできることは増えるだろう。でも、魔力がなければ何もできないわけではない。
たとえ魔力がなかったとしても、やりたいと思ったことをのびのびとなんでも挑戦する。もし母が生きていれば、私に魔力がないことを気にしたはずだ。
──会ったことのないお母様。でもきっと、お母様は私のことも愛してくれているはずだから。
だから私は魔力なんかなくても幸せに、そして全力で生きるのだ。その考えに変わりはない。
「なら、魔力がないことじゃなくて、魔力がないから〝オスキャルと釣り合わない〟って暗に言われたこと……?」
魔力がないことを言われたからではなくただオスキャルに見合わないと言われたように感じたから──、そこまで考え、はたと思考が停止する。
(それだと私、オスキャルのことが好きみたいじゃない!?)
「オスキャルを好きなのは貴女でしょ!」
「えっ!? はっ、はぁっ!? な、何を突然言っておられるのかしら!?」
しまった、と思った時にはもう遅く、とんでもないことを口走ってしまった私は一気に青ざめた。
流石にこれはない。
「ご、ごめんなさい! イェッタの気持ちを暴露するつもりはなかったの! オスキャルへの実らない片想いなんて口にするつもりはなかったのにッ」
「ちょっ、いいから一度お黙りくださるっ!? というか! 貴女こそオスキャル様の恋人なのだからオスキャル様を愛されているのでしょッ」
「愛ぃっ!?」
青ざめた私とは対照に真っ赤に顔を染めたイェッタがさっきの私と同じくらいとんでもないことを口走る。
女性の甲高い声というのはよく通る。そのせいもあってか、気付けば辺りは静まり返り私たちに注目が集まっていた。